改造車ではない初期の座席車であるナハ20等のハ級座席は、シートピッチ925mmの回転式固定クロスシート(おそらくT13系統か)であり、
スハ44みたいなもの
リクライニングシートではなかった
さらにその初期タイプは乗客による回転が不可能であった(後に、乗客による回転ができるよう改造される)

なので、体を伸ばせられ、しかも一人分のスペースが確保されている寝台車の需要は今では考えられないほどあり、
10系改造寝台車が誕生する原因にもなる
20系の場合は、後に座席にも需要があったもののそれを上回る寝台需要があり、更に昼間特急列車の運転が増えていたため、
列車毎の寝台座席分離を行える状況ができたので、やった

出張時寝台料金が出ない規定は昭和50年頃まで「官公庁」にあった
なので、東京−博多間のナロ20だけが残った