幻の鉄道車両を語るスレ 2両目
レス数が1000を超えています。これ以上書き込みはできません。
>>638
>>634の拘る正確なソースはそれ以上は出せないしな
今のご時世で詳細な内容書けば情報流出で訴訟される案件だしな >>548とあまり変わらないが
西日本の南アーバンは207系1000番代と321系をそれぞれ新製投入する計画はあっただろうが、
前者は阪神淡路大震災、後者は福知山線脱線事故の影響で中止になったと予想
西日本は福知山線脱線事故が起きるまではスピード重視であり、高速に弱い103は当初は早期淘汰のつもりだったと思われる Twitterより一部引用だが
>>571
伊豆箱根7000のJR乗り入れが中止になったのは、信楽高原鉄道事故が一番の原因かと思われる
※事故後、JRと直通する地方私鉄が一部見直された
(もちろん信楽高原鉄道とJR西日本との直通運転は廃止、JR側と信楽側でしっかり連絡が取れておらず、あのような大惨事になってしまったことが事故原因で、それを受けてJR東海としても直通運転は特急踊り子のみに留めたのではないかと思われる) >>454
京急車の譲渡が中止になったのは、高架の車庫が壊れて使えず、その車庫が復旧するまで車両を貰っても置く場所が無かったかららしい
※車庫など設備が復旧し運転区間が延びるのと並行して、被災車両の復旧工事をして車両を揃えていった
復旧不能と判断された分の補充は、設備と使用可能な車両の復旧が完了した後に新造車で補った >>640-642
不謹慎な話ばかり連投してスマン >>641 JR東海としては三島で新幹線に乗り換えてほしいし、東京まで直通でなく熱海や静岡までしか行かない直通列車動かしても、どれだけ需要があるのかね?
そもそもJR東海は乗り気でなかった。 >>640
もし尼崎事故がなかったら環状線にも321系が投入されてたかもしれないと思う >>645
もっと言えば、95年の震災が無かったら大阪環状線は207系1000番代になっていたと思う
207は東西線開業前は片町線(0番代のみ)、東海道山陽緩行(1000番代のみ)、福知山線(両方とも)に分散配置されていたが、帯色は全て同一であり、
仮に大阪環状線に投入されていたとしても帯色は上記3線と同一だったと思われる
(環状線=オレンジという概念が無くなっていた)
また、関西各私鉄も今頃VVVF車ばかりになっていたかもしれない >>645-646
結果、南アーバンで民営化後の4ドア車新製投入は205系1000番代が最初で最後になってしまった
その205系1000番代にしても奈良線に転属する位だが >>640
阪神大震災の前に、207系1000番台をJR神戸線・JR京都線の系統以外へ、入れていく計画なんてなかったよ。
大阪環状線を24時間の自動運転にする構想も、公安当局から治安上の問題が言われて、やっぱり設備投資が莫大になってしまうことも大きいので、すぐになくなったから、車両の計画をするところまでいってないし。
福知山線の脱線事故の前に、321系をJR神戸線・JR京都線の系統以外へ、入れていく計画もなかったよ。
大阪環状線の103系を取り替える目的もあったので、直接入れることも選択肢としてあげられてたけど、やっぱりJR東西線に対応できる車両を、必要なぶんそろえることが、計画をたてるうえで優先されたんだ。
あのころJR西日本は、いまと違って、103系の体質改善車はしばらく残す前提だったし、321系の224両のほかは、新快速を140km/h運転で運転するための225系で、223系2000番台を転用して、対象の103系を取り替える計画だったしね。
福知山線の脱線事故があった後のほうが、103系の消滅は早まっているよ。 >>403
電機子チョッパ車を増やすのを嫌ったと予想
あの近鉄でさえ匙を投げた位だから電機子チョッパが扱い難いのはガチ >>649
近鉄は、サジを投げたというより、試作的な4両しかなくって、しかも電機子チョッパ制御装置は、1つしか編成になかったわけでね・・・
なのに、更新工事を挟んで、33年も保有しつづけたのは、頑張ったはうじゃないかな。
JR西日本として、201系を大阪環状線などへ転用することを決めたのは、福知山線の脱線事故の前で、このときは、当時の森ノ宮電車区の8両編成を、基本的に201系でそろえることを考えていたわけ。
阪和線の普通だと、主電動機やチョッパ制御装置のサイリスタが冷えにくいので、使えないって判断がされていたってことや、塗装が必要な普通鋼製の車体ってことも、わざわざ201系を増やさない理由として、大きかったし。
そして、>>648でも言ったように、223系2000番台を阪和線・大和路線へ転用して、103系の快速とかを取り替えていくと、残りをまかなうにしても、ほとんど103系の体質改善車とかにできる状態が、目に見えていたからねえ。 近鉄3000系は京都市営地下鉄烏丸線の開業遅れのため量産されなかった。
(開業した時は既にVVVFの時代になっていた)
だから予定通り開業していれば地下鉄乗り入れ用の主力車になっていた。
4両しかなかったとはいえ、VVVF改造されていれば今も現役だっただろうが。 西武だがハイデッカー車(7000系)だけでなく制御付自然振子式特急車の構想まであったらしい
ソースは今月発売のRM >>653
ソースは?
>>646下段追記
元々、VVVF導入は関東より関西の方が進捗していた
1990年当時では関東大手でVVVF導入が積極的だったのは東急と小田急くらいだったが、この時点で既に関西大手では阪神以外の4社が早々にVVVF車を量産開始
地下鉄も営団(当時)より大阪市営(当時)の方が約10年早くVVVFを導入
そしてJRも東日本より西日本の方が1年早くVVVF車を量産開始していた
※当時は相鉄は準大手、準大手と合わせても関東のVVVF量産は東急/小田急/相鉄/新京成くらいだった
しかもその頃の関西のVVVF量産導入は全て新造車だったことが特筆される
(関東では東急7700/相鉄5000のように量産導入でも改造車があった) >>45
高野線の新車は新形式という噂もあったが、結局8300の増備になったね
ということは計画変更があったのかな >>7
野上80形が登場していた場合、叡電デオ810の登場は史実よりも遅れていた
(80形の中止によりデオ810の製造が前倒しになった説があるため) 近鉄7ドア車
阪急5ドア試作改造(6300のサハ改造?) 西武7000系
阪急8010系(都市伝説)
南海9100系(都市伝説) 阪急8010系は2連は実現しているから(8040系)、厳密には幻ではない。 >>262
>>565
西は震災と尼崎事故で113も全廃できないんだろうな
震災前の計画では、223-1000を新快速に投入し捻出された221等で113を置き換えるつもりだったろうが >>661
なに言ってんの?103系は諦めて、こんどは113系って・・・
阪神大震災があった後、223系1000番台を
前倒しで作って、さらに増やしていったんだよ。
ただし、山陰本線の園部〜福知山の電化開業がひかえていたので、それに必要な113系も生み出されたし、大和路線で103系の快速を取り替えるために、221系も少なからず回されたんだ。
つまり、このとき113系を大きく取り替えていくとか、そこまで考えられてなかったわけ。
だけど、阪神大震災からの復旧で勢いづいたJR西日本は、223系2000番台を計画して、相当な両数を作って、113系の取り替えをドンドン進めていくことと、JR神戸線・JR京都線で将来も残りそうなぶんの113系は、体質改善工事をやっていくことを、決めたんだ。
だから、まだ113系を取り替え切れるところまで、メドなんて立ってなかった。
尼崎の脱線事故の前にやっと、JR神戸線・JR京都線の快速から、113系が消滅したけど、阪和線・きのくに線や嵯峨野線とか、まだまだって感じだったし。
時速140kmで運転する新快速に使う225系を作って、223系を別の使いみちへ回すにしろ、113系の消滅なんて、とんでもなかったよ。
湖西線において、681系・683系を時速140km〜150kmで運転するために、普通電車を221系でそろえる、って話もあったけど、ほかの使いみちと、取り合いになっただろうなあ。
福知山線の脱線事故があって、さらに223系がたくさん増やされたし、225系が普通の近郊型電車として、設計しなおされたものが、これもたくさん作られたよね。
これによって、嵯峨野線は221系・223系だけで、そろえられたし、阪和線・きのくに線からは消滅して、広島などの山陽本線で、古い115系などを取り替えてる。
事故の反省から、車両に対する投資が、安全性向上計画のなかに組み込まれて、ジャンジャン新しい車両が作られるようになったんだ。
それでも、113系については、まだ京都と岡山に、たくさん残ってるわけ。とは言っても、2022年から取り替えが始まって、ほぼ消滅のメドが立つんだけど。 >>662
あと、福知山線そのものが、脱線事故まで、113系の運用が消滅させられる感じじゃなかったし。
おおさか東線の開業で、直通快速を走らせる構想はあって、223系2000番台の4両編成が、時速120kmで運転するために改造されて、転用(もしくは新しく作る)される話はあったけど。
それでも113系を無くせるところまでは、考えられてなかったしなあ。
>>663
