>>553
好き好んで3等の船底の船室に乗った訳では無い。
その端艇甲板の船室は競争が激しくて。

混んで座れなかった3等急行の旅や、
本州の夜行急行で3等の硬い座席に座って過ごした後は、
青函連絡船の4時間半で寝そべって背筋を伸ばしたり、
洗面や食事と短い休息の時間だった。

だからちょっと余裕がある馴れた旅人は、
差額を払って2等船室に「異」級乗車券を買って乗った。
ちなみに昭和29年で3等が220円で2等は440円。
その差額の価値は当時日雇い労働者の日給が
彼らを通称ニコヨンと呼んだ254円だったから想像出来る。

2等船室なら洗面所も明るくてお湯がたっぷり出るし、
食堂はメニュー豊富で美味いし、売店も花盛り。

1等船室は1780円で高値の花、
ボーイさんもいて何かと世話を焼いて呉れる。
坊っちゃまと呼ばれたは人生でこの1回だけ。