「車両(搭載)甲板の下に(3等)船室」
洞爺丸遭難事故以降の連絡船は、
大型化した事もあって
123等全ての船室が車両搭載甲板の上の構造に設けられたけど、
遭難事故以前の旧型の青函連絡船では、
3等の船室は乗船入口は勿論桟橋と同じ高さにあったけど、
長い階段を降りた一部喫水線の下にも船室があった。
(上の階に線路が敷かれた車両搭載甲板があった)
それを嫌がって連絡船区間だけは2等の「異級乗車券」を買うのが
津軽海峡を旅する旅慣れた乗客の常識だった。
何しろそうしないと甲板で過ぎゆく浪間も眺める事も難しいのだよ。

洞爺丸転覆事故では12等の乗客も脱出出来ないまま犠牲になったけど、
3等の乗客に至っては外の様子も分からないまま、
いきなり「ポセイドンアドベンチャー」状態で閉じ込められて・・・

一般の客船でも例えば昔の伊豆七島に向かう東海汽船でも
小型船の3等は壁が船底そのままに斜めになって不気味だった。
(学校の行事で乗船して団体だったからしょうがなしで)