昔の上信電鉄を語る
昔、200型の普通列車に乗った時に95km/hまで速度上げたことがありました。
上信は昔、95km/hまで出せたんすか? ピークさえなかった会社の方が多数だから上信は幸せだよ 多くの中小私鉄のピークは昭和30〜40年代初め位なんでは?その時期にバス転換した所もあるが。 今の時代によくあれだけの新車入れたなというのは感心した
やはり世界遺産さまさまか 長電・一畑とは路線距離とかは同等でも沿線に大した観光地もそれなりの都市もなく、ましては車社会のグンマーじゃ…でここの優等列車は残らなかったな。
今更再設定しても万年空気輸送になるだろうが線形も車両性能も上2社には劣らないことを考えると残念よ この動画を倍速再生すると往年の急行を偲ばせる爆走っぷりを味わえるな
https://youtu.be/y7fPz4kdRdQ
しかし遅いのは各停のスジに乗っけてることに加えてやっぱり軌道回路も弄ってるのかねえ >>146 特急料金取る優等列車で儲けていたが、観光地への道路が整備されたために優等列車の乗客が減り、儲からなくなったのが長電ではないのか?
島根も長野も群馬同様、車社会だよ。で、長野と高崎、人口規模同等なんでは? それに高崎、前橋の経済力、商業集積って長野より大きいんじゃないかな?
長電や一畑はそれがないから観光客輸送をあてにしなくてはならなかったわけだが。最近ではたかが知れてるけど。 長電は観光に重きを置いた路線ではないよ
特急料金だって席の指定しなければ端から端まで乗っても100円しか取らないし 鹿児島交通と色が似ている、鹿児島交通のが退色してくると
ますますそっくり 貨物がまだ元気だったころに、秩父鉄道の貨車がデキに惹かれて高崎駅に停まっていたのを見た
引き戸のど真ん中に上信社章とは別の見慣れぬ紋章が付いていた
それが秩父鉄道のものと分かるのはカラーブックスを買ってからのことだった ローカル私鉄の社章を知る手段といえばカラーブックスを読むしかない時代だったね 他社ではあまり見かけないピンクの車体の一団を見ると高崎に着いたことを実感できた >>161
ピンクの電車も分かるが俺はあのガラス張りの本社ビルが高崎の象徴なんだと >>162
1960年代に国鉄115系の上信電鉄への乗り入れがあったらしい
高崎で転線してたみたい
上信電鉄を走る115系がイメージできない >>164
昭和37年の時点では、上野下仁田直通あらふね号があった。高崎で4両に切り離した80系
もっと前は国鉄客車をデキが牽いていた。ソースはピクトリの私鉄車両めぐり 富岡の製糸工場が歴史遺産に認定されたから、また上野から直通列車運転しないかな 1980年代だったかな?
途中に吉井と富岡しか停まらない急行電車や、
急行停車駅プラス福島、一ノ宮にも(他にも停車駅があったか)停まる快速?準急?が無かったかなぁ? 1000系の種別幕に急行と快速があったのは覚えている
準急もあったのか… もと西武451は方向幕の下に小さい種別表示がぶら下げられるようになってた