青函連絡船6便 [無断転載禁止]©2ch.net
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三味線に皮を提供したぬこの肉はどうしたのだろう
やっぱりローストですかね 自衛隊がなっちゃんチャーターして北海道へ物資輸送
て言うか、ニュースはなっちゃんがどんな船なのか説明するべき 大洗〜苫小牧間のフェリーも災害支援に大活躍だってね。
青函連絡船が残っていたらどうなっていたか… 貨物列車が動かぬうちは滞留して、旅客輸送ができるだけ。 青函連絡船が残っていても、活躍の場はないな。
本州からの臨時輸送はフェリーかRoRo船持ってくれば済む話。 >>716
苫小牧発仙台行きフェリーは誰かの歌にあったな サイコロネタはループするな
チェリッシュのはつかり号は北国へのが好き >>721
よく知らんのだが、チェリッシュによれば、はつかり号は夜行? 2002年と言ったら、16年も前の話
生まれた子が、高校生に成長してるくらいの年月 青森に着くのは日付が変わってからだもの。
フネに乗り換えたら一寝入りするわけだし、まだまだ旅は続くのだ。
上にも書いたが到着前のアナウンスは独特の言い回しだぞ。 窓の雪景色がきれいに見えるのは確かに明日の朝になるだろうな
北海道渡ってからだけど
チェリッシュによればっていうけどあれって荒木とよひさの作詞だぞ >>728
荒木とよひさって結構有名な作詞家だよね? >>729
JR西の社歌の作詞家だな
ヒット曲いっぱいあるよね
全く売れなかった曲もたくさんあるけど
はつかり号は北国へは後者 こんなやり取りをしてると、やはり北国行き新幹線は「はつかり」であるべきだよな。
愛称発表時に違和感ガッカリ感を覚えた人は一万はいるはず。 青森開業時点で「はやぶさ」ゴリ押しだからな。
ましてや札幌開業は北海道主体で決めるから「はつかり」は望めない。
公募しといてなんてザマかと。 「国電」→ゴリ押しで「E電」→定着せずに愛称消滅みたいなもん? 公募一位が通らないなんて昨日今日始まったことでもなかろうに >>711
本気で書いてる?
釣り?
走錨したら、やるべき事は早く風に立てる事と、捨錨だ
ウインドラスは関係ない >>733
「かむい」か「ほくと」かもね
函館山線並行だから
「ほっかい」「おおとり」もありか
しかし、平仮名にするとかっこ悪っW
いい加減新幹線愛称のカタカナや漢字も解禁してほしい 「カムイ」って響きが格好良いよな
意味的には列車の名前には大袈裟過ぎるけど
「シャクシャイン」とかダメなのかな
これも響きが格好良い 公募一位で決めるルールにすると
「田代」とかになりそう リンク
「だめです!船が傾きすぎていてクレーンを動かせません!」
この意味は、船が傾きすぎると、救命艇のダビッドを動かせなくなるという意味。
救命艇のボートダビットは、重力で落ちるような仕組みになっている。
したがって、船が傾きすぎると、ダビットが降りなくなってしまう。
その理屈は、模型の船で試してみればわかる。 >>738
「きらら」になったりして。
もちろん397号もできる。 今年も、いや最期の二日間から30年の歳月が経つんだな。
3月の定期終航には及ばないものの、青森発臨時3便羊蹄丸は左舷各デッキからこぼれるほどの人々を乗せて去っていった。
そして夕暮れの中、臨時4便十和田丸がゆっくりとふくうら丸の援けを受けながら最後の青森着岸。
それを待っていたように青函博会場から花火が上がり全ての閉幕を知らせていた…。
3月と違い即日回航はせず、この夜も船上ホテルを営業したのは幸いでした。
翌19日(月)1040にふくうら丸が、1200に十和田丸が歴史的な船出をしていったのです。 アキバIMONで書籍海峡の鉄路青函連絡船・道新刊げと
歴史を時系列に追った本ですな 補助汽船かあ 「ふくうら丸」 2000本おめでとう(関係ない)
