実は私が5年生で始めた聖教新聞販売店の店主であり、その人とは (誤)
実は私が5年生で始めた自転車による聖教新聞の配達で、受け取りに通っていた販売店の店主であり、その人とは (正)

この昭和35年、聖教新聞は未だ日刊ではなく、週に3日の配達だったか、その配達給料450円は、そっくり母に渡していた。母は私から450円を受けとると、すぐ
米を買いに家を出る。ずっと必ず、全額450円を渡していた私に、魔が差したというか、1回だけプラ模型を買ってしまったことがある。当時の少年の流行は週刊誌の少年マガジンと
少年サンデーとプラモデルだった。配達の給料日に当時の大牟田繁華街である栄町の模型店に入った私は、いつも見るだけだった、三共のピーナッツシリーズのプラモデル
月光と彗星とムスタングの3機、1/150を購入。1機30円かける3機のこの90円の使い込みのために、その月はその日に米が買えなくなった母は、一瞬、怒ったがすぐに「いいよ、健ちゃん
でも今月だけにしといてよ、たのむよ、いいね」といつもの優しい顔にもどる。母も辛かったと思う。。しかしこの時の私の罪悪感というか、せつなさというのはなんとも説明のしようがない重い辛さだった。

 飛行機プラモデル 三共ピーナツ・シリーズ  No10 P51D ムスタング
https://blogs.yahoo.co.jp/airblue1223/64619486.html