223系1000番台は、車体の設計が短い時間になってしまったりしたから、作り続けるのに、経費の面からも工夫が必要、ってことになってた。
283系は、もともと車両の長い期間の計画になかったもので、これを試験的に使い続けることで、問題点の洗い出しや、新しい技術の開発とか、将来に向けた、叩き台的な存在だからなあ。 >>590
南海1000は新CI制定計画の一環であり、
新塗装が無い場合は阪神8000みたいにしばらくは9000増備だったんじゃない? 近鉄ACEの増備計画
ACEは、最初の12両が搬入された時点で100両を増備する予定だった模様だが、結局は74両しか増備されなかった >>665
>インバータ制御が出てきて、それで通勤車を作る話が出たとき、新しいコーポレート・アイデンティティの話が並行していたわけだから、それがなかったら、とかは変だよ。
>新しいコーポレート・アイデンティティの話が出ていても、ひょっとしたら、9000系を(次は車体の外板が、ヒモ出し加工になって?)作り続けてたかも、ってところだし。 阪急9300系ってロング仕様作ってたら中間車の車番が9999まで…いかないか。(9990は実在する)
あと「鉄道ファン」誌に京阪旧3000系の新塗装案が載っていた。 そのブログ、南海の中の人でもないやんけ
信憑性ゼロ 名鉄5300/5700系の3ドア化改造(図面もあったらしい) 小田急ロマンスカーHiSE車の14輌?化案。
ソースはピク増刊だが、全線で20m車10両編成運転のための増結車を作ると担当者が
述べているのだが、実際はそうすると箱根湯本まで入れなくなるので、
どうやって増結するつもりだったのだろうか。 箱根湯本を改築する以外に何か案はあるのか。
それが無理だから幻だろ。 >>686
バカは黙ってろ。
ロマの増結案は、ピク増刊546号に載っている。pp81。曰く、
「10000形は好評ですから、中間に車両を増やすことになるでしょうね」
だそうだ。
>>687
ネトウヨは氏ね。その子どもは海外派兵で戦死し、母親は古手の慰安婦にされるわけですねわかります。 >>690
やれやれ。名乗れもしないのかw
あのな、連接車で両先頭車が流線型なら、中間に増結するしかないだろがJK
湯本駅の改築なんて、スペース的に出来るわけ無いし、そもそも小田急の駅じゃない。
具体的に検討されたであろう改造案も考えられるが、お前態度悪いから教えてやらない。 箱根湯本駅の改築などできる訳が無いと俺は686で言っておるわけだよ。
お雨も691で無t理だと言いたいわけだろ。
さあ、なぜバカなのか教えてくれや。 いや、フツーにバカだろw
そもそも小田急の担当者が記事で増結車を作ることになると言っていた。これは事実。
実際に完成しなかったから幻の車輌。ここまではスレにも合致しているし問題無い。
それに対して、どう車輌を増結するつもりだったんだろうかという疑問は、
議論としてありうるわけだろ。
それに対して何も話に入ってない、小田急の担当者も論及していない湯本駅改築の話を
突然出して「出来るわけ無い、だから幻」と返したのは、議論の論点ズラしじゃん?
だからバカ。バカは今の論点がわからず、議論外のことを突然言い出す。アベか?w
バカでまずけりゃ、何かの病気? >>693氏は 自分で言ってる「バカ」に自らなっちゃてる件。
いきなり「アベ」ってw
>バカは今の論点がわからずに議論外のことを突然言い出す。アベか?w >>695
959名無しでGO! (ワッチョイW cf14-fkVg)2020/02/21(金) 13:25:24.40ID:sWtkfRf20
最近はアベのクソぶりがイラつく
以前はどうでもよかったのに
増税に悪政
コロナにかかってもポックリ死ねるわけじゃないし
マスクすら満足に買えない、店に売ってないって発展途上国なみじゃん
まあ、こんな首相を信望している段階でバカには違いない罠。
もちろん、君のことだよ? >だからバカ。バカは今の論点がわからず、議論外のことを突然言い出す。アベか?w
伝説の一行だなw
お前が気に入る流れはアリで、気に入らなきゃバカ。
お前が突然論点外の事を言い出してもアリなんだろう?
頼むよほんと。お前は低レベルを自覚するべきだよ。
他人に暴言を吐けるほどお前は賢くはないのですよ。 >>697
元の議論外なことを悔しそうに言い出すということは、敗北を認めたなw
だせーw
理屈をこねることすら出来ないとは。 >>699
お前が勝手に論外にしてるだけだぞ。
屁理屈もいい加減にしておけ。もう一度言うがお前は決して賢くはない。 面白いやつが湧いたな。
>>701
よ、お前のほうがよほど屁理屈。わざわざID変えての自演ご苦労さんw 小田急だが90年頃に2階建て車両の研究もしていたらしい 京王の8000は初期段階でクロスシート車を入れる話もあったらしいな。
(違ったら申し訳ない) >>705
ピクの増刊に記述があったはず。
国鉄の72系全金車5ドア車構想。 神戸市営地下鉄3000形のダブルデッカー車組み込み案と都営6300似のデザイン案 205ボツ案
東急8500ボツ案(小田急9000ベースの前面)
東武9000ボツ案
京阪旧3000ボツ案
JR四国5000ボツ案(前面はJR西日本223-0ベース)
スーパーひかり(実在したのとは別の300系?)
名鉄キハ8500展望席案(前面は同1000ベース)
JR東日本251、JR西日本221、都電7000の塗装案
205系ベースの70-000形(但し非常扉あり)
オリジナル設計のY500系
常磐新線(ダブルデッカーあり) >>713 試験塗装のレモンイエローの方は?採用されなかったけど。 >>713
20000のデザイン案
2案ありそのうちの1案が90年代の日車デザイン(京王・営団・新京成・名鉄辺り)に似たようなものだった 8000とか9000にも没デザインとかありそうなのが気になる。 相鉄11000がJRに乗り入れできなくなったのは、E233-7000の導入が遅れたかららしい
当初はE233は、0番台の次は7000番台の予定だったが、
京浜東北209の故障が多発するようになったため予定外の1000番台を導入した結果、7000番台の導入が遅れてしまったらしい
それで11000は時期がずれてしまったので、結局12000を導入することになった じゃあもしかしたら史実の7000が1000に、1000が7000になった可能性もありえたという訳か。 >京阪神緩行線の新性能車計画は当初は101の車体にMT54を載せた仮称105の予定だったが、
>国鉄の赤字やコスト削減などが絡んで103を転用状態で導入となったとも
>(但し僕はJR化後生まれなので国鉄時代のことはよく知らない) >>76
いや東急は車両計画が迷走しまくりだから… >>29
どうやら当時の小田急は迷走していたようだね
複々線化に沿線住民から反対運動があったとかで >>13
アルナ工機では8000系の大量増備のために製造ラインを増設したという話もあったね
結局、増設した製造ラインが無駄になってしまったと >>82
小田急2000増備断念は複々線化に投資を集中したため >>18
当時の小田急はかなり迷走していたみたいだからね >>65
10が製造中止のため新20のような中間車増備ができなかった >>104
都営は10-300Rで懲りて更新に消極的になった可能性 >>488
30/北急2000がある間は10連化できなかっただろう >>178
8233/8235/8237にそれぞれ試験塗装を施していた >>130
合ってる
1000の設計時の仮称が9100だったが新塗装化後初の新形式ということで1000に変更された >>576
東武はそんな早い段階でステンレスを積極的に採用するつもりがあったのか >>59
で結果3050と3000の混成編成が3050ごと廃車になったと >>79
幻の紀勢線用は681-3000だったのかな >>736
いやいや、ぜんぜんちがうよ。南海電車では、21mの車体の4ドアで、インバータ制御の通勤車を作るのに、いろいろ技術的なことを試そうとしたのが、"9100系"でさ。
その結果を使って、空港線が開通するときから、作りつづけられる新しい系式の車両を、設計しようとしてたんだけど、"9100系"を作るとき、はじめに使う機器でも、作りつづけるのに問題なさそう、ってことになったんだ。
"9100系"で試験しているあいだ、9000系を新しく作る、って方針をやめて、"9100系"のまま、増やしていくことになったわけ。
それで、新しい系式の通勤車(一般車)で、使おうとしてた"1000系"を、"9100系"として設計した車両に、そのまま、あてはめることにしたってところ。
>>739
そのクレイモデルは、いまの塗装で作られていたもので、阪神電車の、歴史上の9300系にあたるものだよ。 >>107
側面は似ているが車体幅が違うんだっけ? >>111
あの中に南海11000みたいな10030のデザイン案があったような 京成3400には2扉クロスの図面があったとも言われているが真偽は不明 >>200
8040は3モーターだけど幻の8010は4モーターの予定だったからあくまで別形式 >>631
池多摩を全部新7000にする計画も没になった >>594
2000の機器更新が必要だから支線置き換えは先送りされたんかな >>599
恐らく足回りの違いによるギクシャクが酷くなる可能性があって8300と12000の連結が中止になったんじゃないかな? >>600
