153系・165系・キハ58など急行型車両を語ろう 12 [無断転載禁止]©2ch.net
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映画ドラえもん・僕が生まれた日に
165系が出ている 163 ひろみ
164 ひろし
165 ひろ子
166 ひろむ 153系が早々廃車になってしまったのに対して471系が最近まで残っていた
(厳密には機器が413系で現役)という差は何だろう。 一番の理由は田舎だからだよな。都市圏が3世代進んでから1世代進む感じだから
そのくせ交流だの非電化だので、機器が多くて運転台も多いからお値段が高い
さらに民営化絡んでるから、稼げないとこに新型なんかいれられるもんかって感じで
国鉄→JRを跨いだ車両は長寿になっちゃったのが多い 451と471であれだけ違うのみればそういうことなんだろうね
それに153系ってあれ以上生かすようなお仕事なかったよね 東北・上越新幹線開業などで
165系が捻出されてきたのもあるだろうね 最低でも4連以上だし山岳線区と寒冷地には不向きだしな 確か451系と453系は一部の機器が719系に流用されたのでは >>172
4連以上が長過ぎず急行形でラッシュ時凌げる直流区間って考えてみれば思いつかないよね >>175
中央線は確実に無理だよね
東海道は行けた? >>175
浜松―大垣で快速を中心にモノクラス8連で運用されてたけど
1982年の117系投入で淘汰された >>176
4M4Tの8両だけど、中津川までは入っていた。 そう考えたら153系はやっぱり優等車両だよな
117系はデッキなしで一応通勤対応可、吊革がズラリと並ぶ3扉車は2人掛けシートでも完全に通勤車両 171系(185系の本来あるべき姿)
461系(171系の交流対応版)
751系(171系の交流専用)
71系(171系のディーゼル版)
などができていたら今でも各地に急行が走っていただろうか。 振り子式版とか
東京地下駅乗入版とか
碓氷峠協調版とか >>181
211系の顔と車体構造の急行型なんて妄想してしまう。 「幻の国鉄車両」読んでみましょう
思いつきそうなことは、検討されてた。 新潟の115系も来春引退
あの153系から受け継がれた湘南顔ともおさらば
三面で左右を後退させたデザインはやっぱりセンスがある
今の切妻顔の近郊型はコレジャナイ感がする キハ58。
冷房の有る無しで華やかな急行運用か、ジミーな普通運用かになってた気が。。@豊岡
んで列車格差。
急行崩れの普通列車はたいがい客の少ない早朝夜間の末端。
急行区間は冷房動かしても、末端になると「冷房を切らせていただきます」@急行丹後orz
んで。
昔の夏ムーンライト山陽広島行(14系客
で夜に冷房切りやがった。途中長時間停車でもう蒸し蒸しして空気澱んで。。
換気目的で送風くらい動かせよと。
急行型って窓を開けられるメリットあったよなあ。 鳥取あたりでは砂丘、さんべ、ちどりなどの編成が
朝夕の通勤や区間ローカルとして運用されていた。
若桜線、因美線、本線倉吉鳥取間等冷房稼働。 だいたい、急行型電車の最高速度が110キロなのに
キハ58系は95キロだもんな。
キハ80系、キハ183系で100キロだからそれを言えばおしまいだけど。
キハ181系は例外として。 幹線でも非電化単線のとこじゃ線路側で最高85キロの路線も多かった時代、無理もないが。 地方の道路が、未舗装→舗装→隘路改良→高規格道路となり自動車の性能アップするなか
急行ディーゼルは鈍足で切り立った椅子のまま
そら競争力を失いのたれ死にするわ 急行の客を奪ったのはまず格上げという特急化で
そこまで高速化できない路線では高速バスが奪った。
90年代中心の10年余りは急行形に特急用リクライニングシート
換装車でギリギリ保って廃止まで耐えただけ良いか。 地方に高規格道路道路が伸びて来た時代には
大半のキハ58系列なんて電化や急行の廃止で普通列車に使われていたんだが…
知ったかぶりしてもな 宮脇俊三氏の体験にもあるように乗り遅れた花輪線の急行をタクシーで追いかけ、途中で工事箇所ありガソリンスタンドへの寄り道ありで追い抜いてしまう
まだ地方に高速道路もなかった1970年代、すでにそんな状態 >>195
お前の言うところの「高規格道路道路」とやらと>>193の言う「高規格道路」というのは意味が違うと思うぞ RJ、43.10寸前の千田夏光氏による中央西線の紀行文の中で、
気動車急行赤倉が鳥居峠でトラック2台に続けて抜かれるとの記述がある。 大垣夜行(現・ムーンライトながら)に急行型が使われていた頃の最末期は、レギュラーの田町167(当然東海色)の他に、新前橋の165モントレーカラーや、三鷹169の甲州色が助っ人で来ていて、ほんとに最後の華を咲かせていた感じだった。
特に名古屋で見た169甲州色は、普通なら東海エリアに来ないカラーと車種で、ほんとに華があった。 >>202
ナウなヤングだから赤倉は165系のイメージしかない
俊足ぶりは信越海線だけで、山線から普通列車になり長野から上田・小諸まで
快速だったような >>203
定期が373系化された後の臨時が急行型のままだった時代も結構種類が豊富だった >>63
それは205の側窓と同じ構造
そのため、117系100番台は、西日本限定にもかかわらず、ボルスタレス台車とセットで、東急車輛で作られた。 >>208
東海向けは先頭車のみで、全て日車でしたね。
あと、西日本向けは、東急のほかに、川重と近車が作りました。 サハシは本来の用途から外れても
電源として重宝したって本当? >>210
アルプスに結構後まで連結されていた理由 サシ581も外せなかったんだよね
サハシは普通車込みだからまだよかった
それとビュフェのカウンターテーブル愛用者が居たというのも何かで読んだことがある アルプスは受け持ち区のクハがに余裕が無くて
東北・上越新幹線開業で余剰クハが転属してくるまで
MG載せてたサハシを外せなかったと鉄ピクで読んだ記憶
記事載ってる号が発掘出来なかったよorz >>215
モハ165がいた分クハも多いと思ったらそうでもないのか
むしろサハ165が少なかったとか? >>214
登山客の荷物置き場と化していた
アルプスのビュッフェ >>216
クハはたくさんいたよ。153系の短編成化はクハ165で実施した。だからMMユニットが少なく(21組)、McMユニットばかりなのに上り向きのクハ165がたくさんいた。
サハ165は少なくてオリジナルのサハ165は11両だけ。新潟と一部が神領にいただけ。最後はクハ455への改造分を除いて長野に新急行として転属した。
神領ではサハ165の不足分はサハ153で補ってた。クハやサハシと違って改造しなくても(KE57とKE64は互換)165系の編成機能は殺さないので改形式されなかったとのこと。 >>218
松本の話なんだけど
それ165系全体の話だよね やっと発掘した鉄ピク2007年10月号に記述があった
アルプスは新宿方から
McM'TsTsTbMcM'Tc+McM'TcTc
とう編成で付属を4両にする都合で基本からTb抜くとMG容量が足りなくなるとの事 >>219
218です。斜め読みでごめんなさい。
松本だったら確かに上り向き(偶数向き)のクハはいませんね。失礼しました。 457系があとどのくらい製造されたら、しらゆきを電車にする事できましたか? >>221
白馬を併結していたから、何両製造されても電車化されなかったのでは? 電化幹線から非電化支線乗り入れ用として
急行型電車と強調運転もできるパワフル気動車が開発されてたらね。
(90系気動車・量産型?181系気動車の急行用?)
他にクハ455にガスタービン積んで、それで発電してクモハ455(475)とモハ454(474)のモーター回して
非電化区間に突入なんて案もあったみたいね。 >>222
一つの案だが、当時のしらゆきの両数からすると、
McM'TsMcM'Tcが金沢青森往復で2本+予備1本
増結用として、McM'Tcが金沢秋田往復で2本
まとめると、McM'が8本、Tcが5両、Tsが3両、計24両
ただ問題が多すぎ
「きたかみ」を絡めた運用(秋田持ち)で、秋田青森間は併結となっていたが、
運用上は簡単に分離し別運転に出来るも、その分乗務員等が必要、
また、秋田青森間は線路容量が結構厳しかったと思う。
続く また、他の人がレスしている通り、金沢糸魚川間で併結している「白馬」が困る。
これは3両では単独運転は勿体無い、かといって他に適当な併結列車もない。
更に金沢口で七尾線ローカルの通勤輸送に使用しているので、
電車化した場合、その手当ても必要となる。
なお、電車化した場合の持ちは金沢、「ある程度は」北陸急行と予備が共通できる。
青森では予備車分が更に必要(しらゆき専用になる)、秋田は当時電車の配置なし。
青森が持つか金沢が持つかで編成の向きが逆になる。
結局、電車化するメリットはさほど無く、気動車のままだらだらと走らせたのが現実じゃなかったかな。
どのみち特急格上げが見えていたこともある。 >>227
その手があったか。
電化あるいはディーゼル機関車化されていたから、そこそこ行けたかもしれんな。
ただ気動車よりは多少所要時間が延びるかもしれんが、ごめん、そこまではわからん。
以上、長々すまぬ。 昔の鉄道ジャーナルで、急行列車・日本縦断の旅みたいのを二か月連続でやってたけど、
俺が興味を持っていた幹線系の電車急行には殆ど乗らず、
支線系の気動車急行・乗車レポートばかりでがっかりしたな。 >>232
読者予想(編者)が東京思考で電車より気動車・客車の方が価値あるという偏向は永年あるね。 しらゆきだけならさておき羽越奥羽線に何がなんでも電車急行だけ絶対入れない
!みたいなの感じられて結構嫌だったなe129系電車今でこそ走る村上以南さえ
2往復除き電車ではなくて客車か気動車 >>234
爺さん初カキコかい?
こんな感じで改行すると良いよ
しらゆきだけならさておき羽越奥羽線に何がなんでも電車急行だけ絶対入れない!
みたいなの感じられて結構嫌だったな
e129系電車今でこそ走る村上以南さえ2往復除き電車ではなくて客車か気動車
これでもてにをはや語順等おかしいけども
羽越あたりは当時の状況考えると仕方がないよ
急行型自体増備する時代じゃなかったし
457系増備したらまるごとキハ58系が余っちゃうんだから 九州も長崎線が電化したのに急行型電車は入らなかったな。
鹿児島線や日豊線では急行型電車を普通列車に使う余剰があったのだから、
それを「かもめ」「みどり」の急行版に回しても良かったと思うが。 中央西線や紀勢線は振子型電車急行走らず旧型ディーゼルのまま、特急地下駅も快速が乗入仕様なのに急行は旧型のまま両国行き。
やる気がないのは昭和40年代から >>236
グリーン車が足らなかったという理由をこじつけてみる、これではないと思うが。
出島・弓張は両方にグリーン車連結、出島8両弓張4両。
これを当時の九州電車急行でやろうとすると、
TcM'Mc・Ts(Tb)M'Mc+TcTsM'Mc (当時Tbは休車はったような)
で、付属編成にTsが入る形にでもなるのだろうが、
S51時点では交直流サロの余剰はなかった。
まあ当時乗車率の低かったであろう北陸から持ってくるという手があったと思うが、
この基本編成では気動車に比べると輸送力は落ちる。
どのみち特急格上げが見えている、で、やらなかったのでは。
>>237
昭和40年代後半には、普通以上は特急と快速にしていくという方針が決定していた。
振子電車という地上を含めて高価な車両を、金の取れない急行用として造ることは出来ない。
また東京地下も、新製するなら特急型、急行型には金かけて不燃化ATC搭載するまでもない。
長々すまぬ んなー事より、貴重な58系のカラー映像が一杯ですぜ。
余目鉄橋も。そこから飛び降りちゃう位です。
『夢千代日記』見なはれ。早坂さんの追悼番組です。 勾配区間冷房使えるようキハ65少量と本来は急行用じゃなく、万博に間に合わす臨時用として作られた
12系以外は急行用は作らないと決めてたからねぇ 12系きたぐにみたいに客車にするしか、しらゆき客車にするのが関の山なのか。何のために電化したんだと思うが結局、特急のために電化したということだね。羽越本線村上〜酒田間は今も同じだし、電気機関車が牽引をする貨物列車しか、走らなくなった糸魚川〜直江津しかり。 電車はお高いからな、特に交直流。急行型は制御車が多いし
まぁ田舎の大都市への直通信奉で上野口でも大宮に新幹線くるまで非冷房キハきてた
からな。便宜上長距離にしてたしらゆきにそんな車両いれられないでしょ >>236
鹿児島線や日豊線では急行型電車を普通列車に使ってたのに
その車両長崎本線急行に回したら鹿児島線や日豊線の普通列車どうすんのよとならないかな?