なぜか「かつとし丸」が印象に残っている。葛登支(かつとし)岬からの命名なんだよね。 乗船中、いつでも乗組員の美人女性から性感マッサージが受けられる性感連絡船ができればいいんだけど… 青函連絡船ご利用の方に申し上げます、接続便は青森0時35分発1便、十和田丸です。お乗り換え時間があまりございませんのでご注意ください。
これから車掌が乗船名簿をお配りします。連絡船ご利用の方はご記入の上・・ 憶えてないんだが、接続列車から乗船する場合と
連絡船待合室から乗船する場合って、同じ列に並ぶんだったろうか
通称「桟敷」の方が人気あったから、前例で駆け足でないと、居場所が確保できなかった
魚の干物に、マヨネーズと醤油付けて食べるのと
発砲スチロールの容器に入った味噌汁
セトモノの容器に入って釜飯弁当
茶葉で淹れるお茶、冷凍ミカン
今では当たり前になった、ファンタの350ミリ缶
当時は北海道限定で、連絡船内に自販機があった >>754
接続列車からしか青函連絡船に乗ったことないけど、列車が駅に着くとすぐに連絡船の桟敷席目指して死にものぐるいで走った記憶がある。
悠長に並んでた記憶なんて全くないよ。 >>754
列は同じだったはず。
青森駅から連絡船に乗るときは、改札→ホーム→連絡船待合室だから青森発の客か接続列車の客かは区別できない。
列が何本かあったのは、先発便と次発便のそれぞれグリーン船室と普通船室の列じゃなかったかな? >>757
追悼記帳
9月26日は台風の特異日、だったかな、
こちらでは伊勢湾台風になるが。
先日の関空もだが、走錨しだすと何ともならんのだろうなあ。 婆さんの姉が洞爺丸。爺さんがハガキを50枚出して青函トンネルの試乗会の1番列車に当たって乗った。 何度も洞爺丸の模型を使って、当時と同じ波浪を再現した波でやっても座礁してしまう。
座礁後、左側から波を食らわした後、右舷のビルジキールが水槽の底に接触して、復元力を失って転覆する様子。
図書館で読んだ青函連絡船洞爺丸事故についての本から。
船舶は、起き上がりこぼしの原理で、ちょっとくらいなら傾いても元に戻ろうとする。
だが、傾きがある限度を超すと、復元力が効かなくなり転覆してしまう。
特に重心が高い船の方がちょっとした傾きでも転覆しやすいということがわかってきている。 >>745
だから、机の上での計算や理論だけでは、十分に求めることはできない。
電気配線だってそうである。
電気配線をシミュレーションするソフトウェアだってある。
リンク
「シーカー修正機を使って、デタラメに書いた電気配線の回路図を
修正した結果、きちんとしすぎて、何が何だか分からない…。」 洞爺丸台風に伊勢湾台風に
9月の末ってのがな
運よく助かっても寒くて凍え死にそう >>762
それは『座礁してしまう』ではなく『座礁するだけで転覆には至らなかった』ないかな?
そこで流砂を模すために毛布を沈めたら、ようやくビルジが引っ掛かって船体が倒れたという結果。
積載貨車が倒れたのも傾斜にトドメを刺した。 >>765
重量級の寝台車マイネフ38が船内で横転したとか? 車両甲板には横転するスペースはないよ。
すぐ壁にぶつかる。傾く程度。 >>767
傾いたいるだけとはいえ、固定具が切れるほどの状況ならば、車体の重量は殆どが
壁に掛かっている状態で、それが船を横転させる方向へ押す力になる。
だから、視覚的には傾いているだけでも、力学的には「倒れた」と言える状況。 あおもーりー あおもーりー
あおもーりー あおもーりー お疲れ様でした 終着 あおもりです
駅出口は 到着した列車の 後ろの方向です
(この間に連絡列車の案内 奥羽線 津軽線など)
北海道方面 連絡船にご乗船の方は
到着した列車の前の方向にお進みください
今度の連絡線は ○時○分 出航 ○○丸です >>766
ナ・・・・
オ・・・・重い
ス・・・・・すごく重い
マ・・・・・ますます重い
カ・・・・・・・かなり重い
だっけ?
貨車のムラサキと違って覚えにくい >>771
コホナオスマカ
コは小型車?
