懐かしの登山鉄道 [無断転載禁止]©2ch.net
その代わりループ線になってものすごい距離を走らされるけどな 峠越えの場合は土木技術が進めば山の土手っ腹を突っ切るトンネルを掘って桶 >>67
今後は毎年台風や大雨のたびに心配になるわな
箱根はベルニナ誕生の時の記念品に小田急のロゴが入ってて
この会社が小田急一派であることを初めて知った まあ、小田原起点だから小田急傘下で何の不思議もないね
それよりも大雄山線はアウェーで大変だったろう 井の頭線京王にやる代わりに東急からもらっただけだぞ 駅名に登山を名乗りながら登山電車の要素が微塵もなかった野上電車 >>73 高尾山口のある京王高尾線も登山鉄道らしくないんだが。三峰口のある秩父鉄道も。登山口だから標高あまり高くないんであって >>73
登山口駅が平地にあってもおかしくないあくまでも入り口なんだから 登山口、高尾山口、三峰口、信貴山口、鞍馬口、妙見口・・
いずれも、そこまで行く鉄道はそれほどの勾配でなく登山鉄道らしくない。
近鉄信貴線なんぞ渓谷沿いに進んでいく感じすらない。 その中では信貴山口は服部川の手前と出た直後辺りの勾配は登山の雰囲気はある
また、山頂へのケーブルカーの乗換ができるのも条件のひとつかも 信貴線は沿線が宅地になってて平野部と車窓の光景が変わらない
鞍馬線、妙見線などは終点に近付けば近付くほど
鬱蒼とした森が両サイドに広がって
これから山に入っていくぞー!という雰囲気出てくるでしょ 鞍馬線もなかなかの勾配だよ
かぶりついての前面展望をおすすめする >>78
同意
市街地区間と連続している(終点近くまで宅地化されている)
勾配も、それほど感じない かつて神鉄に「六甲登山口」という駅があった
今は神鉄六甲になってる
ここも登山の風情はないが周囲の道路はアップダウンが激しく
山の中腹にいることは実感できる
今の駅名になってから洒落た山小屋風の駅舎ができたが
改名前は小さなプレハブ小屋みたいな駅務室があっただけではなかったっけ 特に意味はないとおもう
単にアレンジしやすかっただけ
でも著作権大丈夫かな 北大阪急行 駅メロディ全集
1曲目がフニクリフニクラ
https://www.youtube.com/watch?v=ePFkN0vbzHY
予備校の行き帰りに耳にしたのでこれを聴くと今でも入試を思い出す >>86
学生目当ての居酒屋だらけだったのも今は昔
近頃の学生さんは真面目なのか、商売が成り立たんらしい 箱根登山電車が小田原まで来なくなったの知らんかったw >>83
粗末な小屋があった
夜になると裸電球がポツンと一個光ってるだけで物寂しかった 1980年頃まで神鉄はどの駅も概ねそんな様子だった
道場や西鈴蘭台は今の駅舎からは想像付かない 将来乗客が増えると見込んで強気に投資したのだが、
結果はこのざま 登山線のイメージが薄いが東武日光線も結構な坂をよじ登ってる
ツリカケ3000系が物凄い轟音立てて走ってたのを覚えてる 右に左にうねうねと登り切ってふと振り返ると、
遥か眼下に出発点が見えて物凄く高い場所に来てることを実感できるのが登山路線の醍醐味 >>101 そんな登山鉄道、日本にどれくらいあったっけ?箱根登山にしても車内からはるか下まで見渡せるポイントは見当たらないし、複雑な地形や森が邪魔になって見えにくいのでは?
台湾の阿里山鉄道の何重ものループ区間なら、そんな光景を見ることができたけどね。 吊掛車は上りだけでなく下りでも電制のサウンドを楽しめるのがよかった >>100
それが良い味だって訳でね…。
箱根登山鉄道ではそれが無くなってしまった
のがさびしい。 サウンドは楽しめなくなってもツリカケよりは登坂能力は高いのでは? 叡電は2000年頃までツリカケが生き残ってなかったか?
それでも20年前になるのか… あんな急勾配急曲線を当時の貧弱な技術でよく克服しようとおもいついたもんだ 1/15勾配は道路だと普通だからなあ
明治時代だって馬車や荷車で登れる坂だったわけで >>111
社史を読むと、海外の最新技術を導入、とあります 能勢電も山下以北は登ってる感があるね
冷房車が入るようになってから薄まったけど 線路の両脇を鬱蒼とした木々が取り囲んでないと
登山線路の趣きは出てこないね 登山線の範疇ではないが名鉄谷汲線が>>117の言うようなシーンを楽しめた >>117
叡電鞍馬線は合格だね
というかあまりに木々が線路際まで迫りすぎてちょっとした風でも線路に倒れ込んでしまい立ち往生したこともあった >>120
いやだから土砂崩れで木がたおれこんで1年以上も不通になりましたやんか
相当のダメージだぞ よく考えたら山岳線は山が崩れたら線路も車両も諸共だな >>117
スイスなんか随分と視界がひらけてるが
それでも登山鉄道や山岳鉄道の趣きだけど。 アプト式ED41形機関車概要 鉄道史料 1994年8月号 (75) 46(206)-56(216)
アプト電機機関車参考図/ED41機器配置図 鉄道史料 1994年8月号 (75) 57(217)-60(220)
www2.biglobe.ne.jp/~inaba/siryou.html >>125
それ言っちゃうなら鉄橋は橋脚が折れたら列車は諸共よ 朝熊登山鉄道の車両を製造したはイズミヤ製作所は、
他社の車両も手がけたのか、わからないほど聞かないメーカーだね。
数年前に朝熊山へ行くバスが土日祝の五往復再開されたのは朗報だった。 >>130
鉄道模型のメーカーみたいな名前ですね(みどりや) 路面電車が山登りしていた東武日光軌道線か伊香保軌道線が好き
京阪京津線は地下鉄乗入後は路面電車とは言えなくなった 本で読んだことしかないが伊香保線は山を下るときはポールを下ろして惰行して走っていたようだ
乗ってみたかった
(発進時はどうしてたんだろ) かつて国内でした
豊真線(豊原⇔真岡)
金剛山電気鉄道(鉄原→内金剛)
阿里山鉄道(嘉義→阿里山→新高口) >>134 一種の発電ブレーキである電磁吸着ブレーキを非常時用として装備していたんだな。ポール下ろしても下り坂でモーターを発電機としてブレーキや車内灯用の電力を供給できる。ただ、常用ブレーキは手動ブレーキ。 伊香保線の車両、小型だから空気ブレーキなしで非常時用の電磁吸着ブレーキ付きという簡素なやり方で間に合ったんだろうな。今日では安全基準満たさないだろうけど。 >>134
餓多電盛衰記という地元の鉄道愛好家の方が著した読み物があるので御一読をお勧めする 路面電車スタイルの登山電車といえば伊香保と日光だけかな?