長崎本線からキハ55やキハ58回すのかい? >>237
お前さん相変わらずブレないね
振子式急行型スキーにも限度があるぞ >>241
地方の本線になると貨物無煙化と特急通す以外オマケみたいな形の電化だったからな元々
12系・14系の臨時列車も電機だけはあるので貨物少ない時期にそうやって使うという格好だったし >>241
「車両費のかからなかった電化」と言われました >>246
実際有効活用したからその分は余ってるとは言わない >>241
羽越線関連や長崎線関連の頃の地方幹線の電化は、
特急の電車化よるスピードアップと、
機関車の電機化によるパワーアップが主目的かな。
その頃には急行型電車は製造は打ち切られてたし。 東京大阪間の臨時夜行電車急行で
時刻表に1・2等、食堂マークが
つきながら愛称なし、というのが
あった。豪勢だな。 >>250
それは興味深いな
手元の交通公社1976年10月号の臨時ゆのか
上り51号(大分841―小倉1128)
下り51号(小倉1152―大分1416)
上り52号(大分1453―小倉1727)
下り52号(小倉1736―大分1958)
10/9〜10/11に限りG指定席連結とビュッフェ営業の注釈がある
10/9が土曜で10、11と連休になっているので状況的にはアリと思う
短時間の折り返し運用だし4列車に及ぶミスプリとは思えない
九州では1973年に営業休止のハズだが臨時での運用は続いてたのか? >>229
東北の県庁所在地駅で、唯一急行型電車が入ったことがないのが秋田なんだよねえ。
青森はくりこまがあったし、山形にはざおう・仙山が来ていた。
昼行のおが1・2号など全区間単独だったし、455ど電車化出来たんじゃ? とは思うけど…
出来ない事情があったんだろうな。 >>252
電化が遅かったから
昭和50年以降の電化で急行型電車になった急行って稀有じゃね? きのくにさえ定期はそうだったからな。きのくにが定期廃止され臨時で初めて、165系電車投入されたの結構強烈な記憶勿論南海線乗り入れあったこともあるが 直流電化でも伯備線福知山線は特急化、肥薩線、奈良線は急行廃止 >>256
そう筑肥線の間違い
すまない
急行「平戸」は非電化区間直通だから仕方ないだろうが、奈良線和歌山線の急行「紀ノ川」は全線電化区間、電車化はおろか代替の快速や普通列車も走らなかった
多少は人の動きがある奈良国体の年、急行「紀ノ川」はまったくあてにされていなかった 同じ急行型車両と言いつつ、格はやはり電車≧客車>気動車か。
準急を全部急行に格上げしないで、
幹線系や幹線から支線突入系は電車や客車に限り急行、
支線系と気動車を使用してる場合は全て準急とすれば、
上手く分類できたろうにな。 >>258
気動車のほうが停車駅が少ないことがあった(多かった?)ので
その手が使えなかったのではないのだろうか。 線区によっては長距離急行が客車列車で気動車準急より鈍足というのがあった おがは板谷峠もあるし電車でパワフルに走破してもらいたかったな
キハ58偏重で冷房付なのに使えない事態もあったみたいだし >>521
時刻表の原稿を作成する際に、編成表を鵜呑みにしてビュフェの営業ありに
してしまったという記述をどこかで見た覚えがあるが、真相はどうだろうか。 スマソ
>>521 → >>251
時刻表の原稿を作成する際に、編成表を鵜呑みにしてビュフェの営業ありに
してしまったという記述をどこかで見た覚えがあるが、真相はどうだろうか。 >>253
稀有な例として錦江があるね
すぐに快速になってしまったが >>263
それも考えたけどその号は何故か編成案内頁に
九州の急行は夜行のかいもん4号と日南4号しか載ってない
九州各線の定期電車急行は本文中にビュフェの表記は一切無し
1978年10月改正前まではサロと並んでサハシが組み込まれてたハズなので
営業不可能ではないけど誰か真相を教えてください >>253
50.3改正だけど、
「犬吠」と「水郷」はどうかな
あと「天竜」等の中部山岳ローカル急行 急行赤倉(名古屋-新潟)末期は165系に変わった。 赤倉→新潟発長岡行き普通電車→長岡泊→翌日の長岡発新潟行き普通電車→赤倉又は佐渡→よねやま→長岡行き普通電車
1月11日に新潟発長岡行きの普通電車が15時間も立ち往生したわけなんだけども
165系電車がもし今回みたいな立ち往生巻き込まれたら新潟⇔長岡間だけでなく165系電車の立ち往生がそれこそ遠く、東京や名古屋まで巻き込まれていた訳で
TVで今のように川島冷蔵庫とか所謂、鉄道コメンテーターが頓珍漢極まりないコメントを言うこともなかったのかな?と思う正直言って残念なところではある >>264
ああ錦江って電車入ったの日豊本線全線電化の時だから該当するね
それでもディーゼルも残ったんだよね
>>266
総武本線はそうだね
天竜等は電化自体は早いから
>>267
これも電化自体は早い >>268
165系
DD53
人員の数
直轄管理
国鉄根性
・・・
これだけ揃ってるから
あんな程度で立往生なんかしないだろう >>271
トータルでは、国鉄はけしからんことが多いと思うし
それ故消えてなくなったのだと思うが、国鉄であれば
今回のような長時間立ち往生はなかったともう。
JRは「お客様第一」を標榜しているが、所詮は
コストと風評の天秤で施策を決めているだけだ。 >>272
国鉄は三八豪雪の時
立ち往生した越路号に火鉢持ち込んで一酸化中毒大発生させたんだぞ
そんなことしなくても水補給すりゃ暖房効いたのに 立ち往生しても垂れ流し便所は極力使うなと国鉄の車掌は放送したぞ
情報を入手する術は感度の悪い携帯ラジオぐらいしかなく車掌は高圧的でどうしようもなかった 時速110kmで
雪の塊ボンボン蹴散らしながら走っていた165系。 ほぼ同時期に出た、西の117系(近郊型)と、東の185系(特急型)が、165系もさることながら、「急行型」というカテゴリーの衰退を決定づけた。 165系と言うよりも153系後継車としてRJに当時結構書かれてた様な記憶ある185系特急踊り子使われる様になるのは1981年昭和56年10月だが急行としては
7ヶ月前の同年3月から使われててしかも153系と連結組み合わせ結構あったからいきなり特急にすると顰蹙を買うので、7ヶ月間急行サービス期間設けた思うが >>279
格上げ前のサービスだったね。もともと急行伊豆って指定席中心の構成で
料金割高でも人は乗る場所だから特急化もまぁ受け入れられたんだと思う。 1986年頃といえば、飯田線に165系3連の三河川合行きなんてのが走っていたように思いますが、
ツリカケ車が165系冷房車に置き換えられたケースは他にもあるのでしょうか。 中央西線の80系廃止時、代替115だけでしたっけ? 165系の普通無かったかなぁ。 >>283
中央西線に115は居なかった記憶
113−2000だったかと >>280
確かに急行「伊豆」は急行「東海」より格上だったよな >>280
その頃に同時に上野口の北関東ローカル急行も新特急化したから
「東海」「御殿場」、大垣夜行、房総特急も185系にすれば良かった気もするな。 >>288
名古屋まで来てたのが1〜2往復程度で荷電付けてたんだっけ? >>287
同時じゃないよ
1年後に一部が特急になったが、急行も残り、新特急になったのは3年半くらい後 >>284
>>285
>>288
中津川以北の80置き換えは115系
但し115は神領には入らず、松本(長野だったか)に投入、115は中津川以北へ封じ込め。
80の名古屋中津川担当分だけ113-2000を神領に投入。
国鉄分割民営化直前、中央西線ローカルを神領に移管するため、115が神領に転入、
しかし短期間で165が中央西線山区間ローカルに入ることになり、115は静岡に転出。
こんな流れだったかと。 >>290
新幹線リレー号も使われていたから北関東の急行は残って
上野開業時に新特急化されて
踊り子の183系も転属した 中央西線に165入ったのってJR化後だったのか。
あの区間には合ってる印象だったけど >>291
おぉサンクス
名古屋口で115系見た記憶無いから話が噛み合わん訳だよね
>>293
きそ、つがいけ用165系は?
このスレで言う西線って中津川以北限定? 当初153系の置き換えと言いながら
代替車が185系という、特急向けの
形式を名乗った時点で決まったな。 185系は?
コンセプト的に国鉄版りょうもう(1800系ビジネス急行)って感じ
既存優等車と比較してコストを抑える点では同じ
東武(私鉄の国鉄)は
急行用1800系(私鉄の157系・日光形)が
デッキを東海形並みに拡張(長距離通勤(出張)ニーズを考慮)
走行機器は通勤形8000系(私鉄の103系)と同等
DRC(私鉄のこだま形)より経済性や利便性
本家の185系(日光形・デラックス準急の再来?)も
デッキは東海形相当(急行や快速運用を考慮)
走行機器は新快速117系と同等
183系と比較して経済性や利便性を追求 185系は長い間伊豆方面への人気特急として活躍している大成功の車両じゃない
スーパービュー踊り子やリゾート踊り子など他の踊り子号もあるが基本は185系
日曜日の上り列車などグリーン車付の長大編成が満席となる 117系と185系は、先頭形状が東海形(所謂クハ153・500番台タイプ)と同じで、
貫通扉に電照掲示板付でもいいけど、俺は受け入れられたんだけどな。
尚且つ185系の方はあれで種別が、急行(新急行とかもダーメ!)のままだったらなあ。
サロ185のドア幅が1メートルあるのも失格なんだよな。
185系は東海道線用も北関東用も塗装が間抜けだったしね。
そして「踊り子」っつーのも名前も下品だし冗長で嫌だった。
やっぱ伊豆半島に行くなら「伊豆」「天城」だろ。 飴のキャラクターに見えた踊り子のあのイラスト、
ヘッドマークで人物が描かれているのって他にある? 大井川鉄道の客車の後ろに茶摘みおばさん描いてなかった? くまがわも
川下り船に小さいけど人物が描かれていた絵画風のHM >>294
亀レスだけど
神領の165系は
82年ダイヤ改正で急行用として配置していたのが全廃で配置がなくなり、89年のダイヤ改正で大垣と豊橋の3連口が転入してきた、という流れだね。
代わりに115系が飯田線運用に回ったと >>298
サロ185以降に製造された211系のグリーン車や
それ以後のグリーン車は
急行サロや113系サロと同じく細ドアだったな。
なぜサロ185だけが?
いやその前にキロ26が既に幅広ドアか?
奥に当たるとオグオグオッグ! 3連口は日根野のが思い出深いな。
新宮夜行でもお世話になった。 >>308
それは特急型で片デッキだからだろ
183系だって普通車は両デッキでもサロは片デッキだったしね >>310
デッキ数の話じゃなくてドア幅の話なんだよなあ。 >>311
急行形や近郊形のサロは狭いドアだけど二箇所
183系の場合は狭いドア一箇所
185系はその中間で広いドア一箇所
ということでしょうな >>307
急行用が一度転属したあとに大垣から移動してきた
大垣夜行の臨時にも使用されていた >>309
あれが凄いのは阪和線内快速だからな。23時過ぎとは言うものの阪和線線内で、165系が快速電車として通用してたのは上尾事件知ってる世代的に驚きだった。今ではそんなわけにはいかないだろうが >>312
そういえばサロ185はデッキ一つだったか。 451系と471系は当初扉が外吊りだったそうですが
153系とどこか構造に違いがあるのですか。 >>320
トンネル突入時に負圧でドアが浮いてパイロットランプ消灯する欠陥が露呈した
引き戸に改造した時に台枠を切り欠いたために補強材を入れて自重が0.9トン増加した >>314
三国ヶ丘・東岸和田も通過の時代。
大阪市街(長居付近)も高架になる前だから、一段と速く感じた。 まだ阪和線直通は昼間特急だけで関空もない時代、西九条駅あたりから知らずに乗り込んだ酔っぱらいとかいてただろうな >>321
トンネル突入時は外気圧が高圧で車内が低圧だから
ドアが外から押し付けられるんじゃないの? >>324
自分はほぼ素人だけど…それは違うんじゃ、と思うなぁ。
正面の部分は確かにトンネルの空気を押すから陽圧になるだろうけど、正面で押し出された分、トンネル内の空気が陰圧になって、車内の空気圧が勝ってしまい、扉が外に押されてしまうんじゃないかなぁ… >>325
新幹線はトンネルで気圧が低下しないよう与圧されててトンネルで車体が膨らむ
膨らんだり萎んだりを繰り返すために100系で金属疲労で骨組みにひびが入って問題化した
0系の最初の頃はデッキが気密になってなくて仕切り扉が開かなくなったとかあった トンネルと言えば総武快速線の東京トンネルだけど、
東京トンネル開通時には、特急新設による183系新造ではなく、
急行増発で165系・地下トンネル突入仕様車を新造して欲しかった俺。
前面がクハ165と同一で、車内設備と側面外観は185系風(転換クロス、幅広ドア、デッキ有)というか。
そんで同様の車内・外観仕様で、457系豪雪仕様も新造して、
夢の大阪〜青森、上野〜金沢(長岡経由)、上野〜青森、上野〜秋田(山形経由)、上野〜秋田(新潟経由)の電車急行誕生。 あの時代に、急行用に転換クロスを期待したらいかんだろう。
新幹線0系もまだ転換クロスで新製していたんだから。
かといって、あの時点でボックス席の急行型を新製しても、特急型より
大幅な節約になったとも思えないので、より儲かる特急型にするしか
選択肢が無かったと思われる。
あと時代的には、同じ首都圏の京成スカイライナーや西武レッドアローの新製に
国鉄が影響を受けたという感じもする。 70年代前半はもはや赤字で青息吐息だが国会通さないと運賃上げられないから既に料金のある特急に格上げしての増収策、なので急行は車両の新造どころか客車を中心に余剰車しか出ない状態だからなあの頃の国鉄は
しかし値上げやったらやりすぎで旅客の逸走起こしたし 当初の計画通り東海道急行が157系かその改良型で電車化されてたらどうなってただろうか きちんと格式ランクがあったんだねえ
185系普通電車がショックだった
そして183系189系の急行アルプスが終焉であった >>332
当時まだ大量に残っていた「並ロ」の存在との整合性が課題だったろうねぇ。
当時の並ロで一番は装備改装のオロ35・42、次に固定クロスのオロ40の装備改装車、
あかんのは装備改装していない固定クロスだが、S39ごろまではダブルルーフの並ロが残っていた。
急行の座席を転換クロスにするということは、当時の普通列車用の1等車(35.7までの2等車)からして、
確実にそれよりは上のレベルの車両になる。157系の回転クロスなら完全に上過ぎる。
まあ、いくら国鉄内部には電車気動車を下に見る風土が合ったにせよ、一般客からすりゃボロの並ロが格下。
接客設備が急行の2等車>普通の1等車はさすがにまずかったんじゃないか、特急ならまだしも。
長文すまん 昨日、今発売中の急行型気動車の雑誌観てたら、初期のキハ58の正面ライトが若干内側だったのを知った >>335
キハ58ではなく、キハ27・56・57の初期車じゃなかったっけ? 関係ないけど>>336読んで横軽向け2エンジン普通車が存在しなくてよかったと思った すまん1エンジンだった
呼称改正の時に何で1/2エンジン車で数字合わせようとしなかったんだろ? 奥飛騨温泉にキハ27を動態保存しようとしたホテルがあるらしい 保存されたのは神岡線が廃止になるずっと前でしょ
鉄道ファンでも取り上げられたのに見なかったのか? あそこはキハヲタが勤めててそっからの進言で保存活用の流れになったはず。
だから動態運転出来るよう線路は長めに敷いてある。けど走らせてないw >>342
見てない 不勉強で申し訳無い
南部縦貫鉄道みたいに上手い事いかないものかな >>333
185系は急行と特急の中間的存在だったからな
ラッシュ時間の送り込みに対応出来るよう広め2扉採用したのもそれが理由らしい >>333
189系の急行ならまだしも、
183系の場合、普通とかもうね。 急行アルプスにはグレードアップ編成も担当されていたことがあるから
結構豪華な急行だった 運用の都合上だったんだろうけど、利用者の多い下りが9連で、上りが11連ってのはなんか釈然としなかったやうな >>349
逆に妙高は9両編成だったので
グレードアップ編成は充当されなかったっけ?
塗装変更前に列車は廃止 ホテルヘルス&デリバリーヘルスとして大阪の日本橋に降臨!!!