1050は量産前提で作られたが当時の南海の財政難で量産が見送られた >>607
元々2000は3本のみの予定で後は複線化が完了した後に史実2300相当のズーム車を導入し21000を置き換えていく予定だった >>601
7000/7100/22000置き換え用こそVVVF車になっていたと思われるが、
それは史実の1051的(但しVVVFは泉北7000的)だった可能性 >>602
9000増備は2000の21m版みたいな外観になっていたと思う
(2000登場後に実在する9000そのままは考えにくい) >>541
史実12000的なビジネス特急車と史実2300的な新世代ズーム車ね >>78
当時高野線で電気指令式ブレーキは30000しかなく、
その30000を運転できる人が限定されていたために
11000は30000と共通化を優先したんだろうね >>762
2000系は、2001編成〜2003編成のあと、21000系を消滅できるぶんの、2004編成〜2008編成まで作ることを、はじめに考えていたんだよ。
2000系のつぎに考えられてた、"新しい系式のズームカー"は、21m車体でインバータ制御の通勤車(一般車)が、新しい標準の設計を打ち立てられたら、そのグループとして、登場するということだった。
だけど、2300系みたいに、2両編成で、バックアップのものもふくめて、重要な機器を床下におさめきるメドが、たってなかったんだ。
インバータで使えるIGBTも、まだ3レベルしか難しくって、機器を小さくするのも、限界があったし。
21000系・22000系の取り替えと、河内長野〜橋本の複線化ができたとき、利用の増加が期待できるぶんで、新しく作る2000系と1000系(と新しい系式のズームカー)の両数を、どう振り分けるとか、未知数みたいなところがあってさ。
いまみたいに、なんば〜橋本を1000系で、橋本〜極楽橋を2000系・新しい系式のズームカーって、わけてしまうだけじゃなくって、2000系をなんば〜橋本で連結して、なんば〜極楽橋で新しい系式のズームカーを通しで運転するとか、いろいろ考えられてたね。
>>763
いやいや、2000系が完成したころは、21mの車体でインバータ制御の通勤車(一般車)について、技術的にやりたいことが、もりだくさんになってきてたころなんだ。
"9100系"でいろいろ試したあと、作りつづける新しい系式は、1000系の6次車というより、塗装されたステンレス車体に、泉北高速鉄道の7000系みたいなインバータ制御装置と制御伝送システムに、180kWの誘導電動機、って感じだよ。 >>764
"9100系"も、9000系で新しく作るぶんも、ってところ。
2000系を、21mの車体で4ドアにした感じ、ってのは、"9100系"のほうかなあ。
9000系で新しく作るぶんは、それまでのコルゲート処理から、ビード処理にするくらい。
>>766
11000系は、10000系の4次車なんかとあわせて、南海本線・高野線の両方で使える、インバータ制御の特急車として、考えられていたわけだね。
それが、実際の使い勝手とか要望で、それぞれの路線の事情に合わせた、抵抗制御の系式として落ち着いただけでさ、電気指令式ブレーキを使うほうが、はじめの話からすれば、自然だったんだ。
30000系とそろえる、という意味で、大事なことは、電気指令式ブレーキを選んだことより、抵抗制御・2両のユニット・すべて動力車、といった設計に、なったことのほうだからね。 >>138
当時は須磨浦公園乗り入れがあったから神戸線の6連も増備するつもりがあったんでは? >>158
アルナが維持されていれば8915/8995を新造して8連化という手もあったかもしれないけどね >>377
だが阪急の車両予算が確保できなかった時期があったから仕方ない >>219
元々8040/8315の仕様が当時の標準仕様とする計画だったため幻の8010は8040と同じで合ってる >>220
元々その仕様が標準となる予定だったが、車両予算が確保できなくなったために結果的に少数派になってしまっただけ >>608
ということは登場時は史実1000的な仕様だけどすぐIGBTに改造されるような感じ? >>598
ビート処理ということは史実1000の旧塗装版みたいな?
史実1000が塗装になったのは新塗装との兼ね合いがありそうだが >>596
ということは新塗装化は史実より1年ほど遅かったということか >>161
2000は4両の編成構成が2種類あることと付番からして当初2両は予定されていなかったと見ていい >>134
つまり史実1000的なのも1本だけ作る予定だったのか >>164
8000が登場した時は減車も視野に入れていたからあえて2連は設定しなかったんだろうな >>554
2200置き換えは2000の機器更新が必要ということもあり先送り >>563
東芝のショールームというわけではない
単にデモンストレーション >>560
ただ8000登場前にステンレスを積極的に採用するつもりはあった模様 >>783
阪急電車ほど、主制御装置の分野で、東芝を主に使ってきた大手私鉄は、ほかにないんだけどさ。
自然と、東芝のものとしては、初めてのケース、ってものが出てくるよね。
2000系では、回生ブレーキのために、抵抗制御で、マグアンプを使ったとか、2200系では、(それまで研究していた、直並列チョッパ制御じゃない、三菱電機のシステムに近い)電機子チョッパ制御装置を、はじめて使ったとか。7000系も、はじめての界磁チョッパ制御装置だったしね。
ただ、インバータ制御については、大阪市交通局(日立製作所・三菱電機といっしょに)が早かったし、主電動機を1つずつ制御するのは、JR東日本の901系のB編成が、早かったからなあ。 >>502
MMは検査が東急委託だからオリジナル設計は困難だったと思われる >>167
相鉄9000は単に西武6000/東武20000に似てしまっただけと思う >>244
8001の試験VVVFはSiCではない >>438
6300は史実では走行距離が長かったのが大量廃車となった理由だけどね >>190
当初の計画通り8000が増備されていたら9000は欠番だった可能性 >>191
221は当初宮原と日根野にも新製配置検討だった模様 >>192
先頭車は8040に活用されたからこれはこれで良かったんでは? >>202
史実1000が両線共通になったのは高野線に回生電力吸収装置が設置されたのが影響しているが >>211
西日本の場合は1M2T基本だから故障時の対応を考えて個別制御が好まれた可能性 >>791
阪急電車の6300系は、大阪市営地下鉄堺筋線で、動物園前〜天下茶屋が開通したあと、南海電車の空港線が開通したら、天下茶屋〜河原町を直通できる、新しい特急車に、取り替えることが、考えられてたんだよね。
それが、あとの"9300系"で、"8010系"とかの話もまとまってきたころ、6300系は使いつづけずに、消滅させるつもりだったんだ。ただ、そのときに5ドア車に改造して、試験するとか、そういう余生の使いかたは、話としてあった。
はじめに考えられてた計画でも、走行距離がそれなりになってるから、消滅させる方向だったのに、取り替えがドンドン遅くなって、変わるはずないじゃん。でもさ、幸運だったのは、阪急電鉄のなかに、6300系を残そう、って思ってたひとたちが、少なくなかったことだよ。
嵐山線と快速特急のために、消滅がまぬがれたのは、取り替えが遅くなったことは、良かったかもしれない。
>>795
阪急電車の"8010系"が、計画どおりに登場して、作りつづけられたなら、番号が足りなくなって、"9300系"のほかは、使うことが考えられてなかった、9000番台の車両が、"8010系"に登場していたかも、しれないんだよなあ。
東急線の5000系に、4000番台の車両があるみたいにさ。 >>797
JR西日本は221系を、東海道・山陽本線の快速・新快速や、関西本線へ作りつづけたあと、つぎは、阪和線と福知山線に、入れていくつもりがあったことは、間違いないよ。
ただ、221系を作ってるあいだに、207系の0番台の設計が進んで、221系のつぎの近郊型電車は、もちろんインバータ制御にする、って方向性にはなってたわけさ。このときは、阪和線・福知山線のために新しく作るぶんが、221系のままか、そのつぎの新しい系式になるのか、どっちかって言うと、新しい系式のほうになるかも、って感じにはなってたんだよなあ。
いよいよ、207系の0番台を作りだして、221系を作り終えてしまったから、そのとき、インバータ制御車の高い性能を使って、新しい車両で、JR神戸線・JR京都線の新快速の、スピードアップをする話が、出てきていたんだ。これで、阪和線・JR宝塚線のために、新しく近郊型電車を作るってのは、棚上げになっちゃってたし。
その話がよみがえったのは、福知山線の脱線事故のあとだね。 >>801
いちいち主語がないけど主語付けてくれないか? >>794
なに言ってんの?国鉄という組織が、生きながらえるとしたら、それは経営的に持ちなおす、ってことなんだよ。
歴史上の国鉄の終わりのころ、積極的に営業をやっていたし、絞るところは絞っていたから、大都市圏で、並行して走る私鉄に、利用者が流れるようなことは、なくなってたし。
30年くらいまえの東海道・山陽本線だったら、新快速は117系・213系で、快速は113系・211系なんだけど、普通は205系でそろってる、ってところ。関西本線の快速に211系が使われて、阪和線の103系は、ほとんど冷房車になってる。
あとに901系で使われる、インバータ制御のシステムも、国鉄の終わりに101系を改造して、試験されてるし、209系・E231系・E233系みたいな電車が、大阪鉄道管理局・天王寺鉄道管理局の路線に、走っていたかもしれないねえ。 >>195
01がマレーシア輸出を見送ったのは恐らく架線集電式に改造が必要だったからと思う >>267
10連化中止も当時の小田急の迷走によるもの >>341
恐らく30000の10両固定版が幻の30050だったと思われる >そう考えるとVVVF試験車をいきなり編成単位で新造した近鉄と東武はやり過ぎだったかもしれない
>(実際、東武は10080での試験結果が良くなかったため日立GTOの本格導入は100系のみに留まった)。
>東武、10080が成功していればこちらも日立後期GTOを導入していたかもしれないのに…
>(相鉄8000も実質日立後期GTOの延長みたいなものなので)
>恐らく東武10080の段階では1C8M用はまだ開発されていなかったと思われる。
>↓登場時期
>東武10080…88年3月
>西武145…89年3月
>東急8799-0802…89年11月 10080系が、日立製作所の大容量GTOサイリスタのインバータ制御装置を、使ったわけだけど、失敗だった、っていうのは、まちがってるんだ。
10030系を作るときに、インバータ制御を使いたい、だけど、インバータ制御装置の値段が高いので、これから東武鉄道として、新しい通勤車を作りつづけていくのに(実際に、8年間で350両くらい)、金額が大きくなってしまうのと、大容量GTOサイリスタが、東武線の車両のために、そのペースで、日立製作所が用意できないかも、という状況だったんだよね。
営団地下鉄の日比谷線と、相互直通運転するための車両は、加速・減速を繰り返すので、値段が高くても、東洋電機のAFEチョッパ制御を、使うしかなかったし、使っても、効果があるって考えられてた。
だから、特急車として、加速・減速と高い速度で、高い性能が必要だった100系には、インバータ制御を使うけど、地上だけを走る10030系は、しばらく界磁チョッパ制御を使うことにして、いまのIGBTみたいなものが、登場して、インバータ制御のシステムの値段が、大きく下がることを、待つことになったわけさ。
10030系の10050番台を作るときも、インバータ制御が使えるか、考えられたんだけど、ちょうど、はじめて3レベルのIGBTを使った、営団地下鉄の車両が出てきたところで、東武鉄道の車両のために、作りつづけられる感じじゃなかった。だけど、東洋電機の逆導通GTOサイリスタで動く、インバータ制御のシステムがやっと、地下鉄へ乗り入れる通勤車なら、コスト的に使える状況になって、20050系で取り入れられてる。
そしていよいよ、営団地下鉄半蔵門線と相互直通運転をするためと、10030系のつぎの基本的な、新しい通勤車を作る話になって、やっと30000系で、本格的にインバータ制御を使えることになった、ってわけ。 >>812
10080で価格の問題に気付いたということか。
東急9000ガイジは技術面で失敗と勘違いしてるようだな。 >>358
そもそも223-0は急遽計画されたものだから増備は考えなかった筈 >>140
N3101Hが日立に決定された時点で当初デザインは使えなくなったんだろうな >>268
中間2両をダブルデッカーとする検討もあった模様 >>242
JR西日本は個別制御なのが好まれた理由なんだろうね >>245
8200は幻の8010に採用予定の新機軸の試験も兼ねていたんだろうな >>820
「先行試用の意図」とか、「採用予定の新機軸の試験」っていうことより、阪急電車の8200系は、"8010系"のシリーズのなかで、たまたま先に登場することになった、って感じだけどなあ。 >>303
地下鉄に二階建てとか最初から無理だったんじゃない? >>312
いずれもJRとの乗り入れのために仕様を合わせるつもりだったんじゃないかな >>476
京阪旧3000は1900の3扉化が高くついたことに懲りたため京阪から撤退となったらしい >>278
西鉄8000も走行距離の問題で改造見送り >>575
6050/9000/10030/30000のデザイン案 >>689
仮に連接通勤車が登場していたら小田急は連接通勤車が基本になっていた可能性もないとは言い切れない 東武30000の頃は、190kWx8は1C8Mでは無理だったので
1C4Mで各M車装備だったね >>720
幻になった"105系"は、国鉄の赤字経営とか、コストダウンとか、関係ないんだよなあ。
国鉄の臨時車両設計事務所では、現場に近いところからの、求めに対して、そういう通勤型電車を作ろうと考えたのは、間違いなくってさ。
113系の走行機器を使うとか、主電動機だけMT54型を使うとか、165系の走行機器を使うとか、考えられたんだけど、加速・減速も、速度が高い運転も、両立するような通勤型電車って、結局はできなかっただけなんだ。
国鉄の電化区間は、電力供給に余裕がなくって、あまり大きなパワーを出す電車を、使えなかった事情はあるんだけど、大手私鉄の通勤車とくらべて、主電動機のパワーは小さめで設計されてたから、加速・減速か高速か、ってところは、どちらかしか選べなかったね。
編成のなかで、動力車の割合を大きくする、ってこともやりにくかったし。そして、条件を精査していったら、結果的に、103系でも使えないことはない、ってことにもなったし。
幻になった"105系"を、別のカタチで実現したのが、201系だからね。 >>227
単に70-000が最初から6連で投入されていたと思う >>147
サハ208-900じゃなくてサハ900だな >>323
国鉄時代から首都圏の多扉車構想は既にあったんだな >>159
Mc8300-3がMc8300ベースの機器更新車 >>287
南海8300の高野線用も当初予定では8300ではない高野線専用新形式車の予定だったらしい >>490
当時の東急車輌の野心的な提案もあったんじゃないの? >>492
従来ズーム車との相性が良くなかったため予定外の2000増備となった >>489
史実209相当というより207-900の量産車的なものだったろうな >>839
"相性の問題"?もし、2000系と、21000系・22000系(2200系)との連結のことを言ってるなら、そんな問題なんて、実際なかったから。
高野線の特急・急行が、金剛に停まるようになったあと、ズームカーの急行で、混雑がひどくなったりして、お客さんの乗り降りに時間がかかるから、電車の遅れが、目立つようになってきたんだね。
それは本当のところ、停車駅が増えたのに、21mの4ドアの車両じゃなくって、17mの2ドアの車両を使っていたことが、原因だったんだよ。なのに、3編成が残った2200系のせいで、連結のために、2000系の性能を落としてるからだ、っていう理由をつけて、南海電鉄の内部的に、片付けちゃったわけさ。
2200系が、高野線からいなくなったとしても、2000系の性能は、上げられなかったんだよ・・・ >>838
>あくまでストロイエは
>南海の電鉄サインピクトグラム担当で
>50000専用として追加が必要なサイン類を
>若林広幸からの指示で制作
>
>若林氏はその段階で既に
>たち吉から独立し個人事務所を構え
>
>南海もJRとの競合は当然承知の上だが
>空港特急車を大胆な意匠とする動機は
>JRの動向が影響した訳でなく
>むしろ電鉄社内間で刺激された高揚から
>
>JRは当時681量産先行車を登場させ
>南海もある程度の手の内は見えていたが
>JR関空特急形にて近車と検討されたのは
>当初ステンレス車体でスポーティーな印象
>
>南海が既存のビジネス特急車ベースと
>対外的に説明していた方が不自然で
>むしろ電鉄社内をも欺いた格好
>どちらかというより間違いなく
>JRの方が南海の注力を警戒しており
>
>そこは物量作戦で急遽
>関空快速形新造を決断したほど >>647
205-1000もJR西日本化当時は計画になく、南海が9000を導入したことによる対抗策として導入されたものだね >>842
仮に南海が当初の予定通り9000増備だったらJR西日本の関空快速も221だったかもしれない >>804
分割民営化が無かったら、または民営化後も全国組織だったら
207-900の量産車的なものが当初は関東に配置されて、その後関西に転用されていたかもしれない >>247
アルナで作れなくなった時点で別形式に移行は避けられなかったろうな >>248
8200が8030〜8035みたいに5200の台車のみ流用する案があっただけじゃない? >>260
1000だけ3M5Tはダメだったのか? >>401
西武も日立の大容量GTOを採用したのはたまたま有楽町線直通のタイミングが良かっただけで、
仮に有楽町線直通が史実より早ければAVFチョッパ、逆に遅ければ3レベルIGBTになっていたと思う
当時の西武は有楽町線直通車以外はVVVF採用に消極的だったため >>840
国鉄が最後のころ、新幹線電車について、「スーパーひかり」で時速260kmの運転をしたい、ってのがあって、そのへんの速度になると、サイリスタ位相制御は無理ってことがわかって、PWMコンバータとインバータという、主変換の新しい制御をしなきゃ、っていう方向性だった。
在来線電車は、大容量のGTOサイリスタで動くインバータ制御なんて、すっごく高価だし、1年間でかなりの両数を作ることが必要だから、総額が大変なことになるけど、そのまえに、それだけのGTOサイリスタを、電機メーカも用意できないし、って事情があったんだ。
電機子チョッパ制御を使った、201系の反省もあったし、価格も安くて、抵抗制御が基本だから、取り扱いがしやすい界磁添加励磁制御を、在来線電車のシステムとして、ドンドン使っていくことにしたんだよ。
そういう状況のなか、常磐緩行線のために、1編成の通勤型電車が必要になったとき、国鉄の最後に、私鉄や地下鉄で、営業運転される車両が増えてきた、大容量GTOサイリスタのインバータ制御を試しておきたいって声が、車両技術の責任者で、いつもは慎重なひとたちからも、あがったんだって。
ちょうど、ゆくゆくは新幹線電車のためでも、基礎的な確認をするのに、101系を改造して使った在来線での試験が、うまくいってたことも、それを後押ししてたんだね。
207系の900番台は、国鉄の本社や、車両設計事務所的に、量産車両とかぜんぜん考えてなかったんだけど、東京北鉄道管理局のなかで、新しい会社になったとき、207系の量産車両を作りつづけて、常磐緩行線の203系を取り替えたい、って話を進めてたんだよなあ。
そのあとも、在来線(の直流・交直流)電車を新しく作るとき、界磁添加励磁制御を、しばらく基本にするけど、私鉄や地下鉄で、インバータ制御の電車がつぎつぎと出てくるから、国鉄(新しい会社へ引き継ぐこと)として、安く、たくさん作るための、タネをまいておくことになった。
1987年の1月〜3月に、大船工場で、べつの101系を改造して、富士電機から持ちかけられた、(容量が小さい)パワートランジスタで動くインバータを使った試験車を、走らせてる。これはJR東日本になってから、901系のA編成のインバータ制御へ、むすびついたんだ。
だから、国鉄がずっとつづいてたら、作られる基本的なインバータ制御の電車は、209系みたいな車両なんだよ。 >>844
いやいや、>>746で言ったとおりだし、9000系を、新しく作るぶんとして考えられていたのは、歴史上の1000系の1次車に、あたるところまでだよ。
歴史上の1000系の2次車って、空港線を開通させるためのぶんで、このときから、"9100系"で試したことをまとめた、インバータ制御の通勤車を、作りつづけていこうとしてたからね。
空港線のために南海電車が、9000系を作るとか、ぜったいになかったわけさ。
それとJR西日本が、関空快速のために221系を作るとか、ぜったいになかったというのも、>>802のとおりだよ。
>>845
207系の900番台についても、>>851のとおりで、鉄道管理局が量産車両を作りたくっても、国鉄としては、209系みたいな車両の、設計ができあがるまで、インバータ制御の在来線電車を、増やすつもりはなかったんだよなあ。 >>165
というより新20と相鉄8000の時期がほぼ同じだったために似たようなデザインになった >>166
北急8000は後の東武20000/西武6000に影響されたと思う >>160
10000初期の中間車(新造として)も >>163
8000の段階ではむしろ減車を視野に入れていたから4連しか作られなかったと思う >>177
あくまで9000の後継ということで9100の予定だった >>467
泉北5000は泉北の直営化の影響だから… >>843
国鉄の大阪鉄道管理局・天王寺鉄道管理局が、東海道・山陽緩行線の103系をぜんぶ、さらに作りつづける205系で取り替えて、余った103系の冷房車を、クーラがない車両の多かった、阪和線へ回す、っていうことを考えていたんだ。205系の1000番台が、阪和線に登場するための、基本となる話だよ。
>>846
西武鉄道の6000系が、旧東急車輛が作るステンレス車体から、日立製作所の作るアルミ車体へ変わったとき、西武鉄道として、旧東急車輛が作った、車体のこまかい図面は、持ってたんだけど、日立製作所の技術者が、ステンレス車体の実物で、寸法を確認しにきたりしながら、組み立てていったんだよなあ。
阪急電鉄が、日立製作所と、"8010系"を作りたい、って話をまとまれば、あのころなら日立製作所が、A-trainのブランドを打ちだすまえだし、旧アルナ工機みたいな作りまでは、できなかったかもしれないけど、近いものを、作れたんじゃないかなあ。
>>849
阪急電車の1000系は、1300系も機器の配置や編成の組みかたなどが、できるだけおなじになるように、設計が考えられてる。1300系のほうが、密閉式の誘導電動機の出力的に、条件は厳しいから、8両編成のとき、動力車は4両にしなくちゃいけない。
1000系の永久磁石同期電動機をもし、255kWにすれば、性能を大きく変えなくても、編成の出力的に、動力車を3両にできるかもしれない。そのうちの1両は、8000系が、インバータ制御のシステムを取り替えるための、主電動機が4つ制御できるものを使ってさ。1600形か1650形のどちらかは、付随車にできる。
ただ、回生ブレーキと空気ブレーキを制御する、ブレーキ受量器のシステムも、変えなくちゃいけなくなるし、だんだん1000系・1300系で、仕組みがバラバラになってくる。それは、阪急電車がやりたいことじゃない、ってところだね。 >>213
600後期の結果が良くなくて2100はシーメンスになったとも >>298
600は2100への橋渡し的な要素を持っていたと思われ >>436
881は883の仮称だったのか、それとも北海道のために空けてあったのかは不明 >>379
223-9000は事業用車に改造される前はまた違うVVVFだった模様だが >>366
様々な試験を行うつもりだったということは暫く営業は見送るつもりだったのかな >>283
泉北は単に当時5000が線内専用だったために増備できる状況じゃなかっただけでは? >>270
0番代はそうかもしれないが1000番代は南アーバンにも投入を想定していた可能性 >>279
10Aは結果的に御堂筋線のままで良かったと思う >>281
20を中央に集約させた時点で10後期を谷町に転用はありえない >>390
今の9000/9300と同じ電動車位置か >>297
ホームドア設置計画との兼ね合いで一部置き換えになったとも思ったが… >>329
紀州路快速運転開始が数年早ければ0番代の増備があったかもね >>331
そもそも223-0自体が予定外だから近郊車置き換えは無かったと思う >>333
3000は元々一時的なものの予定だったから車番そのままなんじゃないかな >>335
最初は221が網干にまとまった数が投入されたけどね >>353
10000-4次車と11000がH4年度
50000がH6年度 >>879
10000系中間車は1991年度中、50000系は1993年度中の落成 >>876
223系で、0番台の68両は、なにかを直接的に、取り替えたってわけじゃないから、単純に増えたって感じに、近いんだよなあ。ただ、JR西日本の和歌山支社は、阪和線の快速(和歌山までの全線を走るものや、紀勢本線へ乗り入れるもの)を、221系・223系などの、新しい電車で運転したい、ってことを考えていて、本社に希望を伝えていたんだ。
>>878
国鉄の終わりに、113系のなかでも傷んでいた、クーラがない車両の一部と、試作でクーラをつけた車両を取り替えるため、211系を、東海道・山陽本線と関西本線のために、大阪鉄道管理局・天王寺鉄道管理局で、新しく作ろうとしていたのが、221系のもとになった話だね。
221系は、211系で考えられていた数よりも、たくさん作られたけど、山陰本線(京都〜園部)で電化の開業するために、113系をたくさん、ひねり出さなくちゃならないとか、福知山線のための車両の数を、増やす(117系など)とか、新快速を、6両編成から8両編成にするとか、七尾線で電化の開業をするために、113系をひねり出さなくちゃならないとか、傷んだ車両の取り替えより、そちらの理由で、けっこうな数が必要だったからなあ。 >>876
223系で、0番台の68両は、なにかを直接的に、取り替えたってわけじゃないから、単純に増えたって感じに、近いんだよなあ。ただ、JR西日本の和歌山支社は、阪和線の快速(和歌山までの全線を走るものや、紀勢本線へ乗り入れるもの)を、221系・223系などの、新しい電車で運転したい、ってことを考えていて、本社に希望を伝えていたんだ。
>>878
国鉄の終わりに、113系のなかでも傷んでいた、クーラがない車両の一部と、試作でクーラをつけた車両を取り替えるため、211系を、東海道・山陽本線と関西本線のために、大阪鉄道管理局・天王寺鉄道管理局で、新しく作ろうとしていたのが、221系のもとになった話だね。
221系は、211系で考えられていた数よりも、たくさん作られたけど、山陰本線(京都〜園部)で電化の開業するために、113系をたくさん、ひねり出さなくちゃならないとか、福知山線のための車両の数を、増やす(117系など)とか、新快速を、6両編成から8両編成にするとか、七尾線で電化の開業をするために、113系をひねり出さなくちゃならないとか、傷んだ車両の取り替えより、そちらの理由で、けっこうな数が必要だったからなあ。 >>351
西武も当時VVVF採用は有楽町線直通車だけだったが >>404
史実では関西初のIGBTは223-1000となった >>422
そもそも東の103が早期全廃になったのは98年頃の故障頻発が原因らしい >>421
813-300は815や817-0より後に製作されたものだが >>429
そもそも103故障頻発が無ければ209-500は出なかったと思う >>432
元々7000以降を大量増備の筈が8000増備を優先してしまったからなぁ >>409
西日本の205-0は分割民営化が無ければもう少し増備されていた可能性
(これは東海の211-0にも言えることだが) >>884
西武鉄道の6000系は、営団地下鉄へ直通するための系式だけど、そのための専用とかじゃなくって、これからの基本的な通勤車両、っていうことだったんだよねえ。
>>887
だからさ、そのまえに事故で除籍になった、813系の0番台・200番台から、サイリスタ位相制御装置・インバータ制御装置・主電動機をとりはずして、新しい車体(300番台)にとりつけた、ってことじゃん。使えるものは使う、それだけだよ。
>>889
京阪電鉄は、インバータ制御の通勤車(旧6014編成・7000系など)を、作るって決めたとき、いつかたくさん作りつづけて、2600系・1900系・2200系・2400系・1000系を、取り替えていく時期がくる、って考えていた。
でも、それは鴨東線が開通する=7000系を作るときじゃなかった、ってことさ。1900系は、更新工事が終わったところだし、2600系を取り替えるには、まだ5年くらい早かったし。さらにまだ、輸送力を上げるために、通勤車両・特急車両を増やさなきゃ、って状態だったんだ。
そのタイミングを、狙って作られたのが、歴史上の7200系なんだよ。インテリアや先頭車のエクステリアが、しっかり考えられてるよね。たけど、このときですら、まだまだ車両を増やさなきゃ、って感じだったんだよなあ。
7000系は、6000系を基本に、インバータ制御の通勤車を作る、ってことだけに集中してるから、車体が6000系と、ほとんど同じじゃん。同時に設計をやっていた、8000系のほうに、そのぶんの力を注いだ、っていうところ。8001編成を作ってるときには、3000系を取り替えることを、決めちゃってたわけでさ。 >>437
先に9300だけ作ってその後は1000を史実より早く登場というわけにはいかなかったのか >>443
阪神は車庫ごとやられたので車庫復旧まで車両を補充するわけにはいかなかったらしい >>450
阪神9000は車庫復旧に合わせて搬入された >>451
保安装置の問題で広島配置となったらしい >>458
旧8000も量産前提だったがコストの問題で見送り >>459
南海の新カラーデザイン検討に関して路線別(南海線が青、高野線が緑)とする案もあった模様 >>461
幻のビジネス特急が実現していたら10000は2連のままだったろうか? >>463
一応空白期間(97〜03年)に車両を作ることは考えていたのか >>469
ちょうど新カラーデザイン検討と並行して新造車の方針を検討していたみたいだからね >>899
普通に考えていたが、西淀川区中島の不動産投資失敗、減損会計導入で、
アルナごとあぼーん。 >>898
南海電車に、インバータ制御の通勤車両・一般車両に連結できる、「サザン」や「りんかん」に使う、インバータ制御の特急車両が登場していたら、10000系は、2両編成が10あったので、4両編成が5つに、改造されていただろうね。
>>892
阪急電車が、京都本線の特急車両として、9300系を作ってるとき、神戸本線・宝塚本線でも車両の取り替えを、やりたかったんだよね。
はじめのころは、5000系の更新工事だって、そのままの内容で続けられるか、わからない状況だった。それがだんだん、新しい車両を作れるかも、って感じが出てきたんだけど、"8010系"の設計も、9300系が登場したあとになると、古くなっていて、車体を日立製作所で、作りにくくなっていたし、GTOサイリスタで動くインバータ制御装置とかも、東芝が作ってくれる状況じゃ、なくなっていたし。
作るために、コストダウンがいろいろ考えられて、そのときは、9300系を基本に、神戸本線・宝塚本線で、使える通勤車両にするのがいい、ってなったんだ。それが、9000系だね。
もし9300系を、まとめて作りきってしまったとしても、そのときですら、待てる状況ではなかったし、いまの1000系を、作ろうとしたら、設計が(9300系と)ぜんぜんちがうから、コストダウンの意味がなかったし、永久磁石の同期電動機も、システムの全体で値段が高かったしね。 >>478
207-900だがあの時に103が火を噴かなければ延命していたかもね >>410
8000-7次車の車体が6次車以前とは違うものになっていたと思う
でその車体が総合で作れないと判断し近畿に鞍替え、同時に電装品を見直したことにより新形式8300になった >>484
国鉄時代は逆に関西から関東への転用もあったのか
となると201関西車/205関西車も国鉄分割民営化が無ければ関東に転用された車両もあった可能性 >>479
30000の貫通化は車体強度不足のため見送り >>493
新塗装化が史実より1年ほど遅かったかも >>495
阪急8000の塗装案に北急8000ぽいものもあった >>496
50000はラピート利用客数次第では中間車の増備があったかもしれない 車両ではないが、南海線も10両を運転する構想があったみたいだね >>904
南海電車の8000系で、8014編成〜8018編成のぶんは、契約的にオプションみたいになってたから、旧東急車輛として、追加で4両編成を5つぶん、作れる状態にはしておきますよ、ってところだったんだ。
2レベルIGBTのインバータ制御装置の、省エネルギー性能をうまく使って、走る性能の面で、加速がかなり改善されて、良くなっていたんだけど、車体のエクステリア・インテリアが、あんまりな仕上がりだったし、インバウンドの利用者が増えつつあったから、そのための設備を、整える必要も出てきてた。
さらに、全密閉式の誘導電動機が、使いやすい状況(買うのに補助金が出る)になっていたし、SiC素子のインバータ制御装置も、開発の動きが活発になってきて、車両の設計の全体をやりなおすには、ちょうどタイミングが良かったんだよ。
20両ぶんの新しい通勤車両は、どちらにしろ作るつもりだったから、オプションで8000系を作るってことを、しなかっただけだね。
>>905
国鉄にとって、201系・205系は、新しい通勤型電車だったわけだけど、大阪鉄道管理局・天王寺鉄道管理局において、東海道・山陽緩行線の、ほかの路線でも使いやすかったのは、205系だったから、使いまわすとしても、東京のほうへは行きにくかっただろうね。
あのとき201系は、大阪環状線(と山手線)ですら使いにくい、っていう考えかただったから、東海道・山陽緩行線のために、(E231系みたいな)インバータ制御の通勤型電車が作られていたら、東京のほうへ、まわされていたかもしれないなあ。 少し早いですが。
ワッチョイは自治スレを立てて板住人の意見を集約してからでないと導入できないそうなので悪しからず。 >>811
東武でも日立後期GTOを導入していたら東急2000が東武に乗り入れていたかもしれない >>891
そもそも西武が6000を今後の標準車としていたんだったら、9000なんか作らない筈だけど >>403
結局、西日本も201を全廃することになったから、
仮に東日本201が西日本譲渡されていたとしても323導入のタイミングで消えていたと思う >>512
そもそも当時南海線用に車両を増備する想定が無かったような >>522
これらは全て当時の財政難で立ち消えになったものだから >>593
新形式とは言っても史実9000に相当するものだったと思う
101の4ドア新造車体への載せ替えは4000登場段階で既に決まっていたらしい >>592
H特急(当時)が満席だったため座席数確保ということで高野線にも21m特急車を導入した模様 >>915
>>919
あれ?キミ、矛盾したこと言ってるよ。「101の4ドア新造車体への載せ替えは4000登場段階で既に決まっていた」わけでさ、9000系は、基本の通勤車両とかいう定義に、おさまらないわけじゃん。
西武鉄道の通勤車両としては、6000系が、もう基本になっていたけど、所沢工場で作るために、普通鋼製の車体じゃなきゃいけないから、新2000系のものに、近い設計を選んだんだよ。よく調べて、考えてから、モノを言うようにしようね。
>>916
そのころのJR西日本としては、大阪環状線・ゆめ咲線・大和路線・和歌山線(王寺〜高田)・桜井線・おおさか東線でしか、201系は使えなかったから、JR東日本から譲り受けても、JR西日本が持っている両数より、多く持ったとしても、使えるところがないんだよなあ。 >>913
名鉄はパノラマカーで10両の試運転が行われていたと聞いたような気がするが、
少なくとも京阪と西鉄の10両化は計画すら無かっただろ >>182
グリーンラインは最初の2編成が戸袋部のステッカーが青だったが営業開始前に3編成目以降と同じ緑に変更された 仙台市営2000系の初期デザイン案(メトロ新05系に似たような曲線だった) 福岡市営3000系の初期デザイン案(2000系を反転させたような前面で、少なくともドイツデザイナーではなかった) >>301
阪急8200は当時の結果次第にもよるね >>289
当時の大阪市営は電装品は三菱/日立/東芝の3社並行納入だったから東芝限定のPMSMを入れる余地は無かったはず >>291
泉北は5000以降を独自設計としたのは泉北の直営化が理由らしい
でその直営化に影響を受けて南海が塗装変更された >>922
いやいや京阪電車も、京都市内の地下線や鴨東線を作っていたころ、そして、中之島の新線も考えていくにあたって、10両編成の運転を、すこしずつ準備しだしていたんだよ。 JR東 E653系ひたち紫色版
イラストは筑波山の予定だったとか JR東 E653系ひたち紫色版
イラストは筑波山の予定だったとか 京都市営烏丸線に導入予定の新車のA案とC案もここに仲間入りなのかね? 大阪市営(当時)66系は完成予想図が公表された段階では新60系と仮称されており、パンタグラフも菱形の予定だった
(実車は下枠交差型となった) >>443
国鉄時代だったらむしろそれ以前に103のATC車が関西へ転用されていたかもしれない >>498
阪和線の通勤型の快速はロングシートが不評だった模様 >>559
9000のデザイン案の中に8000をステンレスにしたような案もあったからそれの可能性もあるのでは? >>671
阪急9300にロングシート版(9000の京都線版)の想定は最初から無かった模様 >>538
それ以前に東103は1997年頃に故障しまくったことが理由で全廃が前倒しになったとも
103全廃前倒しのために急遽作られたのが209幅広車 >>542
福知山線の事故が無ければ321を更に増備し(同時に片町線全線7両化)、207を天王寺口に転用していた可能性まであったと思えてきた >>568
当初予定では埼京E233と相鉄11000は同時期に並行して導入される予定だったが、急遽京浜東北をE233化することになり、結果埼京のE233化が遅れたためこうなってしまった
(ちなみに209は当初計画では全車に機器更新を行い京浜東北線に残留する予定だった模様) >>569
東急9000は当初計画ではメトロ7000/西武6000/東武9000同様に副都心線対応化を行い東横線に残留する予定だった
中止になったのらATOの停止精度を満たせないだけでなく、電機品の更新時期に来ており、総合的に判断した結果更新せず5050増備になったというもあると思われる >>570
阪神は3801登場時点で既に近鉄に乗り入れる構想があったのか >>566
むしろ抵抗制御の方が扱いやすいが省エネ効果には欠ける >>569
小田急2000は当時の小田急が迷走していたというのもあるので千代田線直通は最初から想定されてただけという可能性 >>814
平成初期にアルナ工機から東武通勤車用のデザインパースが2案ほど出されていたらしいが、
恐らくは史実の10050のタイミング辺りで10000系列と連結可能な新形式を計画していたと思われる
それが諸事情で10050になったものと推測 >>801
東急5050-4000は>>947にもあるが9000東横線残留断念で5050増備となった際に番号が破綻したため発生したもの
本来ならば5050は少なくとも24編成程度での増備で打ち切りになっていたと思う >>946
(E233-1000緊急導入は後のホームドア設置と6ドア廃止への方針転換も絡んでそうだが) >>947
(都営6000も当初は三田線に残留する予定だったがATO対応改造コストの問題で6300へ置き換えとなった) 西武30000導入前に検討されていた新通勤車用デザイン案 >>948
ってかさ、近鉄の18200系が作られたとき、これが阪神電車へ乗り入れるんじゃないか、って言われてた・・・
>>945
福知山線の脱線事故が、なかったとしても、それまでに考えられていたのは、JR神戸線・JR京都線などの通勤型電車を、207系・321系でそろえるところまで、だよ。学研都市線の同志社前〜木津は、4両編成しか運転できなくって、7両編成を使えるようにすることは、言われてなかったからね。
JR西日本として、新快速を時速140kmで運転するための"225系"や、381系を取り替えるための"新283系"とか、まだまだやることが、あったからねえ。223系の快速を、阪和線や大和路線で増やすことも、大事なことだったし。
インバータ制御の車両が増やせるように、変電所を増やしたり強くするってのも、少しずつやってたんだけど、阪和線・大阪環状線・大和路線とかでは、まだまだって感じだったし。阪和線は、しばらく103系(体質改善車)・205系を使わなくちゃ、ってところだった。
JR神戸線・JR京都線のつぎに、321系を作るとなったら、大阪環状線の103系・201系のうち、103系のほうを取り替えるためだけ、って感じ。 阪和電鉄の流線型蒸気「はなたちばな」が実現していたら、パシナ以上の人気があったはずです。 東武9000のデザイン案に20000を20m4ドアにしたようなものもあったような記憶 >>775
南海の史実1000は当時の在阪鉄道事業者がVVVFブームだったために、
その他社VVVF車に対抗する車両を導入するという声が社内で挙がったこともあるんでは?
当時は近鉄/京阪の通勤車と阪急が長期的にはVVVF車に統一する方針だったし、
大阪市営(当時)も非冷房車淘汰用にVVVFの新20/66大量増備、
JR西日本も207をVVVF車として開発、
そして南海の乗り入れ先の泉北も5000がVVVF車 >>777
南海の塗装変更理由は当時の社長が「関空にグリーンの電車を入れるな」って言ったかららしいが >>549
考えたらJR西日本が207登場段階で103 も早期廃車とするなら103の内装更新もこの時期で打ち切りになっていて黒サッシ車なんか出ないだろうな
黒サッシ車は207登場後〜震災前の改造だし >>776
南海の史実1000は>>963にもあるが当時の在阪私鉄他社に対抗できる車両ということで塗装車体になったというのもあると思う
当時の在阪私鉄5社で、無塗装車を積極的に製造していたのは南海のみ(他4社は全て塗装車) >>551
阪急も車籍登録は営業開始日
なので営業前の試運転の段階では車籍は登録されない >>917
南海三大事故があって投資を抑制していたのも南海本線車両の空白期間があった理由と思う >>963
んー、そういう感じでも、ないんだよなあ・・・
南海電車では、2000系ができあがったとき、"9100系"・"1000系"とかの、基本的な考えかたや方向性が、決まっていたんだ。京阪電車では、その半年前に、7000系ができあがったとき、1900系・2600系・2200系・2400系・1000系を、インバータ制御の通勤車両で取り替えていきたい、っていう考えはあったけど、7000系そのものでは、やるつもりがなかった。
この2つは、ほぼおなじタイミングのことだったから、京阪電車の話が影響した、ってのはないなあ。
大阪にある大手の私鉄で、インバータ制御については、近鉄電車が先行してたね。通勤車両(と急行車両)で、ドンドン作っていくつもりだったけど、見とおせる将来の計画として、すべての通勤車両を、インバータ制御でそろえるとか、そこまで考えられる状況なんか、とってもじゃないけど、なかったよ。いくつか考えられてた、新しい特急車両のことも、あったしね。
そういうことでは、阪急電車のほうが、8000系・8300系を完成させたときに、それまでの通勤車両は、これから更新工事とかをせずに、インバータ制御のものへ、そろえていきたいって、いろんなところで、言ってた感じ。
ほかの大手の私鉄の動きに、南海電車が合わせたってよりは、9000系を作ってるときから、2000系のことをふくめて、いろいろ考えていたので、インバータ制御の系式としては、あとのほうだったけど、ほぼおなじころの話だよ。
>>966
大阪で、ほかの大手の私鉄と対抗する、とかじゃないねえ。それまでのイメージを変える、っていうことだけだったなあ。 京阪の新塗装の検討にあたっては、通勤車はそのままの案もあった模様 >>965
そうだよ。JR西日本が、207系の0番台を作ってたときってさ、学研都市線の103系だけを見たら、取り替えることになってたんだけど、JR西日本の、すべての103系を見たとき、取り替えなんて、できてなかったんだよなあ。
アーバンネットワークの各路線へ、輸送力を大きくするためとか、よっぽど傷んでいた車両を、少しだけ取り替えるために、余った103系を、振りわけるくらいしか、できなかったんだ。103系より、113系の取り替えを、急いでいたしね。
片福連絡線を開通させるぶんや、クーラのない近郊型電車を取り替えるぶんとか、1000番台を作りつづけても、まだまだ103系には、手をつけられなかった。だから、103系の体質改善工事を、はじめたんだけどね。 南海の幻の9100系関連
>9100系は2000系を大型化したような外観だったのかな?
>7100と22000、11001系2次車と21000系の関係みたいに
>9100系はどのような車両になるつもりだったんだろうか
>2000系を20m化したような車両だったんだろうか
>あと1000系の仮称が9100系だったという説もあるね
>1000系登場時に渡された図面に9100系と書かれていたものもあったらしいけど
>その9100系試作車が1991年登場予定だったんだよね?
>9100系はどのような車両になっていたんだろうか
>過去に出回っていたのを含めて
>・試作車
>・1000系の仮称(1000系登場時に渡された図面に9100系と書かれているのもあった)
>のどちらかなんだよね
>A 9000系の車体にVVVF
>B 1400→1420→1422のように、9000系をモチーフにしてドア配置を均等にしたり拡幅したり
>C 9000系の車体がビードレスになりコンビランプになり…?
>D 1000系狭幅版そのもの(拡幅版が1000系と呼ばれるようになる)
>E 2000系前期車の20m版 >>972
幻の9000増備車が既存車とは違う車体になっていて番台区分or別形式になっていた可能性 >>492
南海の90年代前半の車両計画変更はとどめは社長の鶴の一声だろうけど、
その前から2000の従来ズーム車との相性とか、9000増備車の車体を変更する前提など色々議論はあったと推測 >>975
「社長の鶴の一声だろう」・・・関係はないねえ。だって、そのころの社長はずっと、吉村茂夫氏で、変わらなかったんだよ。10000系を作ってるときから、11000系まで、南海電車にとって、車両が激変する時代を見届けた代表取締役は、1人しかいなかったのに、まさかそれも調べずに、そんなこと言ってるの?
"9100系"・"1000系"が考えられて、その方向性を認めていたときから、歴史上の2000系・1000系への変更まで、おなじ人が見届けたんだよ。社長が望んだってわけじゃ、なかったんだ。
「2000の従来ズーム車との相性」?もし、2000系と、21000系・22000系(2200系)との連結のことを言ってるなら、そんな問題なんて、実際なかったから。
高野線の特急・急行が、金剛に停まるようになったあと、ズームカーの急行で、混雑がひどくなったりして、お客さんの乗り降りに時間がかかるから、電車の遅れが、目立つようになってきたんだね。
それは本当のところ、停車駅が増えたのに、21mの4ドアの車両じゃなくって、17mの2ドアの車両を使っていたことが、原因だったんだよ。なのに、3編成が残った2200系のせいで、連結のために、2000系の性能を落としてるからだ、っていう理由をつけて、南海電鉄の内部的に、片付けちゃったわけさ。
2200系が、高野線からいなくなったとしても、2000系の性能は、上げられなかったんだよ・・・ 南海1000系(現在のもの)は設計段階で6200/旧8000/8200/9000を踏襲し先頭Tc/中間Mの案もあった模様 神戸市営地下鉄3000形没案(記憶があるもののみ)
・黄帯(前面も異なる)
・青帯/非常口完全左寄せ/前照灯中央配置
・青帯/非常口中央配置/前照灯周りが営団新05系風
・赤黄帯/窓周り黒/前面は横浜市営地下鉄3000A形に類似
・赤茶帯/前面はJR西日本207系のような曲線
・青緑帯/前面は窓が一段出っ張っている
・青緑帯(現在の6000形の帯に類似)/スカートあり/前面は都営6300形に類似
・史実の3000形とほぼ同じだが、幕板のラインが無い
・塗装は1000/2000形踏襲/前面は営団05系に類似/中間にダブルデッカー車組み込み
の案がそれぞれ存在した
図のアルファベッドからすると更に案があったものと思われる 都営5300形はスケッチ段階で8種類ほど前面形状が検討された
前面形状が定まった段階で非常口を窓無しとする案や、窓周りに帯を配す案(赤帯のみと赤/黒帯の2種を検討)なども検討された
窓下に帯を配すことに決定した段階でも、当初は5000/5200形踏襲で赤帯のみの案も検討された 南海22000系は水間鉄道に譲渡する構想があったらしい >>981
水間鉄道が501形・551形を取り替えるとき、南海電鉄に、22000系を譲ってもらえないかって、話をしたんだよ。
だけど、南海電車にとって22000系は、更新工事をやって、まだまだ使う系式だから、それには応じられない、ってなったわけさ。 >>921
元々使用できる線区が限定されていてそもそも阪和線では使えなかったのか<201
結局103の方が使いやすいんだな >>983
201系ってさ、作られたときのままだったら、大阪環状線で使うことすら、できなかったんだ。関西では東海道・山陽緩行線くらいしか、201系が使えるところって、なかったんだよね。
山手線なんかもおなじで、電機子チョッパ制御装置を、203系みたいにしないと、制御装置や主電動機が冷えない、ってことがわかってた。だけど、203系みたいにしちゃうと、こんどは高い速度の運転が、しにくくなっちゃう。
JR西日本が、201系を使い回そうと、阪和線・大和路線・大阪環状線とかで、深夜に試運転をやったら、阪和線・大阪環状線でやっぱり難しい、っていうことになった。なかでも、阪和線の普通がね・・・阪和線の快速なら、問題なかったんだけど。
そこで電機子チョッパ制御の、回生ブレーキに関係するところを、工夫してみたんだって。そうすると大阪環状線なら、使える状態になって、そのあとは、みんなが知ってるとおり。
「結局103の方が使いやすい」?103系を、取り替えたいわけだからさ、福知山線の脱線事故が起こるまでは、103系の体質改善車を、しばらく使うつもりもあったわけだけど、さっき話した201系の試運転をするまえ、もっと言えば321系を考えるまえ、JR西日本的には、205系がもっとあればなあ、って感じだったんだよ。 >>931
もしかして特急のダブルデッカーは10両化が立ち消えになったための代案?
(要は座席数を確保するため) >>985
阪急電車は京都本線で、10両編成の運転をする準備が、進められていたとき、6300系や6330形に、2両の動力車のユニットを、それぞれ追加することが、考えられていたね。
京阪電車は、>>931のような考えかたで動いていたけど、8000系も、まだ7両編成で作っていた(3000系のとき、3両編成の特急もあったのが、やっと止められた)くらいでさ、8両編成にすることは、難しくないけど、そんな日が来るのか、って感じだった。阪急電車とちがったのは、10両編成は、通勤車両のことしか、頭になかったってところ。
京阪電車は、通勤車両の取り替えより、輸送力を強くしなきゃって状況が、阪神大震災のあとも、続いていたんだ。特急を利用する人たちも、増えてきてたし。9000系を作ったり、8000系・旧3000系を8両編成にしたのは、朝のラッシュタイムに、混雑するからって事情が、大きかったかなあ。だけど10両編成の準備は、進められる感じじゃなかった。
二階建ての車両は、どっちかといえば、あのころ、南海電車に50000系だったり、近鉄電車も23000系だったり、話題になるものが登場して、京阪電車としても特急に、テレビカー以外でなにか、目立つものが必要になってきていた、っていう事情が、強くはたらいたからだよ。8両編成にするとき、定員の増えかたも大きくなるし。 >>984
関西の205はタイミングが悪かった
JR西日本発足後に在阪私鉄に対抗できる車両を導入する方針で無ければ、もっと増備されていたかもしれない >>987
え?「JR西日本発足後に在阪私鉄に対抗できる車両を導入する方針で無ければ」?なに言ってんの?国鉄の大阪鉄道管理局・天王寺鉄道管理局とも、できることは限られていたけど、やれる範囲で、大阪の大手の私鉄にやられきってしまわないよう、ずっと踏ん張ってたんだよ。
だから国鉄の終わりには、東海道・山陽緩行線の103系をすべて、205系で取り替えて、余った103系の冷房車を、阪和線の冷房化の比率を上げるために、使おうとしてたし。113系の、非冷房車や冷房化改造の試作車を、取り替えるために、東海道・山陽本線の快速や、関西本線の快速へ、211系を新しく作ろうとしてたんだ。
JR西日本になってから作った、205系の1000番台だってそう。205系を基本に、時速120kmでの運転ができるように、回転数が最大にちかいところまで、主電動機を使おうとしたんだね。これは無理があって、主電動機の余裕を使うにしても、221系では限流値を、大きくして使うことが考えられたけど、やっぱり傷みかたが、早くなるだけだった。
このとき、205系を作りつづけるという選択肢は、なくなったんだよ。
実際に、221系を作るころには、片福連絡線のために、インバータ制御の207系の0番台を、作ることが決まっていて、少しでも安く作るために、インバータ制御装置を汎用トランジスタで、動かせるようにしたんだね。アーバンネットワークの路線なら、どこでも使えるように考えられて、それからの通勤型電車は、そこが基本になっちゃってる。 >>988
あなたの書き込みは根拠や出典書かないから
他人から見たら本当のこと書いてるのか分からないんで
その点何とかしてくれないか? >>989
5ちゃんねるの書き込みに、いったい何を求めてるんだい?自分で調べなきゃ、いけないよ。 >>990
そうやって逃げるんだw
嘘ですって言ってるようなものだな >>993
> 信じるも信じないのも自由
そういうレベルの書き込みってことなんですねw >>913
仮に東急や京王が18m標準のままだったら今頃は東急/京王も京急のような12両運転が行われていたかもしれない このスレッドは1000を超えました。
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