当時の異様な景況感に加えて
自社商圏で鶴見花博を控え

京阪に限らず
大手各社は各々遠大な目玉事業を打ち上げ
積極投資する強い動機があったのだが

>>302
S36年以前に登場した
高度成長期本格化前の
大手各社の通勤車一般車形式は
仕様成熟前の作ということもあり
ちょうどその頃に置き換えが進められ

在阪では同世代の京阪2600-0が
昇圧対応と冷改で装備一新されて浅い年数
という特殊な存在に

しかし車体や台車がやはり旧状で
維持管理や接客面において
新形と比べれば見劣りする面は否めず
S53年改造車は既に13年近く運用され
S57年改造車も6年後のH7年に
やはり法定耐用年数を迎えると

前述の通り
電鉄を巡る環境と他社動向を鑑みれば
構想通り7000で置き換え開始
または8000増備完了後に
決定版新形つまり史実の7200で
となっても何ら不思議はない状況だった

しかし7000の段階で押し留めたのは
置き換えるには惜しい2600の状態
それより3000で何らかの更新が急がれ
そして指摘の通り
車両全体の増強継続が必要だと