完全無修正の激かわ美女在籍
神戸・福原 和歌山エリアトップクラスの人気を誇る
興味のある方は、「日本橋ビギナーズ」で検索♪ キハ65は物理的にトイレ設置不可能だったんだな
エーデル車はトイレ設置車は水タンクのスペース捻出のために4VKを撤去してる
大型ラジエーターを床下に無理矢理押し込んだために床下がいっぱいになってしまったようでキハ66・67は再び屋根上にラジエータが設置されたが強制風冷式が採用された >>354
登場当時の鉄道雑誌(超専門的な)によると、
付けれんことはないが、重量が嵩みすぎるのでやめたとのこと。
水タンクならキハ58のように屋根に積めばいいが、
なんやかんやで重くなりすぎる、ということなそうな。 東海373系も、165系おきかえが目的のため、185系と同じく、急行型の流れを汲むものだけど、衝撃的だったのは、特急車なのに、通勤型と同じ両開き扉を採用したこと。
特急のカジュアル化が進んで久しいが、ついにここまできたかとおもった。
その373系も、登場20年が過ぎた。 リクライニングシートと大型の固定窓は特急型の威厳があるけど、
それ以外の車内設備はデッキの仕切扉省略とかトイレが3両に1つとか急行型〜準急型って感じだな。
両開き扉は普通列車運用あるから仕方ないにせよ、
あの幅狭の小さなドア窓が広いデッキの中に妙な閉塞感生んでて意味不明だわ。 北陸の電車急行で、「しらさぎ」みたいに
名古屋発・米原折り返し・北陸方面行きの列車ってあったのかな?
名古屋発〜九州行きの電車急行があったようだが。 >>358
急行兼六(名古屋-米原-金沢)
他に
準急(→急行)こがね(名古屋-米原-金沢-高山-名古屋)
準急(→急行)しろがね(名古屋-高山-金沢-米原-名古屋)
急行能登(東京-名古屋-米原-金沢)も
名古屋発・米原折り返し・北陸方面行きではないから条件に合わないけど名古屋-金沢を通ってたな 名古屋から北陸の入り口まで行って
山陰行きというのもあったな
あさしお>大社 185系以外で(もう衰退するのみだから)、ムーンライトながらに最適なのは、房総特急のE257系1000番台だな。
5両編成のモノクラスで、2本つなげて10両は形態的にもちょうどいい。
房総特急の縮小で、もて余し気味。
両数以外は、かつて使われていた373系に似ている。
東海エリアでの間合い運用にも適しているが、カラーリングは別として、最大のネックは、東海型ATS-Pに対応してないことだな。
それ以外でも、東海は東の車両を使うのを拒否する。 名鉄のキハ8000で2エンジン+4VKとか超重装備仕様あったな
2基のエンジンの間に4VKを無理矢理押し込んだために全長が少し長くただでさえ名鉄規格で細い車体が更に細くなってる
キロ58で無理矢理4VK搭載したのあったらどうなっていたか >>364
>>363はいつもの知識をひけらかしたいだけの痛い奴だからスルー推奨 キハ8000は名鉄規格で車体が細いためにラジエーターがデッキに床置きしてあるとか設計に苦心してるよな
キハ82とは異なりキハ58ベースで95キロまでしか出ない
キハ58と併結は可能みたいだがやった事例あったっけ? >>365
さあ?
国鉄名古屋〜岐阜〜高山 を走ったことはある やりすぎ防犯パトロール、特定人物を尾行監視 2009年3月19日19時7分配信 ツカサネット新聞
http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20090319-00000026-tsuka-soci
この記事で問題になった通称やりすぎ防パトは、創価学会と警察署が引き起こしていたようです
掻い摘んで説明すると
・創価学会は、町内会や老人会、PTA、商店会等の住民組織に関し、学会員が役員になるよう積極的に働きかける運動を
90年代末から開始し、結果、多くの住民組織で役員が学会員という状況が生まれた
・防犯パトロールの担い手は地域の住民と住民組織で、防犯活動に関する会議や協議会には、住民組織の代表に役員が出席する為
防犯活動や防パトに、創価学会が間接的に影響力を行使可能となった
・防パトは住民が行う為、住民が不審者や要注意人物にでっち上げられるトラブルが起きていたが
創価学会はその緩さに目をつけ、住民組織を握っている状況を利用し、嫌がらせ対象者を不審者や要注意人物にでっち上げ
防パトに尾行や監視、付き纏いをさせるようになった
・防パトは地元警察署との緊密な連携により行われる為、創価学会は警察署幹部を懐柔して取り込んでしまい
不審者にでっち上げた住民への嫌がらせに署幹部を経由して警察署を加担させるようになった
・主に当該警察署勤務と考えられる創価学会員警察官を動かし、恐らく非番の日に、職権自体ないにもかかわらず
私服警官を偽装させて管轄内を歩いて回らせ、防犯協力をお願いしますと住民に協力を求めて回り
防犯とは名ばかりの、単なる嫌がらせを住民らに行わせた(防犯協力と称し依頼して回っていた警察官らの正体は恐らく所轄勤務の学会員警察官)
※これに加えて防犯要員が同様のお願いをして回る
・こうして防犯パトロールを悪用し、住民を欺いて嫌がらせをさせつつ、創価学会自体も会員らを動員し、組織的な嫌がらせを連動して行った
つまり警察署に勤務する学会員警察官、警察署幹部、創価学会が通称やりすぎ防犯パトロールの黒幕
詳細は下記スレをご覧下さい
やりすぎ防犯パトロールは創価学会と警察署の仕業だった
https://rio2016.5ch.net/test/read.cgi/bouhan/1516500769/ 別冊の急行型気動車ってのもほしいけど高くて買えないや。 ピク増刊はキハ28 1000番台の冷改前の写真のストックがなかったという話に驚いた
4VK搭載改番(3000番台)と冷改が非同期だった車両があるってことかねえ? >>373
キハ28 1000番台の配置は中部以西(中部管内は美濃太田の1001番のみ)だったから、
冷房改造と同時に4VKを搭載していたと思う。
多分AU13搭載のみのキハ28 1000は無かったんじゃないかな。
キハ28 1000番台は比較的早くから冷房改造が始まっており、最後になったのが確か1001番で昭和53年度、
多くは昭和40年代に冷改を終えていた。
当時、キハ58系は「普遍的過ぎる」存在だから、わざわざキハ28を選んで撮った人は少ないんじゃないかな。
当時、名古屋局だとキハ28は先頭に立つことがほとんど無かった、ということもある。 281000冷房改造前のは、奈良〜天王寺でよく見かけたな 本屋でちょっと迷って増刊の方はスルーしてしまった
乗車体験が少なくて中央西線の間合い各停と1981年8月の比叡51号くらい
もっと乗りに行っとけばよかったなぁ うちは鹿児島だったので、キハ58モデルチェンジ車は、らくだ増備車になったキハ58 1131+キハ28 3015と
リクライニング座席交換のまましばらく指宿枕崎線に突っ込まれてた乗り徳状態のキハ58 1133を覚えてるわ ボックスシートは戦後の客車からキハ40系まで同じに見えるやん >>378
座席の通路側にある手摺りが違うけど、これは165系増備途中からの変更かも 網棚がパイプ棚に替わったのも165系から?
いやこれも途中からか? 臨時大垣行きでやって来た神領車が網(金網じゃなくてハンモックみたいなの)で面白かった思い出。 荷物載せると「ぼよん」と沈むのが、なんか楽しかったな 153系は運転台裏のデッキが広く
客席からも前がよく見えてよかったね >>381
昭和42年度頃の変更だったはず
キハ58だと700番台後半、クハ165では100番台後半くらいか、
>>382
これは冷房付き新製車からじゃなかったかな、
気動車ではキハ65とキロ28 2000のみだったはず
ちょっと調べれば出てくるが面倒、ごめん。 >>378
153って全車旧型の灰皿だっけ?
下が丸いやつ >>359
電車だと兼六だけだね。
交直流電車急行の黄金期って、新幹線開業〜博多延伸までの関西〜九州を結んでいた時期かな。
北陸も東北も関西〜九州に比べるとちょっとローカルな雰囲気で一枚落ちるイメージが・・・。
日本海縦貫の電車急行や、東北本線全線走破の電車急行があれば太刀打ち?できたかも知れんが・・・。 >>388
仕切りに窓あったのってクハの運転台直後のデッキと客室のとこだね。
あれは153からの新系列急行型は共通の造りだと思われる。 >>388
仕切りに窓あったのってクハの運転台直後のデッキと客室のとこだね。
急行型車両ならほぼ共通であるけどもね413系と組むタイプはないかもだけども 確か153も165もクハだけだったかな。
クモハ165はモハサハと同じく戸袋窓部分の2人がけはデッキに背を向けて座るタイプ。
で、仕切扉があるから少し幅狭になった外れシート。 そう言えば383系貫通タイプの運転台直後のデッキ仕切にも同じような窓あるね。
立ち客の目線が気になる時用のロールカーテン付いてるあたりはさすが特急型。 キハ58などのロングシート設置車が定期や普通の臨時急行に担当されたことはあるのだろうか 急行用改善アコモ(デッキありフルリク)持ちとワンマン近郊化(デッキ無しフルロングかボックス一部残地)で差がありすぎるからなあ 戸袋部分の「ハーフボックス席」は車両によって向きが違ってたんだな
背もたれがデッキ仕切り側だと座席幅が狭まる キハ65はデッキ側が背もたれだった覚えが
通学で毎朝そこを選んで乗ってたわ
キハ58+65+47の編成だったよ
(先客いたら中間だった運転台の助士席に行ったことも) >>390
79年に乗った比叡だけど改良型の灰皿を付けてたような記憶がある。 リバイバル急行なんかで近郊改造車って
あったんじゃね? >>404
キハ58系も助手席側に仕切戸なかったの? 多分>>494は香川の人なので、デッキ付きの58には乗ってません。 >>406
リバイバルきのくには、米子のを6両借りてきていた >>407
58は覚えてなかったですわ
40や47と間違えたかと思って画像検索したら、58も65も前面貫通扉と車内デッキ側のドアの両方共運転席側を軸に回って運転席側だけ仕切るので、別のドアがないと助士席側は開放状態になりそう
ピク誌最新別冊急行型気動車号掲載の形式図見ても58も65も助士席側を仕切るドアはないっぽい
>>408
鹿カコで国鉄最末期〜JR化直後の時期、指宿枕崎線ですわ
まだ近郊化改造してませんね
5828だけ4連の普通もあって、G車座席交換車(58の727や1133)や4両全車らくだ号とかに出くわしたことありますよ 今の貫通型の助手席部分は保安装置も手ブレーキも無く、
制御箱も鍵ついているからいいけど、
キハ58も165系も初期グループは信号炎管が助手席側に付いていた。
国鉄DC型の助手席を安易に旅客が入られる構造にしたのはなんでだろうね。
111系は仕切戸全部回転させて客室スペースに充てていたっけ。 タイフォン鳴るんだよな。ならしたことある
旧客も緩急車の手ブレーキのあるところ個室っぽくて好きだった
電車と違ってキハもその感覚で設計したんだろうな >>410
>>409のきのくにに乗ったときの記憶だと、助手席側には仕切りとなる仕組みはなかったね。 キハ82は助手席側もドアがあった。助手室内はキハ181に比べて広かったな。
(まつかぜにて)
キハ181は助手席側ドアの記憶がないが窓を開けて車窓を楽しんだ。
(やくも多客時頻繁に利用)
キハ28・58はもちろん開放 >>412
私も中間運転台の助手席で、降りようとした足でタイフォン弁を踏んだことある。 キハ58初期型は全自動・半自動切換え不可能だったんだな
後期型から切換え可能になって窓に「自動ドア」と表記がある ワイパー動いたな。種別幕も動いた。
幕を勝手に快速やら試運転にしたりしたなー >>397
455系セミクロスは末期の急行まつしまの自由席車両に組み込まれた タイフォンとか方向幕いじりとかやった人多いんだねぇw チキンだったからタイフォンも鳴らせなかったわw
今は踏めないようにストッパー噛ませている
清掃しているときうっかり鳴らしてしまったことなら多々あるけどw
ワイパーは普通に動かしたな ピクト別冊急行形気動車げと
ただ指でつまんで立ち読みするから表紙に折り目
街の本屋でも背表紙に手を当てて配慮して読んでる人は一割いるかどうか
就職試験などはSPIテストより本の扱い方等配慮できるかヲチするテストのが使える人材採用できるんじゃ、と思った 58系。
なぜか3両以上ではキハ28が真ん中に閉じ込められている印象ばっか残ってる。
3両なら58+28+58
4両なら58+28+28+58
ただの思い過ごしだろうけど
>>417
そいえばドアの下に小さい丸窓付いて、駅で夜ぼんやり光ってた
あれは後期型かな? >>426
昔の暗い照明の少ないホームでのドア位置の目印だよ デッキ付きのまま
オールロングシート化された急行型はあったのだろうか? >>428
降りる時にホームとの段差をドアが開く前に見極めるためかと思ってた。 >>429
播但線用キハ58/28 5500はオールロングだけど、デッキってどうなってたっけ? >>431
94年ごろに姫路発寺前行きで乗ったけど、
デッキ付きだったような気がするなぁ。 >>432
自分も乗りましたが、4半世紀前で記憶になくて… >>428
違うよ
半自動ドア時の開けられるドアが分かるようにだよ
鍵かかってないドアはステップのところの照明がついたのでそれが外から分かるようにしてたんだよ >>425
名古屋局だと、
4両は<キハ58|キハ28|キハ28|キハ58> 3両は<キハ58|キハ28|キハ58>
で、3両以上の場合必ず2エンジン車かキハ65が頭だった。
2両+4両(基本)の場合も、
<キハ58|キハ28><キハ58|キロ28|キハ28|キハ58>
で、できるだけ高出力車が頭に来るようにしていた(紀州・かすがで例外があったような)。
「たかやま」が大阪宮原持ちになった際、キハ28が頭に入るようになった。
管理局ごとで考え方が違うのかもしれん。
北海道の場合、運転室の暖房の関係で頭はキハ56にしていたという。
(80年頃のRJ、急行特集「宗谷」追跡のなかにこのような記載があった記憶、間違いだったらごめん)
後段
扉下の小丸窓は長大編成対応車から、キハ58なら401以降、キロ28なら101以降。 キハ28を先頭に出さなかったのは、冷房電源の都合もあったんじゃないの? 京急みたいに先頭を重く、って訳じゃないだろうけどw >>437
確かそうだよね。同じ理由キハ65も中間が多かった筈です。 給電区分では4VK搭載車は3両の中央じゃなくてもよさそうだが まぁ電圧降下とかもあるかも知れないし、真ん中に挟んでおかないとどっちから給電してるか
わからなくなって誤扱いに繋がるからとかあるんじゃね >>442
>>436と>>439は別人ですよ
>>440
中央でなくても大丈夫でしたよ、気動車赤倉は
<キハ58|キハ58|キロ28 2000|キロ28|・・・・・
で、前2両のキハ58(指定席)を冷房化していましたから。
>>439
中央線全線電化前の「きそ」は、長野編成・美濃太田編成ともキハ65は頭でした。
「青島」もキハ65が入った際、頭になるような組成だったと思います。
「殿様紀州」も頭にキハ58 1100を持ってきていたことが多かった記憶があります。
多分に新型車両をアピールする目的があったのでは。 キハ56に宗谷や天北やサロベツや利尻の大型マークが似合っていた >>443
別人だから意見が違う→分かる
別人だから事実が相違する→おかしい 65は便所ないから、冷房の関係でも28-2000とはまた別の組み方してたんだろうね 急行型電車は冷房引き通しで車両の向きが冷改後は固定されちゃったがキハは聞かないね
トイレの向きの都合の方転とかやってたのかね?(キロのトイレを指定席キハ側に向けるとか?)
あちこちに転車台残っていたし >>438
> 京急みたいに先頭を重く、って訳じゃないだろうけどw
キハ28は走行用エンジン一個と発電用エンジン一個の2エンジン車ですから 走行用エンジンセットと駆動用のそれじゃかなり重量差あると思うが たかやま は電気暖房に改造されてたけど 末期の温水暖房は扱いづらかったのかな 165系は急行東海のやつはモハ165があった関係で奇数向きクハがあったんだな
大多数はクモハ165と対になるため偶数向きである >>451
そら、3連基本と4連基本ではちがうやろ そして大垣には奇数番号なのに偶数向きのクハ165がいた クハ165は新製時両渡りだったけど冷房化改造で原則偶数向きに、一部は奇数向きに固定。
後に偶数向きのごく一部が奇数向きに方向転換された。
車番の奇数偶数は混在してたはず。冷房化時に奇数向きにされた偶数車や、方向転換時に改番されなかった偶数車があったかと。 偶数と奇数で番台分けたほうが扱いやすかっただろうに
183系や381系とか特急型は冷房回路も両渡りになってる Wikipedia見たら逆だった。
偶数向きの奇数ナンバー車は、
1.冷房化で偶数向きに固定された奇数ナンバー車があった。
2.一度は奇数向きに固定されたものの、後に一部が偶数向きに方転改造され、
その時に偶数ナンバーに改められた車(9→208)と、奇数ナンバーのままにされた車(3,115,165,167)があった。 クハ165-3はクハ167-2の代車だっけ
方転と同時に冷房電源MG積んでるかな?
あと上尾事件の当該車両の車番って記録残ってないのかね
まあ廃車扱いされる(焼き討ちで炎上等)程の被害ではなさっぽいが クハ165は両渡りが冷改で方向固定に
クハ481は千番台以前は両渡り
クロ481は方向固定で みどり に入った時に方転改造 サロ165は自社給電用小型MG積んでたがサロ455は110kVA積んでたんだな
McM'Ts+McM'Tcが165系では組めなかった
サハ153はMG・CPなし、CPだけあり、MG・CPありとあってややこしかった >>462
あれは基本編成が
<キハ58|キロ28|キハ65|キハ58>
で、それの頭に付属編成?のキハ65をつけるから
<キハ65|<キハ58|キロ28|キハ65|キハ58>
になる。
さらに付属編成?の1両をキハ58を加えると
<キハ58|<キハ65|<キハ58|キロ28|キハ65|キハ58>
となる。
だからキハ58とキハ65と基本編成の運用はバラバラ、
組み換えは高松よりは高知とか松山とか宇和島でやっていた。
(50.3改正時、多分その後も基本的には変わっていないと思う) 爆走改造のキハ58系と言えば、
かすが、みえ用
5000番台だっけ?
足回りはキハ82系なんだな
キハ82系も最高時速110キロなのに >>465
かすか用は3000番台だな。最初は5000番台だったけど、みえ用爆走用として5000番台になったから番台変更されたね。
キハ80系は最高100km/hだったはず。だからキハ58+65 5000番台が走り始めてキハ80系が南紀から撤退するまでの1年くらいは、特急よりも速い=所要時間が短い快速になってたよ。 >>465
466さんのとおりキハ80系は100K/hまでだね。
キハ65はもともとキハ181並みの性能だから台車枠の交換とブレーキ力調整くらいの改造だったけど、キハ58はキハ82の台車とカミンズエンジンへ換装、変速機の交換と大改造だったはず。
実際の乗り心地はキハ58のが良かったと記憶。特に伊勢鉄道線内はバツグンだったよ。 防音がされてなくて爆音だけど乗り心地のいいキハ58が良いか
まだ静かだけどゴツゴツして乗り心地最悪なキハ65に乗るかの選択だったな。
まぁ、爆音キハ58の方ばっか乗ってたけど。 一般人には、窓のデカい65のほうが人気だったのでは。 >>470
自由席か指定席の差だったからね。最初はキハ65が半室又は全室指定席だったけど、後年キハ58が指定席車に変わった。 そういえば、一般型からシンデレラのごとく
急行型にデビューしたキハ400と480の防音改造はどうだんたんだろう? >>469
音的にはキハ58のほうが優しかったな、キハ65のガリガリガリよりは。
>>470-471
ボックスシートに座る場合だと、キハ65のシートピッチは有難かったな。
ただ夜行で1ボックス占領できた場合、キハ65は寝るに不便で、キハ58が適していた。
また、どういうわけか50.3改正の気動車「きそ」の指定席車は、所定ではキハ58とキハ28になっていた。
普通車6両のうち2両キハ65が入っているにもかかわらず。 砂丘でキハ65に乗ったけど
確かに乗り心地が堅かった。 「58のほうが爆音だけど」っていうのは東海強化車の話じゃない?
九州なんかの急行用じゃ58の方がグレード高いし静かだった。
58(元グリーン座席)優しい音でソフトな乗り心地
65(783や485更新の座席)ガリガリガリ・ピョンピョン >>472
キハ56なども増結車で入っていたけど
キハ400と480の通常の車両と増結車のどちらが騒音が少なかったのだろうか 利尻宗谷のキハ480だかはリクライニングシートのお蔭で眠れた記憶はある >>477
上り
夜中の旭川停車中、増結車に移動。 >>475
東海強化車でもそれほどではなかったよ、
DMH17H装着車と変わらんくらい。
九州の65はなぜか酷かった、その点四国はそうでもなかった。
理由はわからん。 58 と65 を同列で話ししてはいけません
65.66.67 は もともとガタガタして、音だけ勢いよくて、一向に前に進む気がしない
58形は音・振動と速さがリニアっぽいので、 じわっとくる。換装後もそんな感じ。 ここに来る人は、ピク増刊を買ったのかな?
1月末か2月始め頃に出た気動車急行のヤツ かつて正月休みに快速ミッドナイトで増結のキハ56に乗った時、長万部駅でバカ停した折に車掌さんが、「隣のクルマは床が板張りですよ」と言ったなぁ。
当時からアピールポイントだったのか、その人懐こい車掌さんの着眼点だったのかは知らないが、当時の私にとっては
地元の路線バスも床は殆どが板張りだったため何の興味も引かずスルーしたのは結構勿体なかったのかもしれない。 >>486
とんねるずの石橋は、東上線はボロ電車で床は板張りとか言ってましたな。 >>476
どちらも変わらないんじゃない
イレギュラー増結のキハ54一般仕様車はさすがに煩かったと思うが >>486
当然、
キハ400系は指定でキハ56は自由席? >>489
ミッドナイトだからキハ400は連結されてないはず
キハ400併結用のキハ182は連結されていたことがあるけど >>480
65と66・67は同列と考えたことないなあ。
前者は元々急行運用向け。
後者は筑豊ローカルの車両が、アルバイトでヒタヒコ等の急行運用に入っていたイメージ。 >>480は機器類の話だから、65と66は同列と言っていい >>491
> >>480
> 65と66・67は同列と考えたことないなあ。
> 後者は筑豊ローカルの車両が、アルバイトでヒタヒコ等の急行運用に入っていたイメージ。
アルバイトとはいえ、当初からそれを想定した造り 66・67は次期急行用車両で、それがアルバイトで筑豊ローカルに入ってたんですけど 711系と同一コンセプトでしょ
急行にも使うけど一般用
電車で言えば近郊形 キハ48が急行に使われたことって
急行つやまくらい? 昔キハ22の急行に何度か乗ったな。デッキ付きだし北海道では56・27も非冷房なんで気にならなかった。 キハ480じゃなくて?
まぁ、ベースは48だけど・・・
エンジンパワーアップさせているから
仮に117系を無理矢理アコモ改良させて
「これで急行型だぞ!な!どうだ!?」よりは否めなくはない。 次期というか、新幹線博多延長で接続急行やってたよね、キハ66
命名も6ついてりゃ急行用ってわけじゃないのな
あれも番台区分でよさそうなのに、なんで66と67で分けたんだろうな
駆動用は色々手を加えたのに、給電用は2両給電なのに4VKのままだし
まぁ異色の気動車ではあった >>501
あの塗り分けなのに、初期車登場時一般色の朱色だった説があるよね。
ほんとはどうだったの? >>501
>命名も6ついてりゃ急行用ってわけじゃないのな
5が2エンジン車で6が高出力エンジン車じゃね? >>501
新系列は電車と同じく奇数番号を系列名にするから キハ40系シリーズってあくまでも一般型で近郊型や通勤型のカテゴリーじゃないよね。
近郊型気動車ってキハ45やキハ23で通勤型はキハ30系シリーズだっけ? 車体の更新こそされているが、まだまだ往時の走りっぷりを楽しめる北陸の413系。
今の電車よりも優秀な空気バネだから乗り心地は良い。 オリジナルのキハ58系はいすみ鉄道でしか走っていないな
これキハ28なんだよなぁ
なんで58譲ってもらえなかったんだろう? 58単独じゃ冷房使えないのお忘れか
相方のキハ52もエンジン不調で片エンジン運行してたって社長ブログに時々あるっぽいね 譲って貰えなかったと言うより予算が1両分しか無かったんだろ そもそも>>507の趣味的な問題だろ?
キハ58の方が良いなあと>>507が思ってるだけ
いすみも58希望だったとかソースでもあるのか? オールキハ65はJR西のエーデル車で実現したが変直切り替えは計算上70km/h程度で行うと効率のいい運行ができるはずなんだが実際はキハ58と同じ感覚で50km/hで変速する運転士が絶えなかった? 西の65→リゾート系改造は分かるんだが、
九はなんで66・67を種車にしなかったんだろう、何か理由があるんですかね。 165系、475系シリーズの最終増備グループも
前面強化されず新製?
シールドビーム車に前面強化された形跡が見られなかったけど。 中の板は厚いんじゃないかな。113系や415系も鉄仮面化されなかったのがあるわけだし
例えば外板1.6→2.3、桁2.3→3.2みたいな事は私鉄では普通で、小田急は4.5板まであったみたいだよ。 >>515
4,5ミリなら113系や115系後期型から始まっているよ。
ただし、急行型の最終増備って1970年頃が最後だから
板厚がどこまで厚くなったかは不明。 >>519
サンクス。 113-2000や115-1000だと4.5mmあるんだね。なら納得・・
413-417-717や先頭改造もおそらくそうかな。 キハ58 エンジン2基(走行用)
キハ28 エンジン1基(冷房電源用)
キロ28 エンジン1基(冷房電源用)
キハ65 エンジン2基(走行用&冷房電源用)
でおk?
キハ58+キハ40併結の場合、
走行用エンジンは専ら58で40のエンジンは冷房電源用に使うことになるのか? 駆動系に含まれるエンジンと電力供給装置内のエンジンは分けて考えた方がいいわな 駆動エンジンサイズで発電してるのは183以前の特急型くらいだな。 58 エンジン2基
28 エンジン1基(+発電エンジン1基)
65 大出力エンジン1基+発電エンジン1基
58+40 冷房使用不可 >>522
4.5mmの鋼板で装甲車みたいと感じることを思うとチハたんの25mm装甲板だと
圧倒的に思える。
>>529
冷房用サブエンジン付きのバスって今もあったっけ? 新型バスの運転手と話したとき
付いているって言っていた。
そのときにバスのサービス電源は別のエンジン使っている
と初めて知った。 自分の住んでいるところの路線バスは明らかにサブエンジン付きだったがここ数年は
直結型が増えてきた。
冷房使用時に走行用エンジンとは関係なく停車時でもエンジンが唸っているから判る。
昔のサブエンジンは空冷二気筒800ccのトヨタ製が多かった。 路線はもちろん、観光系も現行モデルは直結だけになったんじゃないか?
近年まで、ふそうはサブエンジンも作っていたけど
って、何の話だ? 気動車も直結ばっかりって話
キハ40も最終的にはエンジン換装して直結だよな
となるとキハ58とキハ40に併結運用あったけど、58の冷房は使えないよな
あんまりそういう例なさそうだけど それ、関西本線の奈良ー亀山、片町線木津ー長尾でよく走ってました 国鉄時代はわりと当たり前のようにあったっしょ。35系と58とか。 >>538
キハ35系列は荷物車代わりに使えたからね。 >>530
キハ・キロ28で冷房用エンジン積んでいたのは2000番代に改番されていたよね? >>512
ただしキハ65が足りなくなって四国から購入したはず >>542
キロで自車給電(4DQ搭載)のものは原番のままだね。 >>546
G車以外非冷房の急行おがに使ってたのもそのタイプだね。
53.10直前のRJ誌に種村さんの乗車レポがあったが、うわあ、もう40年前になるのかあ…
板谷峠の爆音&鈍足に乗ってみたかったな。 房総方面にはキハ28冷房ただし4VKなしってのがいたそうで(他車から給電)
ピク別冊まで知らなかった >>547
マニア的にはそう思うかも知れないが、夏場の一般客は大変だっただろうねえ。 急行型では153系とキハだっけ非冷房残ったのは
普通車全車非冷房の北海道は別として中京地区の153と東北の5828は弁解の余地がないねえ 千葉気動車区ってキハ58いなかったんでしょ?
そりゃキハ28全部につける気にはならんわな >>549
走らなければ暑いだろうが、冷房ないのが当たり前の時代に大変もクソもなかろう。
窓を開ければ寒いくらいの風がはいってくるし、扇風機もついとるし。 冷房がないなりに汗かけば気化熱、
トンネル内なら冷気。 板谷は無いけど換装前の58や52の時の花輪線はあるな。速度上がらないから中々直結に入れられない、入れてもすぐ変速に戻してた
キハ82やキハ58の長編成は大変だったろうな
キハ181の補機無しの時も迫力ありそう >>554
旧型エンジンは全開5分間制限だっけ?
変速でも上げたり戻したりの繰り返しでジワジワ登ってたんですかね。
花輪線は秋田新幹線ができた夏に大館から乗ったけど、湯瀬温泉を過ぎた辺りからの走りには驚いたな。
編成は盛岡方から58+58+52の3連でもちろんいずれも換装車。
25‰を超えた登りを直結でグイグイと、50キロ以上出そうな速度をむしろ抑えてる感すらあった。 急行べにばなは平成3年の8月末に快速化されてショックだった
それから新潟口の急行は赤倉ときたぐにだけになってしまった なんでショックだったの?
いずれ訪れることだったろうに 地元に来る優等列車がダイヤ改正の度に減ってく様子に
ショック受けない人はそうそう居ないと思うが “地方交通線”などという尺度が作られたからな。
優等列車を走らす必然性を国鉄は否認したってことだ。
クルマもボロくなっていたし。 >>559
>地元に来る優等列車がダイヤ改正の度に減ってく様子に
新幹線 急行の天敵は特急
寝台の天敵は夜行バスと整備新幹線
特急の天敵はマイカーと高速バスと整備新幹線 結局最後まで残るであろう急行型車両は185系電車(皮肉
12系客車とのデッドヒート
気動車の方が先に淘汰されるとは思わなんだ。 いすみは本格的にぶっ壊れ次第退役と明言しているし、今はゾンビが動いてるような状態なわけで…
一度は廃車前提で松任に放ったらかされてカサカサになっていたのを長らく見ていたもの。 国鉄/JR車籍だとKenjiと東西12系客車のしんがり争いか
185は中央と房総のE257次第で一気に淘汰されるんじゃない?
いすみのはだいぶ以前の社長ブログで4VKのベルト一本逝ってるとかいろいろあって予備部品悩んでるっぽいから寿命近そうね >>568
あれは履歴があんま好きじゃないな、しかし金沢駅で出会うと妙にときめいたりするが 12系らしき車両が幡生でぶっ壊されていたが保留車かな?
後藤では綺麗に整備した「客車の電源エンジンです」というの見せてくれた >>569
結局最後まで残るであろう急行型車両がどれかって話にお前の好き嫌いは関係ないだろう 昭和49年九州小倉か門司で事もあろうにDC急行が2本立て続けに来るダイヤになってて
母親が各駅と間違えて乗って急行料金払わ
されてたような気がする。 >>559
本当に利用するなら快速化なんだから恩恵しかないわけで
それは使わない人の感性じゃないですかね
急行つやまだって、市は優等列車が失われることに反対したが、
利用者はようやくことぶきに揃うことを大歓迎したぞ クハ455-700はあくまでも413系である、と強弁するのでなければ
元が北陸向けサハ455なので475系で合ってる でも窓側のテーブルと肘掛けが省略されてるところに急行型との身分の差を
感じた。
元から付いていたものを手間を掛けてまで外すことはないのにな。 見た目はクハだが、元々サハ455で、そのままサハ455として残り増結専用編成となっていた車両とは運転台の有無以外はほぼ同じ改造内容となっている。
当のサハ455がもうないので較べようがないが、長らく金沢口で通学通勤に利用していた当方には強く記憶に残る。
多少ダイヤを妥協してでも471、473、475と419ばかり選んで使ってて最もつまらない413は極力避けていた。
そしてその最もつまらないものだけが残った。 >>563
国鉄時代の急行仕様車も含めるならキハ54の一部も当てはまって
JR化後も含むならキハ110の一部も当てはまる 昭和47年の映画 約束 は羽越線のDC急行のロードムービーで
全盛期の雰囲気を味わうには最適。 >>580
キハ54系500番台ねぇ・・・
簡易式急行型感がする
キハ110系0番台の方がずっとデラックス その『約束』をTVで視ての母の感想。
『あんな田舎で、直ぐ目立っちゃう』
視た人だらお分かりでしょ。
1971年中2の春休み、母と旅行した。
目的は五十川と笹川流れでC57の撮影。旅好きの母は温海温泉『たちばなや』投宿が表向きの目的だった。
鳥海2号のハネで早朝の温海下車。乗り継ぎで五十川へ。旅館には早すぎなので何もない裏日本の寒村の駅へ母もついてきた。
日本海やD51を撮影後、昼前今川へ。駅周辺を散策の母は温海温泉へ。
懐かしくも胸熱の映画です。
関係無い事で恐縮でした。
同行してくれた亡き母に感謝。 中学生の息子と2人で旅行なんてお母さんも嬉しかったでしょうね。
気が付かなかったけどあのロケの頃までSLがあったんですね。
そう言えば山口線のC57も羽越線が長かったんだっけか。
もうひとつ昭和39年の映画 乱れる で 加山雄三が高峰秀子に
引っ付いて上野から山形に行った時の列車も確かキハ58の急行
だったような。
自分の世代にはキハ58ってローカルの普通列車かせいぜい中距離の
奥久慈位だったんで5時間も10時間も乗り通すような急行が
醸し出す空気感、小宇宙感がなんとも言えません。 >>584
木次線を使った夜行ちどりも小宇宙感ですわな。
あとは、天王寺発夜行新宮行ききのくにとか。 キロ28は車体長が21.3mあるためにグリーン車標準寸法より1列多く定員52名なんだな
1.3m分長く1160mmピッチで1列増やせた うんちく馬鹿って鉄道懐かし板のどこにでも現れるけど、同一人物? >>586
急行型、特急型問わず気動車は何故長いんだろうね?
今の特急型電車は21m規格になったけど >>588
キハ58や80みたいに機関2台搭載のために止むなく、って感じと勝手に予想。
キハ20と52では機関搭載の違いで車体長が違うし… >>588
DMH17系エンジン2台乗せて、全国どこでも使える寸法にしたら、あれになったんじゃないかな。
22mキハ50というとんでもないもの→量産型キハ51
基本的な構成はキハ51からキハ58まで変わっていない。
1エンジン車は2エンジン車と共通車体+少しでも収容力を上げたかったからだろう。
(一般型で1・2エンジン車の車体が共通になったのはキハ45・23・53から) キハ142が20mに無理やりエンジン2基押し込んだ希少事例だがラジエータとか床下機器の配置に苦労しただろうな
元々50系客車からの改造で20mだった >>589
気動車屋が電車の床下機器を見て、その空間の余裕ぶりを羨ましがっていたそうだから、ほぼそれが正解だろう。 キハ26も1エンジンながら21.3m車体だが将来2基に増設できるようにした結果だが実現したのないな >>593
まずキハ55ありき
平坦線用に基本サイズ共通設計のキハ26が派生
だ。 基本混ぜて使うのに1エンジン車と2エンジン車で長さ違ったら使いづらいわな 長さが微妙に違ったら長編成DC急行のホームの
ドア位置表示とか面倒くさかったんじゃないの?? 座席数が違うと、指定のときややこしくなる
まして、運用がメチャ柔軟なDC。 長らく21.3mが気動車標準寸法だったがキハ37で崩壊した
更には軽快気動車でもっと短いの出現した
電車では721系以降の北海道の電車とか381系で採用されてる程度で381系は床下に冷房を押し込むために21.3mにした エネルギー源が外からか自達かの違いもあるしね。
電車でも1MならCPなど補機でギチギチだし。 キハ58系のデッキ妻面の開閉できる窓って、
なんの意味があったんだろう? >>600
タブレットの関係?と思ったがあれは、165系も普通にあったしそうではないな >>600
>>601
客室窓と同じく、夏季に外の涼しい空気をデッキに取り込むためだと思う。
非冷房時代の名残り。 58系キハで新製冷房車はいないからね
当時の手動ドアで10系など一部は窓も開いた客車と違って全車自動or半自動ドアで窓も開かなかったから 103系もあったよな、妻面の窓。あの窓開けてレール見るの好きだった
デッキは客車だとドアに開閉できる窓ついてたけど、自動ドアになってそれが出来なくなったから
妻面に窓つけたんでしょ。80系もついてる そういえば新製冷房車って無いんだよなぁ。最終形でも準備車だったか。
65で冷房付きになったんだね。 >>602
165系は、デッキのべンチレーターの有無で
新製冷房車かそれ以外か区別ついたっけ。
モハは直接冷房の吹き出し口あるけど、クハやクモハは
客室の空気送っているだけでデッキは蒸し暑かった。 >>603
キハ28-1505〜1510(2505〜2510)は新製冷房車じゃなくて >>607
冷房用の発電装置は積んでいたけど
キロ58への給電用で自車は新製時非冷房 昭和56年筑豊線で撮ったキハ55の写真がある。
キハ20や30などに混ざってほんと適当に連結
されてたんだけど、栄えある「ひかり」号の
車輌の末期の姿なんだよね >>607
>>608
二人とも微妙に違うと思う。
キハ28-1505〜1510(2505〜2510)はS43度に新製時は冷房準備車で機関も搭載していなかった。
配置後すぐ、同年内に長野工場でAU13×7基と4VK機関を搭載してキロ58と自車の冷房化となったわけで。
ちなみに2500番台に改番になったのは46年度な。 >>603
最末期の大歩危(冬場の特急退避)で半自動扱いやってたな。
なつかしいわ。 急行だいせんはホーム長が足りない停車駅でも
ドアを開閉していた。 昔は自動ドアでもホームに掛からない所開けたてたね
旧客のときは自分で確認して開けなきゃいいけど 身延線の富士川間合いの普通は最後尾の車両ドアカットしてた気がするなあ。 固定編成じゃなくて田浦スイッチみたいなのもないだろうにどうやっていたのかねえ
一部車両だけドア扱い、の方が近いのか? >>616
車両単位ならスイッチ盤操作で何とかなるが車両の一部だけだと特殊なスイッチが要る
田浦スイッチは113系はNFBカットで済んだがE217系は2両目の1個もカットしないといけなくて専用の回路が付いてる 葉ッピーきよさとはキハ58にしなかったのは中央本線での急勾配で不利だったとか?
小淵沢での機関車連結のタイムロスと中央本線の急勾配でのタイムロスを天秤に掛けたら機関車で電車を引っ張るアイディアに落ち着いたとか豪快だな
房総地区で夏の海水浴臨で80系や153系がDLけん引したのは車両不足のためだった >>619
キハ58では首都圏でのスジ立てが難しかったり、それら区間の内燃車資格運転士の確保ができないとかかな?と予想 >>620
補足
前例はアルプスであるけど、電車化から年数が経ってて新宿から運転できる人員が確保できないってことで。 スジや要員の問題が第一だろうけどそもそも松本や長野に急行型キハの配置残ってなかったんじゃないの?
特にキハ65とか東には残ってなかったはず
国鉄時代なら他局から借り入れも出来ただろうが分割民営化後じゃねえ >>622
キハ65は53.10改正で長野から全車追放済み。
のちに東日本になるところにはこれでキハ65の配置はなし。
長野には急行型キハがいくらか残っていただろうが、だとしても冷房電源はキハ28。 東北に強力な車両が必須の区間があったと思うけれど
そちらに回してもよかったのに。 小海線はJR化前 57+57 57+52
JR化後 58+52 52+52 そんな印象。
飯山色のが応援に来たことあったなぁ。葉っぴーもあった88年頃 >>620
おそらくはあずさも増便されてダイヤの余裕がなかったのでは ああやっぱり65もういなかったか
東日本エリアだと特に東北の非冷房キハ58とかで昔から不思議たっだのよね
なんで国鉄時代から58+65で組んでさっさと冷房化しなかったのかと
アルカディア火災で機関換装したけどその頃にはキハ110系列量産中で今更老朽車を4VK+AU13で冷房化はやらないってことだったんだろうね 問題です。
東北と西日本、冷房が必要だったのはどっち?
ちなみに家庭では扇風機が当たり前の時代で、首都圏にすら非冷房車が走っていた時代でした。 高原+急勾配の小海線が冷房車になったのはキハ110からだしね。
中込-小諸は盆地で暑いのに。 南側も暑かったよ。
チンタラ(しかし多分フルパワー)勾配登って窓を開けてもろくに風は入ってこないし、52だと床下から熱が伝わってきて蒸風呂。
ついでに高原ブームで車内は満員御礼。
中込あたりの方が空いていたうえ、それなりに速度出してたから窓を開ければ涼しかった記憶。 夏の昼間の只見線小出は35度の世界。
今は冷房車になったようだが。 165系169系新製冷房車からデッキのベンチレーター省略だったけど、
あんな客室の空気送り出すやつだけでベンチレーター省略ってのもねぇ。 リニューアル進行中の 大宮の鉄道博物館
上野駅を再現した一角で
キハ58系「いいで」到着→回送引き上げシーンなど
貴重な音源が流れている
(編集してあるようだが total 10分以上)
再生音量が小さいのが難ではあるものの
455系と485系に囲まれた環境で聴くと往時の思い出が蘇る
旧客「鳥海」が EF64-1000牽引に置換え後のようなので
1980.10 - 1982.11 頃の録音か? 181系気動車の中間車のエアコンの不思議
エンジンのラジエーターに囲まれてどうして? >>635
なんの話?
>>636
ニホンゴでよろしく >>636
そこから吸い込むならまずいが、
熱交換の排熱なわけだからラジエーターて一緒で問題ない。
冷やすのは車内の空気を吸い込む 探偵物語で中央線で165系使われてたんだって初めて知った
懐かしくて涙出てきたわ
駅弁依頼人に渡して田舎に帰ってもらおうとしたシーンね なんで中央線の電車急行はみかん色なんだ
東海道線や常磐線の例からすると青とクリーム色じゃなかったのか >>641
スカ色サロ165連結した115系急行といのがあったらしい>中央線
ピクトリアル2012年10月号(867)P86にスカ色サロ165のカラー画像がある >>641
直流近郊形は湘南色とスカ色の線区があるけど
急行形は湘南色だけ
急行形は運用が多岐にわたるから色分けは難しいんじゃね? 以前は60ヘルツの裾帯とか、妙に凝っていたな
50ヘルツの頭に細帯は、近郊形のみだったか 凝るとかそういう話じゃねえだろう。
必要だからわざわざそうしたんだよ。
なぜ必要だったかは流石に自分の頭で考えてな。 >>642
どうでもいいが、カラーなんだ。
ピクって以前に「やくものカラーバリエーション」を白黒で載せたのにね。
まあ湘南色と横須賀色だと、白黒でも面積でわかるか。 >>646
スカ線113の最初の塗り分けって湘南色と同じだったよね? >>644
新潟とか間違えるリスクがあったからね急行立山を糸魚川止まりにしていたから現実にはそういうことはなかった訳だがサンダーバードが村上以北行けない様に勿論北陸新幹線開業でありえない訳だが少しでもそういうリスク排除すべきだし >>647
だね。クリーム広いのが明るすぎてバランス悪いとか言われたやつ。 >>642
最終の急行かいじ甲府行きね
返しは翌日の甲府発快速高尾行きになっていた
後に小淵沢行きに延長した(509M)けど短期間でサロは外されてしまい、さらに下りも快速格下げになってしまった >>649
111系でいきなり湘南色のオレンジ部分広げたんだよね
115系かいじだと湘南色のサロ165-15を組み込んだこともあったようで
その場合色は違うが帯の高さは他車と合ってたんだよね >>651
70系・80系は窓のシルヘッダー基準で全金300番台でも踏襲してたからね。
153系も80系準拠だし、何故111で広げたかは謎だなぁ・・ 玩具だと165系なのに塗分けが113系だったりする
プラレールとかトレーンのNゲージとか >>653
実物も一緒だろ、マニアは細かい違いが気になるのだろうが 模型スレ行きなのだろうが165系佐渡編成がKATOから出るわ
モハ164-500にサハ164にサハシ165
KATOでは初の0番台純正サハシ
165の中じゃ少なかったのね
サハシ153余ってたからだとは思うが
サハシ169も全車元153だしね
サハシの艤装はMGとCPが形式と番台と配属先によってバラバラ過ぎてさっぱり
山陽九州の475457は早々にサハシ抜いたが中央東線の165は冷房電源が理由で82年まで抜けなかったし >>655
アルプスのサハシ、山屋やスキーシーズン夜行の混んでる時期の荷物置き場に重宝したの
まだ高校入るくらいの年齢だったけど覚えてる。 >>658
前の部分のデザインが違うみたいだが、同じと言っても差し支えなさそう 民主主義国家での国営鉄道であるからには、列車は乗客の資力に応じて
出来るだけ速達で車輌の質の良いものを提供すべきである。ーGHQ 民政局
有料の速達列車にあっては、特急と急行を提供すること。
→ 特急用 181-189 481-9 581-3、キハ81-181系と、
急行用153-169系 451-455系 キハ28-58
国民に等しく提供さるるべき主要な観光目的地への列車にあっては
最良な車輌にて特別料金なしの速達列車を運転すること。
→ 快速、 準急用 157系 日光、 伊豆
国鉄に力のあった昭和40年代までは昭和20年代にGHQ 民政局が敷いた
占領スキームの流れが続いてたんだな。 俺の親父も新潟で全く同じ事してたって言ってた。あぶねえナア
0196 回想774列車 2017/12/30 11:15:28
宮脇俊三氏の体験にもあるように乗り遅れた花輪線の急行をタクシーで追いかけ、途中で工事箇所ありガソリンスタンドへの寄り道ありで追い抜いてしまう
まだ地方に高速道路もなかった1970年代、すでにそんな状態 >>664 短距離で地元の道路事情に通じているドライバーならまだしも、70年代、レンタカーやマイカーで100q以上の長距離動かすのはしんどかったんでは?
70年代末から80年代になると、かなり楽になってきたんだろうが。 急行型で側面方向幕付いてるのって非常に少ないな
キハ58でも急行よねしろは側面方向幕取り付け改造してた >>668
?
気動車に限らんだろ
こじつけひど過ぎ >>668
151系や481系ですらデビュー時はサボを使ってたからね。一般型と混結前提の気動車はおろか電車の急行型ですら完全に対象外。
特殊な事情で登場したキハ65以外は、113系の冷房準備車(方向幕も準備工事)が登場する前に増備が終了してたから、方向幕追設の対象にはなりにくい。 急行型から近郊型に改造された717系も改造時は準備工事だけで
九州のは結構後になって幕付けられたね。
475系と同じ所属区で使ってるから結局サボは無くせないわけだし。 >>669
客車は付いてるのにって意識でしょう
まあ、単に開発時期の問題だが 方向幕は制御器あって一斉に回すから意味あるのよね
固定編成とか12系客車みたいに同系でまとまって編成くむ場合がそうね
そういう意味では特に急行型DCは運転台やG車車掌室に片っ端から制御器付けて回らないと編成に縛り生じる上に併結の場合の幕操作とか考えたくないわ
もちろん車両側にも幕自体の穴あけいるが一番面倒なのは引き通しのジャンパ線に制御割り当てて幕まで配線することでしょ >>673
>急行型DCは運転台やG車車掌室に
これって全車ってことじゃ?
無理だな >>674
うん、そういうことになるね
施工減らすなら時期的に冷改4VK化も含めて実質的な固定編成組まないと駄目
増車減車も硬直的になるしな
更に大赤字かつ全国レベルでの転属当たり前だった国鉄時代にはまず無理だな
あと別問題でこれも時期的に労組どうするよ
駅員のサボ換えのお仕事減らしたらどんな難癖つけられるかしら
その辺はあまり詳しく知らないけど A⇔B┛C みたいな変な矢印でつないだ行先表示などどこ行きなのかさっぱりわからん 昔の事だから「放送聞け」って事だわな。多層建ての場合、とりあえず切り離しても行く行き先だろうし 極めつけは、盛岡と区別するための大船渡線「さかり(行)」か。 新見←┓
糸崎――→和気
↑みたいなヤツ、岡山や広島の近郊形で見た記憶が
どこに行くのか分からないミステリー列車 >>682
475系で
金沢――→長浜
敦賀←―――┛
というのがありました。 その手の複雑な行程だときっちり逆行程たどるのかねえ
そうじゃなかったらどこでどうサボ交換したんだろうか >>676
むかし小倉から急行さんべ乗った時に
分割して行先が分かれてまた併合するとかで
ややこしかった思い出(うろ覚え) >>685
急行さんべ上り2号・下り3号がそれ。3号で説明すると始発鳥取8時26分。
長門市に着くのが15時30分。ここで山陰本線経由と美祢線経由とに分かれる。
そして山陰本線経由が下関に17時17分着。美祢線経由が下関に17時20分着で再び合体。
そのまま関門トンネルをくぐって終点熊本をめざす。
685さんが乗ったのは2号かな?55・10改正前のダイヤの話。 >>686
乗ったのは50年代前半と記憶
まだ小倉駅を石炭満載貨物列車が通過してた時代
停車駅時刻と分割併合の車内放送を
関門トンネル内でするから聴き取れないって言う
美祢のジジババん家へ大分から行ってた >>48
まさか戦後すぐに日本マクドナルドがあったとでも? 銀座出店以前から米軍基地にあったよ(クソレスにはクソレスで返す感 キハ58も国鉄時代から九州用のように1色で派手な感じにしてもよかったかも 当時そんな文化はないね。私鉄もやたら凝った塗り分けが多く
90年代でも九州の一色物は斬新だった 長崎のキハ58に昭和58年頃試験塗装車がなかったっけ? 確か57(1982)年ね
そいつが表紙飾った鉄道ファン持ってたから
年1回の車両の動き掲載号だった(それしか買っていなかった)のと荷物列車特集号だったから間違いない をう、58じゃなくて40が表紙だったか
失礼しました 学研の図鑑でキハ58か40のイラストが試験色だったね >>696
国電の1色と九州の1色は同じようで違う気がする 同じ赤でも名鉄パノラマカーはよく似合ったが、JR九州はいまいち
最初からのトータルデザインと後から塗り替えたのでは、違って当たり前か
あと、細かな文字がゴチャゴチャしすぎ >>705
水戸岡氏の一色塗りは理由があるからね。初出は485系赤塗装だったかと。 >>706
赤い485系?
パノラマカーはアンダースポイラーとライトとヘッドマーク?に白が使われてるんでボディはスカーレットべた塗りでも上手い具合にアクセントが効いてるわね。
485系は運転席の屋根がボケた黒なんで全体に締まらん感じ。 485系は文字マークや国鉄時代のイラストマークと九州塗装が意外と似合っている 赤い「みどり」とかあったっけ
まだ赤い485系ならそれ程悪くはなかったけど、今のミトーカはちょっとねぇ >>711
>
> 今のミトーカはちょっとねぇ
色々屁理屈捏ねてはいるが、鉄道のことがわかってないと思う さも自分ら5chのヲタは本質が分かっているとでもいいたげな書き込みだなw 分かってるわけないだろう
だが、かの人は、なんだか分かったような顔して妄想を並べてた
最悪の発言は かもめ がDBのICE3に似てるという人もいるかもしれないが、良いデザインは収斂して同じようなものになる、という意味の発言を鉄道雑誌だったか何かにしている
後発が何をヌカすと思った次第
言い訳ならまだしも、正気だったら、気は確かか?というレベル スレタイから逸脱した話題を延々と引っ張る癖は直すべきかと >>716
いや、気が確かじゃないのは君の方だよ
見ず知らずの人とか刺さないでくれよ 153系にあった古い灰皿が現存してる保存車ってありますか? >>719
153系の保存車が一両も無いので絶望的だが、サハシ153で、サハシ165/169に改造された
車両が有るので、それがどこかに保存されていれば・・・。 国鉄時代それも民営化決定前に153系全廃済みだからなあ
153系自体より先にサハシ165-50/169は全廃済みだったし
佐久間にいたクヤ165も内装は教習車時代に撤去済みみたいだし >>721
佐久間で辛うじて1回だけ車内見学出来た思い出
デッキ仕切り壁が2枚とも健在でサハシを感じられたのが良かったな
あれこそ博物館向きだと思ってたんだけどね >>722
博物館行きにするには内装復元用の備品残ってないから漏れたんだろうね
クモヤ90をモハ63に復元するために色んな車両潰してかき集めたのを考えると >>723
何で復元前提なの
美濃太田から165が来るのは予想出来たし教習車も並べる意義はあるかなとと思った次第
この手の改造車は一般人受け悪いんだろうけどさ >>724
その意義考えるのが運営者の東海でリニア館がどう見ても復元したぜすげーや旅客車万歳の方向性だったからさ
事業用車大事ならクヤの他にもクモエとかどうして潰しただし マイネ40 7の開放室復元はお手上げかな
碓氷の11と違ってドンガラのハズ
急行での区分室の利用状況はどんなモノだったんだろね? 末端部で普通列車扱いになる急行列車では普通列車になる区間で冷房を切ってしまうことが多かったな
今じゃ考えられない 北海道は別として、急行の冷房化が完了したのはいつ頃だ?
1980年になっても暖房車がゴロゴロしていた記憶
旧型客車はもちろん、比叡の155なども
そんな時代だと、末端格下げや間合いの普通列車に冷房などとんでもない、というのも分からんでもない
近郊形などの新車も、幹線系と地方で冷房の有無で差を付けていたし >>728
東北のキハ58はJRになっても非冷房車が急行で走ってたはず
そもそも盛岡のやつは花輪線の急勾配対策でキハ58同士背中合わせで連結してて冷房化が不可能だった
キハ65があれば冷房化出来たがそもそも104両しか作られず配置が西日本に偏っててJR東日本には承継されず >>728
東北の気動車急行だと、しらゆき・きたかみ絡みの秋田車の指定席以外は
最後まで冷房が無かったんじゃないかな。
新潟だと赤倉は電車化まで指定席のみ冷房。
電車だと、比叡は57.11まで非冷房車が入る可能性があった。
大垣の東海運用だと、S53〜54頃に東京方3両の非冷房縛りが無くなり全車冷房化。
それ以外は、S52夏に神領の中部山岳ローカル急行が冷房化され、
定期列車では東海以外(その頃比叡は宮原持ちで全車冷房)の冷房化が完了したんじゃなかったかな。
もう一つ、比叡は159じゃなく、関西からのお下がりの155. 159系の運用終了は1979年度末で
比叡の大垣区移管は1980年10月改正だっけか 急行型というと語弊が出るが、上野口の旧型客車急行は1982-11-15改正まであった。
その改正で一気に12・14系にはなったけどね。 >>728
他のみんなにもあるように比叡のミハ→カキ移管は宇野線急行が廃止、新快速の117系化に伴い操配用の167系グループ以外はミハから急行型が撤退するのにあわせて車両も比叡運用も同時に大垣に移管したかたちをとってるよ。
その頃大垣は159と155系の初期車は廃車済だったものの、165系の初期車より増備が遅かった155系の最終ロットは未だ現役だった。うち4両編成1本は富士川運用の伴車運用がほとんどで残りの4両が153の非冷房車とともに中京快速と比叡の運用に入ってた。
またこの頃は東海運用は全車冷房車が基本だったけど稀に153の非冷房車が入ってた。
東海運用の自由席車の3両が非冷房車だったのはもう一時代前で縛りというか東海の指定席車すら完全冷房車の確保が困難だった事が大きい。 >>732
> 大垣の東海運用だと、S53〜54頃に東京方3両の非冷房縛りが無くなり全車冷房化。
>
それ知りませんでした
電源積んだクハ不足の為?
それとも「ごてんば」が高シマの165で逆向きの時代? >>735
> 東海運用の自由席車の3両が非冷房車だったのはもう一時代前で縛りというか東海の指定席車すら完全冷房車の確保が困難だった事が大きい。
東海に指定席があったのは準急新東海だけかと >>736
「ごてんば」の予備として高シマの165が逆向きでつくことからで正解。
非冷房クハなら両栓だが、冷房化すると片栓になるため。
所定では153系M'Mにクハ153・165だが、時折155系M’MTcが使用されていた。
155系を回されたことに対する本社へのあてつけだったかもしれん。 >>739
末期の急行ばんだいであったはず
他にもJR初期の頃の急行ひのくにとか
急行から特急への過渡期は特急型を急行に充当したりとかあって乗り得だった 平成初期、急行ひのくにって715系や811系使わなかったっけ。 811の臨時ひのくにには乗った記憶あるな。
715とかもネットで画像見たことある。
まあ急行型ではないのであれだが。
キハ54の礼文は乗ったが、あれ、当時はまだ車端はロングにはなっていなかったかな。 >>743
急行仕様、普通仕様、四国ロング仕様があるから、自然の事 臨時快速「近江路」や「びわこ」のことか?
急行「比叡」を皮肉して言ってるのか? >>746
1980年10月改正で1往復が廃止され大垣区に移管
中京快速と共通のモノクラス8連になったから格落ち感は否めなかった
改正前は宮原区持ち2往復でサロ1両込み貫通8連だったからね
有料快速と揶揄したくなる気持ちは解らんでもない 急行なら西明石〜京都の禁煙区間は対象外だし、定期券の客でも乗車券別買いだしやっぱり優等列車 >>749
新快速が117系になったからなぁ、
車両は古い、車内設備はデッキ付き以外は完全に劣る、
冷房の無い車両が入ることがある、大阪京都間は新快速より遅い、、、
新快速より劣格落ちの優等列車、
正直、これで急行料金取るのかのレベル。 と、書き込んでみたものの、
当時東北や上野北陸急行には旧型客車や非冷房気動車の急行が走っていたな、
まあ電車急行としては当時最低レベルということで。 当時の新快速が昼間のみで草津や京都発着だったことを考慮しても、暖房車に別料金とかぼったくりだった
ま、当時は旧型客車でフツーに急行料金取られたが 丹後92号、全車指定の旧客
3.4号車 61系 のまま >>749
鉄道ジャーナル1982年11月号の列車追跡での比叡は、お盆休み中にも関わらず、見事に非冷房155系のモハユニットが組み込まれていたのを披露した。
同じ号に登場したしらゆきも非冷房車だらけ立ったようだ。 新潟とか、165系やキハ58が普通列車として走ってた時代が一番旅行が快適な時代だった >>759 同意。 快適っていうと、80年代後半から90年代だと思うね
よく書かれてる57-11改正の前は帰省時とか新聞紙敷いて4時間前から並ぶ様な時代だし
JR車に代替進んで短編成化混雑の増した90年代後半以降は特急じゃないと色々キツい
急行東海も96年まで、磐越西線の快速あがのの58や455系快速、50系客車普通も95年くらいまでだっけか その頃はグレードアップ編成やリニューアルが多かったからな 名古屋〜新潟間を結んだ急行「赤倉」は中央西線・篠ノ井線が電化してもなぜかキハ58系だった。
確か57-11改正でやっと165系化したが短命に終わった。どちらの車両も「新ニイ」と書かれていた
ような気が。少なくとも名古屋局所属ではなかった。 >>765
新ニイが新カヌになったのが1986年、キハ58/165系赤倉運用時はそれ以前(赤倉が区間短縮、南越後化が1985年だったかな?)なので、新ニイでよいはず。
新カヌは現在は新ニイに戻ってるよね。 >>766
JR化後の赤倉は上沼垂所属
あと上沼垂になったときに485系が配置された カヌって一応ギリ国鉄時代だったのか。JR化後かと思っていた >>769
JR化後の赤倉は、とがくしと南越後を統合・解消して愛称復活したものだよね。赤倉の愛称はその間は名古屋〜妙高高原間の臨時列車になったから、一旦定期からは消えたわけで… 上沼垂は全国からかき集めた485系だったため、
ボロいのばっかだったな。 >>758
同じ時期の夜行「のりくら」の増結車にキハ26か55が入っていたな。
さすがに東海道線内のみの利用者はいなかっただろうが。 >>773
キユニ込みの増結編成かな。
<キユニ|キハ|キハ|キハ>の4両で、キハは55・58×2と26・28×1。
急行への使用は下り夜行のりくらのみ。
美濃太田を出て高山本線内で使用後、富山発名古屋行の普通で名古屋へ、
夜行のりくらに連結され富山へ行き、再びローカルで美濃太田へ戻る。 >>743
礼文用のキハ54はロングシートはなかった
ロングシートを付けたのは結構後 比叡の大垣移管後は、新快速運用離脱後に宮原から転属してきた車両も組み込まれていたんだろうな。
新快速としても不合格の車両を使い、上りは京都到着前に新快速に抜かれる。
酷すぎるなあ。 >>780
比叡が先着してたところしか見たことない。
現実に追い抜きあったのか >>782
自分では見ていないが、旅と鉄道には高槻過ぎて抜かれたと書いてあった。
あと、宮原の153系の頃は大阪を4分後に出た快速(新大阪、茨木、高槻停車)に京都で追い付かれ、山科のカーブで抜かれたと鉄道ジャーナルに書かれていた。
比叡、かわいそう >>785
小6の夏に一度だけブルーライナーの新快速に乗っていて、急行比叡を抜くのを体験した。。
あんまり速度差がなかったようでゆっくりと抜いているように見えたけど、
駅を通過するときはホームの柱があっという間に後ろに流れていくような感じな上に、
非冷房車なので窓を開けていたおかげでスピード感が半端なかったわ。 >>785
外側線に貨物も多いし、一律に立ったスジが引けなかったのでしょう
大阪00分発の雷鳥も、京都までの所要時間がまちまち
1番人気の新快速と同発、同着は日に1本ぐらいだったと思います 急行たかやまの晩年はあまりに場違いすぎて哀れであった。 大阪11:25京都12:00の急行比叡が、時刻表では京都11:59着だが足の遅い103系にいく手を阻まれ延着が日常であった新快速に高槻あたりで抜かれるというのは考えられないが。
ダイヤが乱れていたのでは >>786
153系新快速に非冷房車両つないでた? 周遊券を何度も利用したが少なくなっていた急行を如何に利用するかが課題だった
@鳥取→大阪(但馬2)
A大阪→名古屋(比叡)
●名古屋→静岡(新快速+東海に追いつくため仕方なく新幹線)
B静岡→東京(東海4)
定時運転のお陰で@とAで新快速に抜かれる屈辱を2回も楽しめた日だった >>790
なるほど、当時の新快速は全て京阪間29分運転出来ていなかったということか >>791
冷房付きが基本で売りだったから、勘違いと思われる
夏ではなかったのでしょう >>793
29分走破してたよ
足の遅い... は理解不能
新大阪、神戸通過時代、そんな生っちょろいスジは引いていない 外側線の方が、EH10に頭抑えられるから、遅延する >>792
俺が使っていたころ比叡はすでに消滅。
かすが(急行型)を愛用。 >>792
急行比叡が走ってる頃に名古屋地区に新快速はありませんでしたよ。 1980年10月の改正から比叡廃止の1984年2月までのことだろうけど
鳥取5:45-大阪10:45/11:25-名古屋14:14/14:25-浜松16:04/16:12-静岡16:42/16:44-東京19:40
というような感じだが
これって比叡に乗る必要ないんだよな
姫路で新快速に乗って草津で乗り換えると同じ浜松行の快速に乗れるから
まあワイドかミニなら関係ないけど >>792 >>798
おそらく117系「快速東海ライナー」のことかな?
当時、関西では117系は「新快速シティーライナー」になるからな。 >>794
今年の鉄ピク4月号に新快速色で非冷房車が鷲羽に組まれてる写真が載ってる
1972年3月改正直後は非冷房のまま運用されてた可能性はあるね >>801
ということは、新快速色が峠を越えて岡山県宇野まで入っていたということなんですね。
新快速間合が上郡まで入っていたのはかすかに記憶があるんですが。
東側はどうなんだろう、関ヶ原越えもあります? >>804
その鷲羽は間合い運用ではなくて新快速運用を控えての塗色変更だからね
新快速運用から離脱し大垣区に転属後しばらく新快速色で運用されている
前回の特集2001年10月号ではこまどり運用で上京の写真が載ってた 新快速色は153系以降の車両にも使用しても良かったと思う 急行型じゃないが阪和線新快速も類似の塗装じゃなかったっけ?
JR化以後の色彩センス無さ過ぎの雑多な地方色に比べれば再利用されても良かった気はするが 現代ならまた見直される色彩かも知れんが、
昭和末期や平成初期は彩度高いのが鉄道以外でウケてたからなぁ
最悪なのが福知山の113-800かな。 117系に153系新快速色は似合いそうだな。
鉄道模型のネタによさそうだ。
俺は塗装ヘタだからできないがw
阪和線のは帯が朱色だった。(よな?w) >>809
阪和線新快速は東海道・山陽新快速と同色。朱色帯は関西本線快速。 >>806
夏向きの涼しげな色だが、紀伊田辺〜新宮の113系4連はすべて非冷だったな。 紀勢本線ローカルに165系が入った時は新快速色に塗り替えるのかと思ったが。 >>795
内側線走行の153系は、100キロが最高じゃなかった? 169系のしなの鉄道色とキハ58のハウステンボス色は目立つ色だったな 正面全面オレンジが153と155だけだったのはなんでだろうね >>817
形式毎に区別付けるためか?
>>818
そこはむしろ低運転台車なのでは? 上沼垂の165系トップナンバー編成って
わざと揃えて組ませたの? 新製時から新潟離れてないからずっとそのままだったのかもね K2は更新されてて三鷹へ転属
何と9372Mの先頭にも立った 紀勢線の珍車は、急行「きのくに」の南海車かな。
最後まで非冷のままだった。
同じころ、有田の急行車が紀勢線湯浅まで乗り入れていたなあ。 >>825
キハ55系が国鉄急行から引退してたんで選んで乗りに行ったよ。
真夏以外は特に問題ないしDCで南海線内乗るのも面白かった。 国鉄急行併結の私鉄車って南海の他は富士急の58と島原の26位か 茨城交通は逆に乗り入れた臨時急行(あじがうら)が勝田で茨城交通の気動車と連結して線内走ってたな >>821
現役末期の頃はそう
Mc-1は元はTc-162とかと組んでなかったっけか? JRR80年版国鉄電車編成表より抜粋
新ニイ 165系
Mc1 M'1 Tc27 T10 Mc23 M'23 Tc166 Ts80 Ts91 Mc100 M'64 Tc61
Mc33 M'33 Tc59 T6 Mc16 M'16 Tc1 Ts92 Ts98 Mc31 M'31 Tc24 サハシ抜かれたのは53−10の準備段階の53−6ってなってるな >>830
クモハとモハはユニット組まなきゃならないので
お揃いなんだな 中央東線のサハシとは僅か数年差とはいえ廃車時期分かれてたのね
あと電動車ユニット組み換えは急行型では事故廃車の都合で起きたクモハ169-9?位? よほどのことがなければ製造時の相棒と添い遂げてるっぽいが
(新性能全般だと改造種車捻出用に意図的にユニットをバラす目的で新製のモハ180-115とかいるけど)
165系全体だとモハ164が0台500台800台まぜこぜ&モハ165が挟まったりで相棒がどれだかよくわからんのですが >>835
晩年の東海車は汚物処理装置の関係でかユニット組み換えてたねぇ。後は身延線絡みかPS23換装車は生存率が低かった。 急行東海は81年に153系からモハ165入り12連になって、
そのまま96年の廃止までモハユニット中間のまんまだったかな。
番号組み合わせは変わってた。 165系化完了で東海の編成は短くなったけど
サロ2両込み貫通8連は急行としての風格があったね
廃止直前に逆台形HMと緑帯復活で有終の美も飾ったし
=表示で大垣夜行でもHM掲出したんだっけ? >>838
K編成とF編成連結して12両編成のときなかったっけ? >>840
置き換え完了直後は12連だったけどサハが無かったからね
編成美の点ではちょっと、ね Kenjiの車齢57年は驚異的すぎる
来月引退するが >>842
逆に、昔は無駄遣いしていたのでは?
153系急行伊豆あたりは車齢20年そこそこで廃車だったし。
せめて後付けのクーラーだけでも非冷の近郊型に転用すれば?と思っていたわ。 昭和30年代前半の軽量車体は耐候性鋼板じゃなく実際持たなかったようだし・・
10系客、153・157、151-181、キハ10他 JR東車はDMH17H全廃政策で新型に取り換えられたのが奏功した
独特のエンジン音は失われたが保守費用低減に貢献したともいえる
180PS→250PSと出力が上がって5ノッチ5分が無くなったのでランカーブが修正された?
JR東海は快速みえで110キロ運転対応でエンジンが交換されたが長続きせず >>843
広島地区だったかな
近郊型冷房改造の際に再利用されてたね >>844
融雪剤のせいでうちの車もボロボロです>< >>844.846
JR化前後の車両も鋼板が薄くなっているのだが
キハ130ぐらいしか問題化しなかったな 海沿い走るから日高のは例外なんだろうね
他の三セクのはもうちょっと持ってるけど
それでも20年で取り替えでほぼ次世代NDCになってる >>853
「伊予灘線」の潮風は余り関係ない?
キハ32はすでに30年越え。 日高線は潮風に加えて、濃霧(塩分が多い)に頻繁に曝されていた、
という事情が大きいかと。 あと風ね。吹きさらしの潮が凄いよ。
瀬戸内は海にしちゃ穏やかで、
四国で塩害なら阿佐海岸とか土佐くろ側じゃないかな 何でもそうだが、平素の地道なメンテナンスがモノを言う。 >>684
備中高梁でサボ裏返してるのを見た時は、裏面は岡山だったけど。 北陸の475系は概ね45年間長生きした。
軽量車体で腐食云々は完全に言い訳だよ。
国鉄の現場荒廃で初期の新性能電車は寿命を10年は縮めたと思う。 >>862
長生き出来たのは新製冷房車だからでは?
冷房改造車とは車体強度が根本的に違うんじゃないの? 交直流急行型の新製冷房車は457ユニットと同時増備の付随車だけね
高耐候性鋼鈑の採用がいつだっけ?
新性能初期には未採用なのは確実
MT46搭載車は全形式該当のはずなので労組問題他のメンテナンス問題もあるだろうがいずれ寿命は長くなかっただろう
(一部の471ユニットや453ユニットがむしろよくJR化後も生き残ったというべき) ハイテン鋼板や台枠側構間の突き合わせ溶接は201系量産車から採用。
それでも水が溜まる戸袋、屋根肩、裾、水回りは錆びる。
錆が鉄骨を犯す前に手当すれば長持ちするのだが、
国鉄工場は外板のクサリを継ぎ接ぎするだけで柱は朽ちるに任せていた。
80年代に特別保全工事をするようになって漸く予防保全へ動くようになる。 >>866
初期の新性能電車と北海道は何の関係もないと思うんだが 新日鐵に定年まで勤めてたおいちゃんは鋼板はグレードによって全然違うのと戦後自動車用に大量生産する中で飛躍的に性能上がったって言うとった。新性能電車が出る昭和30年代前半ではまだまだ発展途上やったんやない? みんな国鉄に寛容だなw
営団300とか名鉄5500とか阪急2000(能勢電1700)とか長生きした初期軽量車体もたくさんあるのに >>865
117系や185系は腐食しやすい箇所はステンレス使っているんだっけ?
水気による腐食は防げても、異なる金属同士での電蝕起こしそう。 >>870
アルミと普通鋼だとそれはあるけど
ステンレスって鋼の合金だから普通鋼と接して電蝕起こすわけがねえよ >>870-871
ステンレスと異種金属との接触についての問題点
http://www.jssa.gr.jp/contents/faq-article/q9/
↑によるとステンレスはイオン化列に当てはめると銅(Cu)と同じくらいらしい
塗装や水抜きさえしっかりしていれば問題なさそう? >>864
485系だと、43.10の新製車以降じゃなかったかな。
キハ58系では、キロ28の最終増備車のみのはず。
それからすれば、多分キハ65は最初から、
電車急行は新製時からの冷房付き車両からだと思う。
あやふやなレスすまぬ、資料はあるが、正直出すののマンドクセ('A`) 185系は腰板、戸袋、水回りがステンレス。
あと強制換気にして車内の気圧を上げ、水を進入しにくくした。
100系では屋根板にステンレス波板を使用。
JR化後の鋼製車はこの造りが主流になる。
117-100では一段下降窓のステンレスユニット化による水密、排水を実現。 昭和57年川崎駅に廃車留置してあった153系は塗装がベロンと剥げて茶色く錆びてた。
彼らを追い出した185系はピカピカ新車で踊り子などに活躍。前の年までは153+185の併結なんてのもあった。
あの時点で留置中の153の車齢は僅か22年位。一方で185系は今年37年でまだ特急料金取って走ってる。 上野駅まで行くと153系の後輩165系急行草津、白根、日光 455系急行ときわ まつしまなど現役バリバリ。上に東武の事誰か書いてたけど確かに6000系とか車内は153系165系の急行テイストだったねのオレは東武スカイツリーライン沿線民 笑。
朝夜などは外板が超ベコベコのオロネ10オハネフ12スハネ16の急行寝台がまだあって 車齢20年と僅かの割には内装もすっかり黄ばんでいてあれに急行料金や14系と同じ3段寝台料金払って乗る北陸や奥羽地方の人が気の毒であった。
東京駅まで戻るとスレ違いだけど24系25型などは24系25型200番台が組み込まれたあさかぜはまだ新車の匂いが残っていて勿論外板はピカピカだった。
だがその20年ちょっと後2005年頃北斗星に運用されてた24系ファミリーは外板がべっこりハゲ落ちてその惨めさは往年の10系寝台を彷彿とさせるものがあった。 末期に見られたG車の一段下降窓→二段化は、メリットがあったんだろうか。 二段窓化が行われたのはS55頃だが、
交直流のサロ451・455はもう急行からの完全撤退が迫っていたせいか1両も施工されなかった。 >>880
先頭車改造して普通車格下になったクハ455−606〜610はユニット窓だったが、
サロ165からの改造だった。 611もね
なお竣工時AU13持ちは602-605と611のみ サロ165とかの下降窓は雨水が溜まって腐食が進行したからな
小田急が普通鋼で下降窓を採用して問題なく行けてるのは鋼体内に水抜き穴があるためだが国鉄型には付いてなかったのか?
117系100番台は窓の下をステンレスにして解決した 117系も205系も増備途中で下降窓
今のJR型もほとんど下降窓
下降窓好きだねぇ 安全上と構造上の問題だろ
二段上昇とか身の危険感じたわ 2段上昇はトロッコ列車みたいだったな
風通しを優先して乗客の安全が軽視された感がある
窓から体を乗り出して架線柱に激突して死亡する事故が結構あったようで後年下段が開かないよう改造されたの多い 開けるのはスムーズだが、閉めたい時に思わぬ苦労を強いられる上昇窓
そんなイメージしかない。 桜木町事故を想定すれば
2段上昇の方が安全なんだけどな さすがに現代で桜木自己想定はしなくて良いだろうし
想定してもドアと貫通路で間に合うんじゃないか? 一段下降窓、小田急も近鉄も外板厚でしのいでたとか。
国鉄1.6ミリ時代に3.2とかね。 それでも小田急5200や9000は裾だけ張替えとかやってて
8000からアルミユニットになった。 国鉄でも車掌室窓は下降窓が続いたけど、どうやって手当していたんだろう
そこだけ厚くしていたんだろうか ユニット窓化は本当にその時期だけで、
東海のサロ165や丹波のキロ28は最後まで下降窓で残ったものが多かったから
やはり国鉄の保守がズタボロだったのは否めない。 >>892
>>891のは乗務員室扉じゃなくて、車体についた窓のことでしょう キハ82系もハイテン鋼使っていなかったからか、
アルファコンチネンタルもフラノエクスプレスも
車体新製とは言え早期引退したな。 ユニット窓化が現車が特定できる記録残ってないのは何なんでしょうね(ピク増刊急行型気動車でも不明だって)
>>896
アルファは56系種車で先頭車前半分以外は旧車のまま
フラノは先頭車後ろ半分は旧車のはず
新造はオールハイデッカーのトマムサホロかな
ただせっかくわざわざ改造したキシって有効活用出来てたのかあれ? ブルトレは寝台の各区画に窓ガラス割るハンマー付いてたな
しかし見た目が普通の金槌で割れるのか疑問
自動車用の緊急脱出ハンマーは先が尖ってて容易に割れるが金槌では強度的に割れにくい
新幹線も0系の最初の方は非常口があったのに消えて後年埋められた 711系900番台なんて、外から見れば急行型そのものなんだが、急行運用もあったし。
長くはなかったがロングシートがあれば近郊型ということか。 711は、後の185(電車)みたいなものだ
急行(特急)と普通の兼用車 >>898
あのハンマー西村京太郎のトラベルミステリーで車内殺人事件の凶器になってたな。 >>903
元々赤いから血が付いてもバレないってかw 宗谷は客車から気動車化。
だいせんは気動車から客車化、のちにまた気動車化されたけど。
客車化じゃ遅いしキハ56じゃボロいので、キハ40系をパワーアップ急行型化という苦肉の策だったな。 >>884
国鉄のエライ人が、横浜市営地下鉄の加工窓を見て即決した。 >>907
それマジなの?
確かに横浜市営2000系とJR205系は側面がよく似てるが >>908
雑誌で読んだ記憶があるが、具体的な掲載号が思い出せない 909の中身読めよ。 当時の掲載誌とWikipediaに載った出典本全部書いてあるぞ >>911
土岐実光さんだっけ?電車を創るで読んだな
連載は鉄道ファンだっけ? 別に矛盾する話ではないと思うけどな。
国鉄の車両屋達はせっかくのステンレス車だから一段下降窓を採用したいとは思っていた。
しかし205系先行車は時間がなかったし、添加励磁やボルスタレス台車のように開発試験もしていない。
10系客車など過去の失敗から、おそらく検修や経理を説得できる自信がなかった。
そこで腹案を実現させるため、原設計を変えずに下降窓化する方策を練りつつ、
決定権のあるボスに決断させようとシナリオを書いた。
さも偶然のように東急車輛で205先行車と横浜市交2000を並べて見せたわけだ。
どこの会社でもよくやる臭い芝居w 久しぶりにビコム日本列島列車大行進98
急行よねしろとかたかやまとかキハ58系急行がまだ走って懐かしすぎた >>914
その後東横線急行の8000系がすれ違うときの下降窓のバタつきを目にしたらどうだったろう?
正直下降窓は見かけ倒しと思う。 東急8000、京王6000は手抜き設計の権化と言われてるからなw >>877
はまなすの晩年なんて、塗装や外板が、涙なしでは見れない感じでしたな。 4VKは3000rpmで回転させてるために非常にうるさい上に本来60Hz用の冷房機を50Hzで動かしてて冷房能力落ちてたな
自動車のエンジンを空ぶかしさせてみると分かるが60Hzで動かそうとすると3600rpmになってしまい燃費も騒音も凄くなる
2極発電機であるため回転数が異様に上がってしまう
キハ181系は4極であるため1800rpmである >>918
東武に渡った客車だっけ?あれも外装かなり痛んでいたな。 元キロ25のキハ26-400は、車両によってモケットがえんじ色のままだったり青色に張り替えられたり、
地域によって座席が向かい合わせに固定されたり回転機能が存置されたりと、まちまちだったな。
回転機能が存置されている場合でも背面のテーブルは撤去されていた模様が。
元キロ60のキハ60-101は、ブログに上がった写真を見ると、回転機能が存置されて、カーペットも敷かれていたけど、
背面のテーブルは撤去されていたように見えるな。 >>921
えんじ色のは小牛田のやつ、青は南九州の印象が強いね 新津運輸区にいたキハ58系って、いつから両端ロングシート改造されたかわかる人いる?
急行べにばな運用についていたときから? べにばなって91年の板谷峠工事の時からだっけ、その2年後93年に
磐越西線で「あがの」で乗ったやつは3タイプくらいあったよ。
近郊化改造されてないオールクロスも混じっていたが車番メモってないな。 >>924
91年8月末の中途半端なダイヤ改正で快速化されたことだけは確かなんだけど、
急行運用でロングシートはないよね? >>925
末期のDC急行能登路、セミクロス車の運用多数。 オールクロスカ改造されたとはいえ、415系で急行料金と
どっちが良いやらw 当時は新車の115系急行の方が断然いいべ。(ただし非冷房車) >>930
『本来は』と断っておくべきか
本来は
急行券=長距離を高速で移動する料金
特別急行券=長距離を高速かつ快適に移動する料金 >>932続き
よって特別急行は原則全車指定席だった。 能登路の415-800はちっとも早くないし短距離だから
急行料金失格だったわけだ。 それで今、413と同じ普通専用なわけだが。 草を生やすのに足るレスですな
短距離だから、、、、、
ウケる 走行距離で 急行・準急行 を分けた時代もあるんだよ 車両も綺麗な43系 新車のキハ58 と、35系くたびれたキハ55とか、分けていたり しかし、こだま形以降は格下げを考慮しない特急専用車が次第に増えていき、
昭和47年の山陽新幹線岡山開業でスレタイ急行形の新製はほぼ打ち止めに。 >>934
急行料金失格なら、今の大原〜大多喜はw
嫌なら乗るなって話だが。 >>934
当時の時代背景から壁面の灰皿存置で一応喫煙可能な車両(クモハ415)もあったしな、
今の猟奇的ファシズム全盛期なら考えられないだろうけど。
輪島珠洲と穴水で分割されていたDC能登路ではどうなっていたかは記憶が曖昧、
普通にスパスパやっていた記憶はあるが、それがいつまでだったのかがわからない。
禁煙アナウンスに楯突くほどイカれてるわけでもなかったしな。 153系よりも明らかにデラックスな157系が準急か 東上線特急(8000系)より豪華だった伊勢崎線急行りょうもう(1800系) >>938
一番若い車両でも車齢45年を超えているんだな
一番最後の国鉄急行型ってなんだったっけ?金沢の475系?あるいは、富士急の元パノラマエクスプレスアルプス? >>943
急行券と快速急行券が同じ料金
伊勢崎線りょうもう(1800系) =日光線だいや・おじか(5700系・6000系・6050系)
日光・鬼怒川向け特別料金という名のボッタくり(DRCより安いことで騙される) >>942
同じ準急型で差があっただけだからな
今だって特急型は一律同じじゃないだろ? 157は151を補完する実質特急型つうか、特急への転用を前提とした車両なんでは。
当時、6両程度の短編成直流型電車特急を広範囲に走らせる予定が無かったので、比較的少数量産に留まったが。 >>944
一番最後の急行形は昭和53年製の12系客車だな。
もっともこれは動力近代化計画に完全に逆行しており、
組合対策でしぶしぶ作った例外。
昭和47年の岡山開業で153系が関西の新快速、中京地区快速に回り始め、
昭和50年の博多開業で475系の九州ローカル転用が本格化した。 >>948
老朽化が著しい旧客と10系客車での急行列車置換えが急務だったから仕方なかった。
この時、DCはキハ66,67が少数作っていたけど、何よりも余剰気味だったELとDLを活用しなくてはいけないから、
客車列車を運行する必要があった。
一般形の50系客車も同じ理由。 >>948
185系が急行型としてデビューしていれば。 185系で特急扱いだから叩かれた。171系で急行料金なら歓迎されただろうね。 >>948
組合対策はあまりないだろう、
当時、急行型を作るとしたらあのパターンしかない。
東北方面はまだまだ臨時急行が必要で、
年間稼働率を考えると電車・気動車じゃ勿体無い。
そのあたりを計算の上12系を増備したんじゃないかな。
ただ、12系の増備が終了後すぐ12系の和式客車改造が始まったのはちょっと・・・
(増備と平行していたかな?) そして12系は結局足らず千サクのオハ35系まで「おが」に投入する遜色臨時急行 かいもん、日南の12系はリクライニングシート改造されていたな 昭和52〜53年といえばスト権スト敗北でやや沈静化していたとはいえ、
ストライキによる国鉄の減収額は毎年100億円を超えていた。
こんだけ損害が出るともう電車や気動車の方が高いとかは関係なくて、
損害を抑えるためには多少組合側に妥協した客車の製造(50系・12系・24系)はやむを得なかったんだな。
貨物が衰退して機関車乗務員はダダ余り、ブルトレは凋落一方で20系の老朽対策もせにゃなわんわ、
昭和47年の北陸トンネル事故対策で古い客車の不燃対策も急遽打たねばならんわで。 松本発名古屋行きが名古屋で次発の亀山行きになったのっていつの改正なんだろ?
中央線名古屋口って103系運用する一方で165系ローカルも結構あるのね
急行の間合い運用で高蔵寺行き→多治見発名古屋行きとかやってるし >>950
昔Nゲージでキハ65がなかった時代、トミックスのキハ58パノラミック・ウィンドー車と、KATOのオハ12を組み合わせてキハ65を造る、というのがあったよ。 急行型気動車の需要が残ってたらキハ91のキハ65編入実現したのかねえ? 検討はされたと思うが扱いを揃えようとしたら殆ど造り替えなんだよね。 >>958
もともと、亀山行きは113*4だった(電化後は)。
でもお客が少なくて165*3になった。 ドラマ鉄道公安官のOPに
153系伊豆らしき電車とPFけん引のさくらが早川のS字カーブ?ですれ違うシーンがある
165系東海かと思いきや153系ってとこが時代を感じさせる >>958
関西本線の165系は1889年3月のダイヤ改正で213に置き換えで撤退
1995年3月ダイヤ改正で復活って流れだったかな?同時に関西本線に103系が進出している。
運用としては名古屋に上がってきた6両がそのまま亀山行きになり亀山停泊
翌日3連に分割して各々名古屋〜亀山を一往復半して名古屋から神領に返却だったけど、この返却が回送だったのか営業運転したかは失念 >>967
どこかで聞いた年号だなと思っていたらひいばあちゃんがまさに生まれた年だわ >>970
島安次郎の霊すっげえやw
>>971
むしろひいばあちゃんの生まれた年知ってるあなたが凄いよ 議会開催に間に合わせるように東海道線の建設を急いだとどっかで読んだなあ 市制・町村制施行、全国広範囲に水害(十津川郷壊滅・移住)、前の熊本大地震、ブラジル革命
と、何かと騒がしい年だったようで
>>966
関西線からの一旦撤退と、中央西線普通列車(神領持ち)の165系化は同じ改正でしたっけ 明治村にいる12号機関車が
元鉄道院165号機関車なんだね
1889年当時の番号は23で横須賀線あたりで働いていたらしい
1874年製造の機関車が今でも走れるって凄えよなあ 何か凄いな
明治百年をかすかに覚えている世代だが人間より長生きかつ現役は凄いなとしか 在来線優等列車の愛称って漢字が多いけど、
「のりくら」はインパクトあったな。
漢字が難しいから敢えて平仮名なんだろうけど、
硬派なイメージの急行列車名が柔らかな印象にあるなぁ。
富士川も丹波も特急格上げで平仮名化 中央東線だとひらがなカタカナ愛称名オンパレードだな
特急からして「あずさ」だし かわぐち・かいじなんて漫画家の人名ネタになるくらい >>980
さんべ
はんだ
ぬさまい
あたりになると平仮名だとかえって分かりにくくてな 明治百年三瓶がなぜだいせんになったかこのあたりに全ての答ある気がするな。明治百年にゆとり教育か何かあったか? >>986
ゆのくに
わかさ
きたぐに
しらゆき
特急で
はくたか
しらさぎ >>987
1968年迄きたぐに日本海だったなので1968年に何があったのか益々気になる明治百年と水俣病を公害病と認定の直後 >>985
つがいけ
「栂池」だと地元で無いと読めない人いるでしょうね。 急行は東海・佐渡・信州・赤倉とか漢字の愛称が多いイメージ 急行は東海・佐渡・信州・赤倉とか漢字の愛称が多いイメージ 人によって違うのは仕方ないけど、のりくらは漢字でも読めた。つがいけは読めないが、自分。 >>987
>漢字が圧倒してるな
これの意味分かんねえのか?
>>988
寝台特急が新設されてそちらに名前を譲ったから 169系は、日本一高い駅と日本一低い駅のどちらも行ったことがある唯一の車両だよね。
日本一高い駅は、野辺山駅で、葉ッピーきよさとで行った。
日本一低い駅は、京葉線の東京駅で、ファンタジー舞浜で行った。 JR外して全国にしても最高と最低地点両方に行ってる車両は無いだろうがな。 このスレッドは1000を超えました。
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