6000系はJR901系と同期だし新造車が高価だったというよりは、当時の秩父線は回生車が定期運用ができなかったから
足回り流用に関しては特に何も思わなかったな。
企画倒れになった観光特急7000系も足回り流用の計画だったからね。
ただいざ10000系の実車を見たら、華があった5000系と比べフラッグシップを担うには地味な外観だとは思った。