青函連絡船6便 [無断転載禁止]©2ch.net
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でも、津軽海峡フェリー青函航路のブルードルフィン姉妹は、船籍港は青森なんだよね。
マーメイドとハピネスは函館なんだけど。
大間港の「大函丸」も、船籍港は大間。
自治体の援助の絡みでもあるのかな? >>431GJ
天賞堂から1/500各種再発されてるみたいよ 1988年3月13日と9月19日は終生忘れ得ぬ日となりました。
誰にも等しく30年の流れは過ぎてきた。
自分の人生、ただいま荒天運航中。 >>436
人生は立ち止まって進路確認はあれど、流れを見合わせるわけにはいかんぞ。 >>433
青森、函館から夜行列車が消え
青函トンネルに新幹線
在来線で北海道に行けなくなる
本当にこんな時代が来るとは・・・ >>437
避泊とかドック入りとかあってもいいのでは? >>432
JR化後まで運航した8隻のJRバージョンを再現したモデルも出してもいいのでは >>441
横長でないJRマークのファンネルは貧相でみっともない。 煙突だけかね、中曽根ムカつくからJNR
青函トンネルの名札もなんの因果か中曽根・・・ 今日、NHKの「首都圏ネットワーク」で青函連絡船の特集が。
http://www4.nhk.or.jp/P350/ 30年前の今頃は八甲田丸の船中に居た。
時の流れははやいものだ ダーッシュダーッシュダンダンダダン♪
ダーッシュダーッシュダンダンダダン♪
ダーッシュダーッシュダンダンダダン♪
三平汁〜ぅダァーシュゥ♪ 👀
Rock54: Caution(BBR-MD5:0be15ced7fbdb9fdb4d0ce1929c1b82f) 久須志道踏切で長々待ってると、引き出されたコンテナがガチャガチャと操車場へ向かう。
入れ替わるように盛岡からはつかりがゆっくりと到着…というタイミングがあったな。
定期終航後の春は駅付近がホントに静かになっちゃった。 青森に行くと八甲田丸、棟方志功美術館、駅前の市立図書館しか見ないな
他に青森盛り上げる資源ある?アスパムは無理ゲー 青森って、何もないよな。
八甲田丸もすすけてるし。 だって、津軽と南部の緩衝地帯として、もともと何もない所に港町を作ったわけですから。
港としての重要性が下がれば、県庁所在地の役割しか残らないわけで。国立総合大は弘前だし。 桟橋がなくなったら向こうに薄らさむい海があるだけのつまらない駅周辺だったな、青森駅 函館駅ってなんであんなにカーブしているかと言うと、
桟橋連絡への名残だったのね。 連絡船講演会に逝った人はいませんか?
質問とかもできるのでしょうか、回答は知ってる限りとして 青函連絡船現役時代
青森駅は24時間営業でコンビニより、都会の雑踏みたいに賑やかだった。
連絡船側の乗船待合室も冬場も暖かくてホームレス来ても大丈夫… >>462
今回は行けなかったけれど、毎回質問する時間は多く取っています >>458
青森、食いモンは旨いよ
郷土料理の居酒屋とか
つまらない街だけど ホタテの刺身フライあんきもホヤに地酒
食いものはいいね 八甲田丸
ねぶた会館
十和田湖
岩木神社
昨年のGWに青森旅行したけどいいとこだったわ 個人的好みはあるだろうけど、それは言い過ぎだろう
ねぶた祭りとか一度見れば充分だとは思うが 八甲田丸がある以上、連絡船ファンなら好むと好まざるとにかかわらず訪れることになる街ではある 昔は駅前でリンゴを買ったとか言うが俺には青森函館共乗り換え中継駅だったから昭和の記憶は鉄道施設しかないな
青森は八甲田丸が楽しく観光がすくない、函館の摩周丸は模型展示と休憩所位だが北方民族の博物館やらレンガ倉庫街やら観光がいい 往年程ではないが、今でも駅前でりんご売ってる店はある
夏になると青りんご(王林などではなく赤くなる前に捥いだりんご)を売ってる
早起き出来るなら、青森駅前の朝市は今でもある
函館の朝市は観光客向けだが、青森駅前は本当の朝市
十和田湖も函館山も中国人観光客だらけだけど
誰も来なくて寂れるより良いと思う 青森は一見観光客がまばらに見えたけど、市場がすごい賑わってて驚いたわ 駅から歩いて5〜10分位の建物の中
ネタを選んで調理してもらってその場で食べる感じだったかな 函館では倉庫街の真下、見えるところにいるハゼを無視とか勿体無いと思う 青函フェリーに
はやぶさとあさかぜって名前の船があるんだな 会社ごとに名前が違うのな。
あさかぜは昔は第●朝香丸。 さんふらわぁがCM打ってた時代もあった
さすが涙の連絡船はわからん 古本 旅と鉄道'86夏号青函連絡船他げと
海の幸ラーメン、乗船口すぐの売店(品物いっぱい)やら懐かしい写真が
北海道第二次特定地方交通線特集やら時代の終わりを痛切に感じる号でもありました 一等(グリーン)室用と二等室用の二つの売店(キヨスク)があったなあ。
別にどっちでも買えたけど
後年、グリーン用の売店はテレビと休憩スペースになってたんだっけか。 絵葉書とか今ではあまり見掛けないような物を売っていたな >>470
機械遺産になったので暫くはスクラップにされる心配は無い
でも、入場者数減ると、どうなるか分からんから、機会がある毎に行く様にはしてる
その後、三角のビルの居酒屋で海を見ながら日本酒 アスパムも15年行ってないがあんきも出す飲み屋はやってるだろうか 再び、全国販売して欲しいね。
http://www.sapporobeer.jp/news_release/0000021921/index.html
http://www.sapporobeer.jp/news_release/0000021921/pdf/20180509hokkaidonamabi-ru.pdf
150歳おめでとう! 北海道による北海道のための「サッポロ 北海道生ビール」が限定登場
http://beergirl.net/sapporo-hokkaido150_n/
実は2018年は、1869年に「蝦夷地」と呼ばれていた北の地が「北海道」と命名されてからちょうど150周年の節目の年!
そんな記念すべき年に北海道といえばこのビールと言っても過言ではない、サッポロビール株式会社(以下、サッポロビール)より
「サッポロ 北海道生ビール」が2018年7月3日(火)に北海道にて数量限定発売されます。
サッポロ、「サッポロ 北海道生ビール」を北海道で数量限定発売
2018/5/9 12:30
発表日:2018年5月9日
「サッポロ 北海道生ビール」を数量限定発売
〜北海道命名150年を記念し、復刻発売!〜
http://www.nikkei.com/article/DGXLRSP479115_Z00C18A5000000/
サッポロビール(株)は、「サッポロ 北海道生ビール」を、7月3日に北海道で数量限定発売します。
本年北海道は、命名150年という歴史的な節目を迎えます。
当社の前身である「開拓使麦酒醸造所」は1876年に北海道に設立されており、当社にとって北海道はゆかりの地です。
この北海道命名150年を記念して、1990年に発売し好評をいただいた「サッポロ 北海道生ビール」を復刻し数量限定で販売します。
この商品は北海道産大麦麦芽と北海道産ホップを使用し、氷点下熟成製法(注1)の中でも、最も低い温度(注2)で熟成させることで、
雑味のないすっきりとしたおいしさを実現したものです。
また、サッポログループでは、命名150年を迎えた北海道に感謝の気持ちを込めて、この商品の売り上げの一部を
「北海道 150年事業」(注3)に「企業版ふるさと納税」(注4)として寄付を行います。
当社は、本商品の発売と寄付を通して、北海道命名150年をさらに盛り上げていきます。 お〜いお〜い北海道
トカップやニッカもあるでよ
釣りバカで飲んでた大法螺は知らん タグボートの模型欲しいな、スクラッチするしかないかな
摩周丸内に模型展示してるんだが 先日の船の科学館の講演会で、十和田丸のほかに青船が展示されてたぞ。 今度の9月は末っ子十和田丸が最後の旅立ちをして30年…。
節目だから久々に青森&函館へ行きたいなー。 サンシャインを見て久しぶりにラッキーピエロに逝きたくなってる >>492
海外製品も含めて、タグボートのプラモって結構あります。
でも国鉄の補助汽船に似ているのって、ないんですよね。 離岸はバウスラスターで出来るとして素早い着岸回頭はタグボートの出番
それを見てゆっくり下船できる時は列車まで時間がある時、指定席でも函館は走る 函館は早くホームに行かないと立ち売りの三平汁が売り切れるんだよな
あれと鰊みがき弁当が自分の定番だった 函館、青森駅での駅弁はとうとう食べる機会が無いまま。
親が「まりも」や「大雪」の食堂車好きで。 >>498
青森側は難しいが、函館側は風にもよるがタグなくてもつけられる。 桟橋に敷設されているフェンダー(緩衝材;主に硬質ゴム)の設計をする時は、
風が船を桟橋に押し付ける方向に吹いていると条件がきつい。
ボラードはどうだったか、忘れた。 青函連絡船のさん橋の緩衝機構については、いろんな本に出てるよ。
表面鉄板で、フェンダーそのものは露出していない。 さすがに古タイヤじゃない罠、縦のゴムみたいなやつだっけか記憶にないな
岸壁の整備も大変だったろうに 宇高連絡船の伊予丸では、第三宇高丸に客室を設けたような形の前積み。
狭い瀬戸内海での運行では、前積みの方が動きやすいから。
紫雲丸では、普通の後ろ積みの船。
ワム型15トン積み貨車なら14両、ボギー車なら6両を積載する。
この積載数でも、当時は用は足りたのかな? さあねえ、青函は貨物型まであったから
戦争と洞爺丸台風では悲劇で失われたりね >>507
洞爺丸に乗船した事がある、って言うと歳がばれるけど、
青函連絡船の車両甲板に出し入れする橋は
航行中も扉は無かったから開けっぱなしだった。
15号台風遭難事故前は
かなりの荒天でもそれで航行をしていて、
波と直角に進路を定めれば安全性は余り損なわれないと意識されていたらしい。
嵐が来る時に港の設備が貧弱な時は、
港外に避難するのは「ヒーヴツー」(風上に向かって波に直角に)の常識。
津軽海峡は連絡船の数に対してそれだけの広い海水面が無かった。
事故の要因はそれ以外にも沢山ある、と後で知った。 >>508
この板私は初投稿ですが、洞爺丸乗船とは凄いですね。
また投稿楽しみにしてます(^^) 生きてるやつが青森にイルカはいないとかえせ知識ばっかり >>512
青函連絡船に乗っていて、
一緒に泳ぐイルカの群れは
陸奥湾で良く見掛けたよ。
・・・悪いがまだ地上で生きている。 長生き乙です
青森を深夜出る便の出港すぐに伴走するから目が良いのかなイルカ イルカは、聴覚が鋭いので、目は関係ないんでわ?
専門家じゃないから分からんけど >>513
うらめしや〜
ワシが乗った洞爺丸は沈んでしもた〜 かつて、翔鳳丸型でも、大荒れで車両甲板に波が打ち付けた事例もあるが、後ろを濡らす程度にしか過ぎなかった。
荒波が打ち付けて、滞留しだすほどまで至ったのは洞爺丸台風での事故が最初だった。
洞爺丸では、排水性の悪い車両甲板の構造だったことも災いし、被害を大きくする要因にもなった。
生き残った洞爺丸型(羊蹄丸(1代)、摩周丸(1代)、大雪丸(1代))では、排水性を向上させる
改造工事を受けた上に、後ろに扉を設けることになった。
図書館の本で読んでわかった結果。 連絡船に接続する列車では乗船名簿の用紙を車内で配布してたんだな
普通車とグリーン車で色が違ってた
今だったら自宅でPDFで印刷して持参も可能で一部の船舶で採用されてる
EXCELファイルだと必要事項を入力してから印刷可能で手書きしなくていい 接続する連絡船は十和田丸云々と車内放送の後レチが小さめの名簿用紙配って回るんだな 乗船名簿は船員法で規定されている
宮島航路は距離が短く適用対象外 >>520-522
青函連絡船への乗船は接続する急行列車の乗客が優先だった。
だから青森・函館から連絡船だけに乗る時は、
少ない配布枚数の乗船名簿用紙を入手するのが大変だった。
函館の湯川温泉や青森の朝虫温泉に滞在して連絡船で帰る客には
旅館の番頭さんが早朝に桟橋出札に行ってそれを入手するのが大仕事だった。
特に年末年始はお盆の帰省時期には大混雑で一苦労。
ちなみに接続する急行以外のローカルの列車からの経験は無いので知らない。 北海道って、終戦直後は都道府県別人口で最大だった
函館青森が栄えた訳だわ >>526
実体験だよ、団塊の世代だから。
洞爺丸にも乗った事がある。
しかもそのあとの昭和天皇皇后両陛下の
北海道への行啓幸でお使いになった
1等船室だったと言う自慢の体験の持ち主。 >>527
>函館の湯川温泉や青森の朝虫温泉に滞在して連絡船で帰る客には
>旅館の番頭さんが早朝に桟橋出札に行ってそれを入手するのが大仕事だった
これは?
番頭さんだったの? 浅虫温泉は遠いねえ
乗り継ぎでしか乗船してなかったから定員の苦労は知らんかった ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています