加悦鉄道
丹後ちりめんの里をのんびりと走っていた加悦(かや)鉄道。
営業当時から加悦駅構内のSL広場が有名でしたが、
車両陣もデカ顔のキハ08、荷台付キハ101など個性派揃いで
全線5キロ余りの小私鉄でありながら独特の存在感を醸し出していました。
昭和60年(1985年)5月1日廃止。 寅さんで荷台付きの気動車を見たような気がするが・・ 加悦SL広場、閉園したら2号機関車、二軸客車など遺産的な機関車、客車は、
京都鉄道博物館か梅小路蒸気機関車館で保存、食堂として使用されている南海1201は、南海が引き取って保存するか、または和歌山電鐵に引き取られて保存か、
客車改造の気動車キハ08は北海道の市町村に引き取って保存してもらうとか、
バケットカーやそり他の車両も保存先はいろいろありそう >>123
行きたいけど、土日はちょうど良い時間帯のバスがない キハ08に乗りたくて、二回行きましたが、残念ながら二回ともバケットカー
これも貴重な体験でしたが、残念といえば残念
キハ10が入る直前の1980年頃 3/31行くからサプライズで最終運行してくれNPOの中の人
一度も行ったことない
保育社カラーブックスで知ったけど一度も行ったことない
本当に3/31最初で最後なんだ >>130
加悦鉄道が出てるカラーブックスって何巻?
見てみたい >>131様
カラーブックス598「日本の私鉄24 近畿」1983年4月、です。
本当は鉱山駅跡への移転前に訪問したかったです >>130
まだ加悦駅がある
展示品も充実してるしSLも来る
これっきりと思わないでどうか状況が落ち着いたら訪問してほしい、それだけの思いがあるなら絶対後悔しないはず >>130
最終日、なんもなかったみたいね。
俺がNPOの理事長ならサプライズでやるわ。加悦のための専門のNPOでしょ、ラストなんだからそれくらいはやる 冬の加悦駅に降りたったらSL広場を観た後は何もする事なくて町をブラブラしてたら町にはなんもなくて、そこらの家からちりめんの機織りの音だけがガチャコンガチャコンと鳴ってたのを思いだす。 帰りはバスで乗り込むと運転手はせっせと窓を拭いてて客が寝込むとポマードがガラスにベットリと付くんだよと溢してた。丹後山田まで客は私1人、雲が厚くて丹後の冬は日中でも暗かった。 今は運送会社?
トラックの後ろに社員募集、フェラーリに乗れると書いた広告が貼ってありましたが? もう限界だよ
アフタコロナの社会で観光業の生きる道はない 1983年夏、丹後半島への海水浴の道中で丹後山田に立ち寄り。
何の変哲もない田舎駅で、停車中のキハ10をチラ見しただけで撤収。
キハ08すら撮らずじまい、
後年なぜ加悦まで足を伸ばさなかったのか、
たかだか5キロぐらいだったのにと悔やんでも後の祭りだった 加悦駅の保存展示は当時から一見の価値あり
立ち寄るなら丹後山田じゃなくて加悦でしょ普通は 昭和60年4月末日(?)だったかの加悦行き最終に乗車したときは、さすがに物悲しかったです。
沿線にある幼稚園の園児たちが一斉に、こちらに手を振っていた光景がとりわけ印象深いです。 丹後山田に立ち寄ろうとした動機を教えて
何を期待したのか >>158
車両にビニールシートがかけられてるみたい 昭和56年夏にキハ08に乗車
車内は満席、デッキ部にも立客がいた
扉は開放のまま
恐らく乗り慣れてないと思しき家族連れが
扉開放を、危ない危ないとしきりに騒いでいた 自動ドアが当たり前とおもってる人からしてみれば
珍しく見えるだろう 扉開放の他では、単行で走るのが珍しいという声も聞いた
東京暮らしならそうなるか 一昨年にNHKで六角精児がここの取材に行っていたが
キハ08に思い入れがあるらしく熱い思いを語っていた ニワカ鉄ちゃんやビジネス鉄ちゃんが横行するなかで六角さんは数少ないガチの鉄ちゃん >>168
その人、人間的に割とガチでクズなのがな。。やっぱり顔に出てる
そうでなくても俺らは役者として彼を見知ってるから
普段こそ、一切そうは思わないにせよ、
もし役者でなく、そういう先入観を一切除外して見れば
ギリ健の顔貌、いわゆるキモヲタだし。 1980年に行った時は、お目当てキハ08ではなくてキハ51が稼働
最初で最後のバケットカーに乗車
加悦→丹後山田、の帰りでは、
丹後伊山田到着でリアカーを使い、駅員総出で荷物を運搬していた >>171
その方がむしろ機械式でラッキーじゃないか、と思うけど08が目当てだったんですね >>173
その通りで、お目当てはキハ08だったのですが、キハ51も貴重な体験だったようです
機械式でしたか
機械式のDCもこれだけかもしれません >>178
そんなに気になるなら自分で確認してくれば? 知ってる人が居たら・・程度の質問だろ?
昨今は何か聞いてもアンタみたいな返しばかりで面倒だわ。。 自分も興味はあるけどその「可能性」のためだけに行くのはなーって感じ
いくら加悦駅舎がリニューアルされたとはいえ >>180
>>181
まだあるけど、ビニールシートがかかってるんじゃないの? >>180
以下全て同一人物の書き込みな。
0145 回想774列車 2020/08/21(金) 21:54:06.56
もうSL広場は跡形もないのかな?
0158 回想774列車 2021/08/16(月) 22:31:14.99
今SL広場ってどうなってるの?
0176 回想774列車 2023/01/24(火) 08:48:33.83
加悦SL広場はどうなった?
0178 回想774列車 2023/02/06(月) 22:02:50.12
キハ08、まだ見ることが出来ます?? >>181
加悦駅舎見に行きたいけど、京都の中心から遠いんだよね
京都鉄道博物館に行くついでに行きたいんだが 丹後山田駅で08のエンド面を真横から見たら、本当に切り立っていた
切妻そのものだった 08は塗装が赤と白だったが、これが茶一色だったらもっと良かった 国鉄には気動車なら気動車の制式塗装があり
悦鉄の塗装はそれに準拠してたんだから仕方ない。
かつては地方民鉄ほど保守的なところも多い
有田鉄道とかでもそうでしょ >>188
丹後山田駅で思い出したがホームのすぐ前が田んぼで夏前にはカエルがケロケロ鳴きながら線路を悠然と横断してた
長閑過ぎる光景で1枚ぐらい写真撮っておけばよかったと後悔してる 丹後山田という駅名が長閑で
ローカル感があり良かったんだけどな。
タンゴ時代に改称されちまった 昨日20230909(日)、加悦SL広場見てきましたよ。
加悦関係は初めての訪問でしたが、閉鎖後ですからもちろんSL広場は入場禁止。
対面の道の駅や国道176号線上から遠望するしかないですが、見えたのは
C57189・C58390・キ165・キハ10・ヨ2000?・ハ10・キハ100・南海
モハ1202でいずれも掛けてあったブルーシートが劣化して破れ落ちて見え
ているかのような状態でした。
その他にもしっかりシートを被ったものもありましたがなにかは判別不能でした。
確認不足かもしれませんが)キハ08は見えませんでした。
あのままでは全車いずれ土に還ってしまいそうな・・・、そんな雰囲気でした。。。。 何とかしたいが、何も出来ない
静態保存でもお金かかるんだよねえ 南海の電車を保存していたのはなんで?
南海とご縁があったの? フハって本当はハフだと思う
戦前の右書きってのは本当は「縦書き1字改行」なので
ハフの2字をその様式で記入すればフハになる 戦前は官鉄省線の立場がいろいろな面や意味で強く
民鉄側もイヤイヤでなく率先して準拠させたりしていた。
省線の表記順が等級→緩急区別だから
ハフという順は準拠させていた可能性が高い、
という視点においても、やはりハフだと考える >>198
縁がなかったら保存できないという訳でもないしその質問に意味があるのかい 普通はその路線で使われていた車両を保存すると考えるから電化してない加悦鉄道で電車が保存されていると「?」となるんじゃないの 丹後三河内を降りて付近の集落を歩くと本当に丹後縮緬の織機の作動音が聞こえてきて感動したことを思い出す
社会科の授業で習った家内製手工業を実見できた