鹿児島本線の海側ではなく、山側にあったその家からは、右向きの上り列車が、4,5本存在した線路の一番向こうに見え、
長大な石炭専用貨物列車が、ガガガーと、石炭を待ち受ける本州方面に送り込んでいる。そして一番見やすい線路が目の前にある
下り博多方面行き線路の、かぶりつきの特等席から右を見ると、はるか遠くから、黒い見慣れない機関車が、丸いヘッドマークを白くピカリと輝かせて、
おう、なんてこった、列車の右面の全部の窓から大量の赤白黄、ピンク、紫、青色の紙テープらしきものをひきずり、風でくるくる回しながら突っ込んでくるぞ。こんな事していいのか。
あぶねえぞ、おいっ、大の大人がこんな事していいのか。
その化け物機関車は、私が線路にほぼ張り付きの7mくらい離れた位置に立って
いるので、真一文字に突っ込んでくる様に見える。その黒いピカピカに磨きこまれた、見慣れない機関車が線路進行方向に直角に、右に左に、僅かだが激しくスイングしているのが判る。
ここは、直に小倉駅に到着の、減速しなくちゃなんねえ区間だから、フルスピードじゃねえ。しかし長大な客車らしき物を後ろに引っ張っていながら、なんというきちがいじみた横揺れだよう、
この機関車は、ただものじゃない。
ウへっ、おまけにその客車の屋根は円形の初めて見る銀色らしきものを、ずっと後ろの方に引っ張っているぞ、ずいぶんと複雑な色違いの屋根の客車を引っ張っているな・・・

昭和31年、11月20日の午前11時ごろ、私は家の板塀の内側にあった空き箱に乗って立っている時に、背の低い私のここが所定の観察場所
であったが、幸運にも夜間寝台蒸気特急「あさかぜ」の処女列車に、遭遇した・・・・派手な見送りの祝賀テープは、関門を抜けた後の門司駅からの、お祝いの
贈りものであったと思われる・・・・・・その歴史に名高い名門特急「あさかぜ」は、昭和31年11月19日の東京・大阪間の電化完成の良き日の、当日の夕刻18時30分に東京駅を立ち
途中、牽引機をEF58,おそらくC62,そして関門トンネル内を、間違いなくステンレス製EF10、そして門司駅で、新鋭C59に、めまぐるしくバトンタッチしながら
20日の昼前に、右方向から、6歳の私に向かって  「おいおれがC59様だぜっ、俺がサラブレッドの競走馬だって事は充分、おめえは判るよな、おめえは朝の9時から夜の8時まで
そこで立ちんぼの少年蒸機マニアだからようっ、お坊ちゃん、こんにちわ、僕が、あさかぜです」 と大声で叫びながら、突っ込んできたのだった・・・