ホはボギー? >>765
生き残った元乗組員の中には、貨車緊締具の鎖が切れる音を聞いたと言っていたな…。
緊締具は、貨車がずり落ちないように留めるための鎖やワイヤー。
宇高航路では、気象・海象が穏やかで、かつ航海時間も短いので、
よほど荒れない限りは貨車緊締具の出番は無かった。 船の揺れで貨車が脱線しないよう車止めに連結器とブレーキホースがあったんだな
ブレーキを掛けておいて車両をロックさせることが出来るが電気指令式ブレーキは間にブレーキ読み替え装置積んだ控車を入れない限り使えない
電気指令式ブレーキ車を航走した事例を聞かない >>754 >>755 >>756
特急列車からの接続客には車内でマルトク(〇の中に特の文字)の名簿が
あらかじめ配られていて、それ以外の客よりも優先的に乗船できた。
マルトク以外に接続列車の指定券を持っている客も優先された。
すべての便で適用されていたかはわからないが、多客期に混み合う深夜便で
桟橋で乗船を待つ列をしり目にマルトクの名簿で優先的に乗船したことがある。 >>776
そうだよなぁ
接続列車から跨線橋走って、通称「桟敷」確保した思い出がある そりゃ仮にも連絡船なんだから、接続列車の指定とってるのに満員で乗船できませんとはいかないだろ。 「しらゆき」から連絡船で北海道に渡ったけど、
「はつかり」「みちのく」「白鳥」の客が優先だったなあ。
こちらの行列を尻目にさっさと乗船していった。
目的の便に乗れるかヒヤヒヤだった。 昭和50年代以降は、満員なんて年末年始と5月連休前半の特定日のほかは、、終航間際くらいしかなかった。
あとは客室はガラガラで空気運んでた。
もっとも、青函連絡船は貨物が重要で、旅客はついでみたいなものだったけど・・・。 >>778
青森までの列車が普通列車なら満員の場合は後回しになったはず
その場合、乗車券類有効期限を一日延長と接続列車の指定席変更は手数料なし(満席の場合はグリーンにしてくれたが、あくまでも特例) 今でもそうだろうが、青函間だけの旅客需要なんて少数だろうから、優先度は低くて当たり前だったのだろう。 距離と時間が長いせいか「東京からのお客(さん付け無し)がいちばんエライ!」というヒエラルキーがあからさまだよな。
宇高連絡船には優先権どうこうは無かったのにね。 昭和40年代迄の栄光の時代ではあるなぁ
外廊下で寝てた担ぎ屋のおばちゃんなんかは空いてる便(早朝以降の)乗ってたて事か 担ぎ屋家業からして朝市で仕入れて昼に行商するんだろうが、朝の便は夜行接続で混んでいそう。
廃止前の昼前便しか乗ったことないから知らんが。 朝の便はそんなに混まない。
やっぱり混むのは真夜中に出て早朝に着く11便、1便、12便、2便。
その深夜便も、最後の頃は常時客扱は1便、2便だけになっちゃってたよね。 末期改造船の石狩丸・檜山丸も乗って見たけど、旅客サービスが少なくなってたのが寂しかったね。まあ客数も減ったし、食堂や寝台がなくても仕方なかった。
シャワーはあったよね 船楼甲板の自動車格納庫の船首側、弘済会の部屋のとなりだっけ? 35年位前、夏休みアルバイトしてたな。売店食堂で。 >>790
弘済会って、乗組員の組別とか交代とまったくちがうんでしょ? 乗組員の勤務はわからないけど、弘済会は2往復と3往復の2パターンだったよ。
ちなみに乗組員の食事は弘済会の職員が作っていた。 【世界教師マ@トレーヤ】 ニート親子共倒れ、トレーダーはビルから投身自殺、貧富ダブルノックアウト
http://rosie.5ch.net/test/read.cgi/liveplus/1539828384/l50
株式をギャンブルにして企業経営を不安定にして失業者を増やした投機家は、その報いを間もなくうける! >>784
宇高の場合は乗船時間が短いのと通勤通学需要もあったからね >>784
八戸からだろうが博多からだろうが同じだぞ ゆうづるから乗り継ぎで、まずやることはシャワーを浴びてそのあと食堂で海峡ラーメン味噌味を食べると北海道へのテンションが上がるんだよな
それからは座敷で雑魚寝 寝台で寝て、連絡船で寝て、、、
合間は食って、、、
まさかゆうづるはグリーン席じゃねえだろうし。 寝台車のグリーン車は謎だった
寝台券取れなくて、乗った事あるけど 船の中ってリクライニングシートか畳で雑魚寝じゃ無かった? 俺は津軽丸型しか知らんがさすがカーペットだったぞ
グリーンと普通桟敷の違いがいまいちわからん、面積とかあるんだろうな、きっと >>801
上のレスに毛足が長かったってあったぞ。 普通座席とグリーン自由座席は、確かひとりあたりの面積が違ったはずだ。
カーペットが違うのと、あと、たしかチャチな枕があったのでは? マージャン室みたいなのあったよね、娯楽室みたいなの。 「我が良き船よ」
1番
♪銅鑼を鳴らして 奴が出る〜 腹に貨物を 積み込んで〜
北の旅情がしみ込んだぁ〜 乗船名簿を手にもって
あぁああー 青函連絡船 おまえ今頃 あの海の上で
俺とおんなじ あの波見つめて なに思う〜
2番
♪旅のあの娘に声かけしては どこに泊まるのあのYH(ユース)?
語り明かせば函館の 灯火(ともしび)迎えにやってくる
あぁああー 青函連絡船 旅の始まり明日はどこの地
道内線路を 乗り歩きながら 旅をするー 4月、深夜なのに青森出航間もなく桟敷席窓の外にはイルカが並走、程なくそれも暗く見えなくなって寝てしまった イルカの伴走ってどういう習性なんだろうね?
陸奥湾の棲息研究はされてるけど、群れをなしてフネに近づくのは排除の威嚇行動なのかな。 イルカのマークは昭和50年代以降かねぇ
今見ても秀逸ですな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています