ステップを語るスレ [無断転載禁止]©2ch.net
鉄道車両の乗降口に付いているステップの思い出を語るスレです
車体から外側に迫り出している固定式よりも、
ドアの開閉に連動する可動式の方が人気があったのではないでしょうか。
(名鉄モ510や福井鉄道モハ200などが思い浮かびます。) 固定式で実見したかったのは、20センチを超える代物がついていたという琴電50。
狭幅の路面電車を鉄道線専用に充当するために無理矢理改造した、と
何かの解説書に出ていました。 福鉄はモハ200に限らず全車がドア連動ステップ
しかしあの高低差は普段高床車に乗り馴れてると正直戸惑う。
特に降車時は高齢者でなくとも怖く感じる
低床式に切り替えたのは正解 >>3
今は法律でバリアフリーが義務付けられる時代だから 富山地鉄射水線デ5000のステップが乗り口から階段を登るが如く急峻
でも一昔前の路線バスもあんなものだったんだよな あつい!
冬季はヒーターが入ります
・・・だったっけ?
ちなみにこういうディーゼル車とか交流車とかいわゆる汽車ホーム向けのステップ
でもいいの?路面車向けのレスが多いんで・・・。 そういえばなんで電車と汽車(気動車)の床面高さを統一しないんだろう は?
高さを合わせているからこそ車内にステップが内蔵されてるんだよなっ 今となっては形式も思い出せないが国鉄高砂線で乗ったDCのステップで
から足を踏んで捻挫したのを思い出した
見かけによらず段差が激しい
恥ずかしさのあまり、他の客から大丈夫かと声をかけられたのに
反応もせず一目散に駅改札まで走って逃げた
今更だが、あの時はごめんなさいと謝りたい 閑散路線の駅ホームなんてろくに整地してないだろう
災難だったなw >>6
写真でしか知らないが松本電鉄浅間線の軌道線車両は
ものすごく腰高で何段ものステップがあったらしい
乗車体験してみたかった 大正時代には低床の路面電車を作る技術はそこそこあったのではないかな わたらせ渓谷鐵道のレールバスのドアは折戸であり、ステップの下側にドアが収納されるようになっている。
このため、ワンマン案内でも「ステップにお立ちになりますと、ドアの開閉の際に大変危険です」の案内を流している。 >>21
昭和39年製造から幅が拡がった
そのためにホームの端を削り取るなどの工事が行われた >>26
いやだから、5000系投入は工事が完了するまで待てば良かったと思うのだけれど? 当時の事情が分からない外野がああだこうだ言ってもなあ 鉄道線スタイルの車両が併用軌道区間を走ると言えば福井のほかに新潟交通が思い浮かぶのだが
路面乗降駅が一つもなかったからステップ無しだったのは残念
その昔東関屋〜県庁前にも電停があったころはどうやっていたんだろうね 可動式ステップというのは、
今でいうと秋田新幹線が仙台や上野に停車する直前に「バタン!」とデカい音をさせて出てくるアレの仲間と思えばよいのですか? 高床車が路面乗降するとなった場合、
かつての京阪びわこ号のような構造にすれば
良いのになあ
ドア連動ステップは何となく頼りない 485系はステップを鉄製の箱で埋めてるのある
583系や24系客車などでは折戸でステップを埋めるのが不可能なために大阪駅では「列車との段差にご注意ください」とアナウンスされる
若い人ならステップを飛び越して乗り降りできるが子供やお年寄りだとホームに躓いて転倒しそう 実際に事故も起きてたんじゃなかろうか
不注意に歩いてると若い人でもほんとうに躓くのよ 昔489系時代の能登で上野のホームから乗ろうとした兄さんが
ステップでこけたのを目撃したわ。 >>42
結構脛部を強打して他人事ながら痛そうだった。 さすがに現役時代に乗ったことがある人はこのスレには、いないねえ 札幌から名鉄に来たユーロピアンスタイルの路面電車の連動ステップも
見ていて楽しかった ステップ降ろしたままで走り始めて事故った話もあったな ステップ下げてるときはロックがかかって発車できないようにしてると思ってた >>52
あれは低床設計でほぼステップレスに近い理想形
よくもまああんな優秀車を売ってくれたものだ >>6
市内線にこれが入ってくると7000との落差に愕然としたものだ
7000も決して優しくはなかったがね。 雪国の電車は可能な限り床下機器を地面から離したかったので低床車を志向することはなかった 初めから車種を問わず床面高さを統一しておけば
後年かさ上げなどの工事をせずに済んだのにね
先見の明が大切と言うのがよく分かる事例ですね 日本の鉄道車両発達史を知ってたらそのコメントは無いだろうな>>63 歴史云々以前に、
こういう後出しジャンケン的に現在の感覚で当時の判断を批判する奴って
卑怯で嫌いだわ >>71
アンタあっちの板でもそんな絡み方してるようだけど、
はっきり言ってツマンナイから >>54
ステップは乗降扉と連動が原則だから
下ろしたまま発車したのならドアも開けっ放しだったことになる
まずあり得ないから貴方の聞いた話しは眉唾ものと断定 張り出しステップでは近鉄伊賀線のニコニコ窓電車が
思い出される >>76
国道線じゃなくて本線の方か
幅2.4mそこそこの旧型車が幅2.8m弱の新型車に規格を合わせたら
そりゃはみ出しも派手になる 張り出しステップを力一杯踏み締めたらバキッと折れたりしないかな >>61
射水線の路面車懐かしいな
ステップの形も幾つかタイプがあってフラット面に至るまでに
2段あるやつと3段あるやつとに分かれていたし、
ドアの裾が蹴り込み部を隠すようになってるのと露出してるやつとがあった 子供のころ親に買って貰った私鉄全百科で、
地鉄デ5010の解説には製造所により3タイプあると書かれていたから
その違いじゃないかな>>92 子供向けの本なのにそんな細かいことまで触れられてるのか
深いのう むかしの鉄道車両なんて一両とて同じスタイルのものなんて無かったというし。 ようつべに出てるよ
昔から変わってないから地元の人は何とも感じてない >>85
ニコニコ窓といえばそれしかないが
小生が廃車直前に乗ったときでも気づかないくらい
84は昔の写真か何かを見て書いてるだけで
自分の経験に基づいた投稿かどうか疑わしい 別に経験に基づいてなくてもいいんじゃない?
>>84は思い出されると書いてるだけで、
実際に見たとか触ったとは書いてないので嘘はついてない 仲良くやりましょうや
他人のコメントは批判しない
これにつきる 観光路線だから規格が一般の地方鉄道とかなり違ってたのだろう
それ自体はおかしなことでないし、乗客が踏み外したりしてはいけないから
隙間を埋める手だてを講じたのも当然で、
それは廃車になるまで続いた >>99
話を戻すけどモハ200のステップは
編成ごとに形が違ってたんだ
古くなって取り替えるときに既製品にしたのだろうか 記憶にあるといえば福井鉄道と名鉄岐阜市内線くらいかな 今でも東京駅の東海道線下りホームで毎日見てるけどなあ。
山形/秋田新幹線の可動ステップが、ドアが開かない反対側でも迫り出してるのを。 ☆ 日本人の婚姻数と出生数を増やしましょう。そのためには、公的年金と生活保護
を段階的に廃止して、満18歳以上の日本人全員に支給する、『ベーシックインカム』
の導入は必須です。月額約70000円位ならば、廃止すれば財源的には可能です。
ベーシックインカム、でぜひググってみてください。お願い致します。♪♪ >>107
福井は10年前に乗車
まさかこの地にフクラムみたいな超低床車が登場するとは思わなかった 保守が大変
人手の足りない地方中小ではやがて持て余して放出、とならなければよいが。 富山地鉄射水線で見た三段階段式の内蔵ステップ
客が転けたりしないようにペンキで虎カラーに塗られてた
手作り感があったね 富山地鉄のデ5010は見た目は路面用でも基本設計は郊外線用なんでしょ? >>114
廃線直前にギリギリ間に合った
新富山〜射北中学前往復乗車
結構段差がキツい
当時はバリアフリーもなにもなかったものな 野上に移籍したときにステップを切り落としてプラットホームから乗り降りできるように改造されてた
なかなか上手く仕上がってた記憶
どこの仕事だろう
まさか野上が直営で手掛けたとは思えないが。 ステップの登り降りは年寄りでなくても怖い
福井鉄道での体験者 >>122
ネットで探したら自社工場でお直ししてるところの写真が見られるよ >>122
これが淡路か ニースじゃないか
の広告車だな >>126
今ならバリアフリー未達で速攻アウト宣告かね 東急世田谷線の宮の坂駅に残る80型は、江ノ電時代にステップをカットされてしまって、
なんで里帰りの車じゃなくてオリジナルのままだった車両を残せなかったのか、悔しく思った。 ステップと言えば今は亡き京阪80を思い出します。
東山三条、蹴上、日ノ岡の各駅でシュッと出てくるギミックは
何回見ても楽しかった。 >>131 バリアフリーの概念なかった頃に造られた車両だからな。高齢者人口比率低かったし、障害持った人が単独で自由に移動するための配慮なんて求められていなかった。 良き!
日常でこういう光景を見られた京都の人々がうらやましい タラレバになってしまうが
福井鉄道がもし京阪80形を買ってくれていたら
今も福井の街でステップ動作を愉しめていたのかなあ 路線バスには停留所で車体を傾けて少しでも段差を少なくする車が出て来て驚いたのがもう20年以上前か >>141
東急のペコちゃんは時代を先取りしてたんだね
だから短命だったともいえるが ぺこちゃんがだったのは低床よりも張殻構造が仇になって腐食が進んだから 玉川線砧線廃止と運命を共にした
理由はそれだけ
廃止がもっと後なら廃車ももっと後になっていた 京津線で80形が登場するまでの路面乗降対応車は車内に何段もの階段があってご老体には厳しいものだった 三岐北勢線の三連接車の両端客用ドアには、小さくて狭いステップがあります。
段差もあまりなくて使いにくいけれど、中間台車部の傾斜とおなじように、
ナロー車体の工夫がうかがえますね。 >>151
昔はバリアフリーもへったくりも無かった時代ですからね