昔の一畑電気鉄道を語る
昔の「バタデン」こと一畑電気鉄道(現・一畑電車)を語ろう。 ドアの動きに慣れてなくて戸口でモジモジしてる御老体を見かけたことがある
街中のお店の自動ドアと同じなのになあ、と当時思った ここではないがローカル線で
見知らぬおばあちゃんが下車しようとしたら目前でドアが閉まって
足を挟まれたところを見たことがある
すぐに再開して事なきを得たが下車時の危うさは今も解消されてないな >>127
地方に散らばった西武車のなかでも特にカクカク具合が顕著だったようだ 1983年夏
松江温泉駅で折り返し停車中のデハ80の正面ガラス窓に職員が水をぶっかけてモップでゴシゴシ拭いてる光景を見かけた
なんとも豪快だと思ったw
ガラスにへばり付いていた虫や鶏のフンなどを洗い落としていたのだろうか モップなのかデッキブラシなのかの話は別として
大手の車庫でもよく見るぜ 今はきれいになっているが、改築前の大津町駅はまるで廃墟だった。 >>131が言いたいのは
客がいる、駅でやってるから豪快ということかな
車庫にらは客はいないからね 西武から中古車を買うことが多かったが資本的な繋がりはあったの? 特に無いんでない? 西武は中古車をどんどん出してたから
結構他の私鉄にも行ってるし
一畑が他の私鉄と違うのは旧国電の中古を買ってないこと
昭和30年代に70系まで買った後は暫く空いていて80系になる ローカル私鉄に20m車が入れないと思った理由を聞きたい ローカル私鉄に20m車が入線した例など数え切れんぐらいにある
スレチだが熊本電鉄に三田線6000系が行ったのは驚いた 鉄道雑誌のバックナンバーを見ていると昭和40年代まで特急があったようだ
松江~出雲市で山陰本線に対抗していたのだろうか 100周年の記念イベントで特急運転時代の宣伝ポスターを見たことがあるが
「はやい!やすい!快適!」
のフレーズが鮮烈だった
快適! を旨い! に変えたらまんまラーメン屋だからなw 本の受け売りだが、
国鉄ローカル区間がSL運転だけの頃は、
電化私鉄の優位性をアピールするワードとして「綺麗」もあったらしい
電車はSLのように排煙に気を使う必要がない、という意味 トンネルでも窓を閉めなくていい、を売り文句にしてたのは、聞いたことがある 大社線が消えて一畑が残った
理由を考えてるけどよく分からん
駅の位置がよかったんかな 当時出雲大社に向かう路線が廃止になるなんてにわかには信じられなかった。 壮大な社名は大風呂敷広げて建設資金を集めやすくするために使ったという説もあるが
当時の皆さんは本気で出雲大社と宮島を結ぶ考えだったと思う >>105
ホームにLCD表示器がついてからアナウンスの声がお姉さんになった(つく前も?) >>161
構想するのは自由だからな
出資に応じるのは投資家の自己責任 6~7年前、松江しんじ湖温泉から出雲大社前を往復した。
行きは川跡まで、案内放送が一駅ずれたまま。
帰りは運転手名のプレートが逆さに突き刺さっていた。
国交相に申し上げるが、私はこういうの大好きだから絶対口出すなよ。 >>163
でもいくらやる気満々でも現実味のない計画で資金を集めたなら罪には問われるだろ >>161
だから出雲大社と厳島神社はあくまでもシンボルに過ぎないのであって、真の目的は陰陽連絡路線だろうが! まだ冷房車が一両もなかった時代、デハ80の扉間の窓をすべて開けて風を取り込もうとしたら虫がたくさん飛び込んできて難儀しました カーテンというか鎧戸というか、要するに風は通すが虫や鳥の侵入を防ぐ器具は付いてないの? あれは保守が面倒だからオリジナルでは付いていたとしても取り外したか、残してても使えなくしたとかはあり得る
ここがどうしてたかは知らん 天井に付いてる扇風機は気休めだな
弱すぎて風を感じることすらできない 車内全体を強制的に冷やすクーラーよりも、風から逃れられる首振扇の方が冷え症にとっては救いがある 物理風だけなら、たしかに冷房よりは暑いが
結果として人体デフォの体温調節にも影響が少なく
身体に影響しにくいからな