懐かしの国鉄和歌山線
>>130修正
早朝の粉河発五条行きと和歌山発五条行き
夜の五条発和歌山行きと五条発粉河行きの計4本(五条〜和歌山の乗り入れが始まった1994年当時) キハ35が現役だった頃、和歌山駅の構内放送は「*番線の列車は『しえき行き』です」
とアナウンスしていて、最初どこ行きなのかわからなかった。
まだ紀和と田井ノ瀬を繋ぐ線路が残ってた頃の話です。 >131
2010年に225が阪和線ときのくに線に投入されたため 寝台客車が1両だけ王寺⇔和歌山市を連結されていたそうですが
天王寺で乗り換えるよりも速かったのでしょうか。 >>138
速いか遅いかじゃなくて東京まで直通してるのに意味があったんだよ 紀勢本線に165系が投入される前、紀勢本線紀伊田辺〜新宮間で運用されていた非冷房113系には
春日色の非冷房113系も入ることがあったが、この春日色113系は桜井線、和歌山線経由で和歌山駅まで運用されてから、
紀勢本線での運用に入っていたのだろうか 和歌山線での113は春日色と阪和色の2種類乗り入れていた 和歌山線でお召し列車が運転されたとき、昭和天皇は橋本駅で、
南海20001系「こうや」号による南海のお召し列車に乗り換えられて高野山へ向かわれたな >>140
紀勢本線の113系は阪和色がメイン
春日色は全く乗り入れず >>143
国鉄時代、日根野電車区が関西線の103系や101系を受け持っていた頃は、
車両運用の都合からか、春日色の113系6連も阪和線の紀勢本線直通快速や阪和線の
区間快速、桜井線、和歌山線用の4連の春日色非冷房113系も紀伊田辺以南の運用にも入っていた。 >>145
奈良電がまだ無かった時代なんだよ、坊や >>147
関西線電化当初は101系も113系も天ヒネ持ち、セルフラップに不慣れな
乗務員ばかりなので電化開業1か月で全車がタイヤフラット持ちに 紀勢本線紀伊田辺以南で運用されていた113系4連は、日根野から和歌山市へ
回送後、和歌山市発新宮行となる運用と、日根野発紀伊田辺行普通となる運用で、
紀伊田辺以南の運用に送り込まれていたようだ。
紀伊田辺〜新宮間を交代で何往復かしたのち、夜間の周参見発和歌山行で和歌山に
到着後、日根野電車区へ回送で入区していたと思われる。 早朝の日根野発紀伊田辺行きと深夜の紀伊田辺発日根野行きは113系2連で今も運用されている(日根野の車庫からの入出庫を兼ねて) 急行「大和」の寝台車1両が和歌山線に直通していた頃、粉河、橋本、五条などの
各駅の時刻表の列車の行き先の、「王寺・東京」などの表記を見た人は、
「こんな田舎の駅からも東京まで直接行ける」とはなどと思っていただろうね 急行「大和」が和歌山線に乗り入れていたのは電化される前だな 市駅直通時代2901レ継承の525レはC58、2902レへ継承の528レはC57がそれぞれ牽引。
1966年10月、C58に混じって和歌山区のC57牽引列車が和歌山線に2往復あった時代だ。 かつての紀勢線の始発駅は今の和歌山駅じゃなく和歌山市駅だったのか かつらぎ町出身の俳優、小林稔侍は高校は笠田高校
和歌山線列車に乗るときは笠田駅を利用していたようだ かつては南海の難波から和歌山市駅を経由して紀勢線に乗り入れる列車もあったな 南海高野線と和歌山線の相互乗り入れは頓挫したみたい かつて、近鉄が国鉄から和歌山線を購入して自社の路線にするという話もあったようだが、これは実現しなかった >>154
和歌山(⇒紀和)⇔紀伊中ノ島(阪和線の直下)⇔田井ノ瀬を直行する経路で敷かれていた。 その和歌山市駅も紀勢線の発着が和歌山駅に移ってしまって
今は和歌山駅との列車しか走っていない >>162
和歌山線との分岐点から、城戸から先までは路盤工事とトンネルのみ完成している。
西野トンネル阪本側抗口で途切れている。
天辻トンネルは阪本側と五条側の抗口が確認でき、阪本側のトンネル内部は阪大が天体観測施設として使用しているが、五条側の抗口へは、草木が生い茂り、危険で
近づくことができない。 かつて五新線の部分をバスが走っていた(五条駅〜城戸) 国鉄バス→西日本JRバス→奈良交通
何年か前にバス専用道が老朽化で使えなくなってR168経由に替わった 阪本線宗川橋梁は、橋梁上に温泉水か水道水供給用のパイプが敷設されていて、
活用されている。
その手前にある阪巻トンネルなどは抗口に柵がされているが、柵には「大阪事務所」などと書かれた看板が取り付けられ、トンネルを掘削した会社が管理している様だ。 R168は五條から新宮へ行くバスと西吉野へ行くバスの2つが走っているんだな >>168
奈良交通の大和八木新宮線も経由している その五條から新宮へ行くバスは八木から出てるヤツだな 阪本線は天辻トンネル阪本側を出たところまで工事が行われた時点で、
工事は中止された。
そこから先は険しい紀伊山地が迫り、新宮まで容易に鉄道線路が敷設できるような地帯ではない。 五新線のトンネルは電化用の規格で設計されている。
五新線が電化されて阪本まで開通していたら、春日色113系4連による電車が走り、
クハ111の前面方向幕の「快速 湊町―阪本」などの行き先も見られただろう。 蜜柑出荷で貨物列車の定数増のため、普段は川端支線にたむろしている
ハチロクやC11が五条・吉野口間の補機に駆り出されるのが今頃の季節 >>182
紀の川流域は柿、和歌山県だけでなく奈良ナンバーのトラックが吉野地域からも
柿積んで五条駅に来てたわ 大和二見も無人化されたときに駅事務所撤去して待合室に替えた 和歌山線に併走して走る和歌山バスの路線バスは、かつては上半分がクリーム色、下半分が赤茶色に近いオレンジ色で、
暖かみのある塗装だった。 和歌山線が非電化だった昭和40年代、和歌山バスが「南海電鉄バス和歌山営業所」だった頃は、和歌山市駅〜橋本駅間の路線バスには急行便も設定されていたな 天王寺から和歌山経由五条行きがあったな。阪和線内は快速運転。 前4両はきのくに線御坊or紀伊田辺行き
和歌山で切り離していた 新今宮から南海高野線の急行で橋本まで行って、橋本で五条、王寺方面行の
和歌山線電車に乗り換えた方が時間的に早かったな。 相も変わらずアゲ坊やの懐かしくもない書き込みばかりだな 朝に五条発和歌山経由天王寺行きもあった。阪和線内は快速運転
和歌山で紀伊田辺発と併結 天王寺〜五条は初期は113系だったが中期から103系(白帯)に替わった 天王寺〜五条は1989年の改正で登場して2000年の改正で廃止された 1964年の和歌山線
・和歌山市駅に乗り入れしていた。
・客車列車が多い。客車列車は全て畠田,紀伊山田,中飯降,大谷,西笠田,紀伊長田,下井阪,紀伊小倉,千旦は通過する。
・準急(はまゆう,はやたま,南紀観光団体専用列車)が走っていた。
・五条発着列車は,ほとんどが天王寺まで直通。
・急行大和の寝台車が1両だけ切り離されて和歌山市発着列車に連結されていた。 元々粉河止まりだったが1989年の改正で橋本まで延長されたが
利用者の減少で2002年の改正で再び粉河止まりに戻されて現在に至っている 和歌山線も年々利用者が減少している
京奈和の和歌山県区間全通が追い打ちをかけている 田井ノ瀬の駅舎が取り壊されてただのゲートみたいな出入り口に変わってたのを
初めて見たとき声もなかった 駅舎の維持もタダではない
コストカットに効果があって鉄道を遺してもらえるなら受け入れよう そういう連中に限って古かったらボロい汚い暗いと難癖つける 岩出駅前が変わろうとしている。
ロータリーになるという噂もあるけど
知っている人いたら教えて下さい。 和歌山全体が沈滞してるよ
和駅も市駅も元々閑散、そこにコロナが追い討ち
2Fさんの力を持ってしてもどうしようもないかね >>231
跨線橋もエレベーター付に替わって、かつての屋根のない跨線橋は撤去されて自動改札も設置されて駅自体は良くなったが駅周辺は寂れる一方。 岩出はまだ踏ん張れると思ったがもうダメなのか
というか和歌山県全体が沈滞してるからなあ ぶらくり丁の閑散ぶりもすごいな。
本当なら再開発してイオンをここに誘致すべきだった
そのままで無駄な努力をしたせいでイオンが現在の場所になった。 和歌山県が近畿圏に入ってなかったらもっと寂れてたかな
律令制では和歌山は畿内ではなく南海道に属してた https://cdn-ak.f.st-hatena.com/images/fotolife/a/awatembow/20010101/20010101091350.jpg
運転士の姿が見えるので和歌山市方面行のはずなのに
行先幕が「東和歌山」になっているのは何故?
入線してきているのに旅客が全くそわついてないから、ただの回送(幕はナアナア状態)か。 結果的に和歌山駅と和歌山市駅と分散されたのがマズかったとは言えまいか 紀和駅、今は「和歌山駅」時代当時の駅舎画像すら見れるのだから
有人末期(1980年代)の駅舎内の様子が見たい。
ホームで撮った列車主体の写真なら見れるが、改札とか窓口とか目線が好きなので。 市駅から和駅の線何であんな少ないん?バスより早いし安いやん。結構乗ってるし。紀和駅が和歌山駅やった?たまに乗るが「ここが和歌山駅やったん?」と思う。お年寄りは和駅は東和歌山駅らしいね。 >>246
その区間は和歌山線ではなく紀勢本線です 1898.05 [紀和鉄道] 和歌山[紀和]-船戸(仮駅) 開業
1903.03 [紀和鉄道/南海鉄道] 和歌山市-和歌山[紀和] 開業
1909.10 和歌山線と命名
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1924.02 [鉄道省]紀勢西線 和歌山[紀和]-東和歌山[和歌山]-箕島 開業
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1972.03 [日本国有鉄道/南海電気鉄道] 和歌山市-和歌山を紀勢本線へ編入
>>247
ここ懐かし板だよ??? ホンマよく分からんわ。バスより明らかに便利やのに。バス遠回りするし時間かかるし、難波から市駅着いてわからんから、改札も裏側で駅員さんに聞いたわ。乗せない様にしてるとしか思えんわ。 いくら便利でも、市駅←→和駅を移動する旅客の絶対数が少ないからだよ。 よく乗るるんよ、待ち合わせでバスと電車比較して。けっこう人乗ってるで。駅二つやからあっという間に着く。「あぁこの駅が昔の和歌山駅かぁ、昔は栄えてたんやろなぁ」と乗るたびに思うわ。 打田駅前の、昼は食堂夜はカラオケバーみたいな店でカレーを食べた
跨線橋から見下ろす駅前風情がまるでジオラマのようで印象に残った >>253
>>252は駅前風情の事を言ってるのになんで駅構造の話にすり替わるんだろ 阪和電鉄(現在の阪和線)がターミナルを東和歌山(現在の和歌山・和駅)に置いた事
この事がその後の和歌山市中心部の鉄道事情にかなり影響を及ぼしたと思う
もし阪和電鉄が紀和(旧和歌山)か和歌山市駅にターミナルを置いていたなら
紀和や市駅周辺は現状ほど寂れてはいないだろう 南紀の観光資源考えたら紀和や市駅とかより和歌山(東和歌山)に路線伸ばすだろ 市駅にまだ勢いのあった頃でも
駅から少し歩けばたちまち人通りが少なくて活気に乏しかった記憶
平成二年頃です >>255
ライバル側へ擦り寄るはずがねえじゃん。 >>26>>35
一昨年にバリアフリー化で改築して
田舎駅の雰囲気は薄らいでしまった
でも利用客が便利になるなら、それでいい >>257
国鉄は紀勢西線の終点を旧和歌山とか市駅にするつもりはなかったんだろうか まだしも吉野口は蒸機時代の雰囲気を感じられるね。
木製上屋や方面案内の琺瑯、近鉄用を含めてホーム数も多い
中核駅の面影が残ってるように感じる
「五條・橋本・和歌山方面」という文字数の多い青ホーが秀逸 >>262 紀勢西線の終起点は旧和歌山(紀和)
この紀和にも南海バス時代の昭和49年頃までバスが乗り入れていた。
駅から南下して鈴丸橋、ぶらくり丁とルートがあった 現行ネタになるが、吉野口って他所の社線接続駅とくらべて
JR西として「他社線接続への配慮」、案外トップクラスでは?と
いつも思う。たとえば先日、下記aに乗ってて遭遇したけど、
JR下 1640着 A
近鉄上 1641着 a
JR上 1642着 B
近鉄下 1645着 b
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近鉄上 1645発 AB
近鉄下 1648発 AB
JR上 1647発 ab
JR下 1652発 ab
ちゃんと、どのパターンでも乗り換えられる。 まあ運転要員配置駅で現在でも手動扱い、ってのは大きいだろうけどね。 昭53年10月くらいまでか、簡易駅(無人駅)通過列車が2時間1本で走ってた。
和歌山側からがわかりやすく、通過駅は千旦、小倉、下井阪、紀伊長田、西笠田・・と
今の快速並みの運用だった。80年代になってはオハ50系の客車だけだったかな? 鉄道史家を自称する変なおっさんが
自サイト&Twitterでいろいろ面倒やね。
のぶっておっさん
浅い自説に対して
「紀和鉄道の駅があったから紀和町になった可能性は残りますね?」
と指摘されただけなのに発火し
変なおっさん「てはあなたがそれを資料で証明してくださいな。」だってよ。笑
誤字が瞬間発火をよく表せてる
コイツに昔、ていねいな言い方で指摘したことがあったが
似たように文句言い返してきたんだよね。
自分が調べた成果は鬼の首取ったように披露したがる
こういう老害的な自信家が結果的に誤説流布になるんだよな。
本人は誤説を糺してるつもりだから手に負えない 和歌山側は線形が良いから通過列車はスピード出したかっただろうなあ 機関車による客車牽引ならスピードもたかだか知れているのでは? >>242
短絡線ない頃か。
一旦、和歌山(今の紀和)まで行って折り返し東和歌山とか(終点)
それかこの当時はキハ45新車投入した時期だからマジでその回送でナアナア方向幕かもね
知らんけど( ^ω^) 新車が来てくれると嬉しくて乗り鉄のため大した用事もないのに和歌山駅へ行きました そして薄暗い地下道を通って東の端にある南海のホームで丸ズームの残党を待つ
…ローカルやねえ 電化の時は新車でないけどとても綺麗に感じられた
105系 偏見だけどディーゼルカーよりも電車の方が綺麗に格上に見えた