思い出のレールバス [無断転載禁止]©2ch.net
三河線の出入庫が出現したのはポンコツHLばかりの時代だから、
確実に冷房車に乗れるのはありがたかった キンテツも八日市〜貴生川の合理化で名鉄同様レールバス導入したけど
大年の国鉄同様、使い勝手の悪さに10年ほどで運用停止
結局、電車運用に戻ってしまった
この一連の設備投資って資金の出何処は? >>63
LEの出入庫は、2両のうち少なくとも1両は冷房車
アレが出た90年夏は猛暑だったから、有り難さが身にしみた キハ10で非冷房だったのは広見・八百津線のだけだったかな >>66
だから、1編成に「確実に」冷房車がつながってやってくる、ってことでしょ? LEcarではないが、LE-DCである、のと鉄道のNT100。99年の夏、猛暑時に乗ったとき、冷房が利いてなかった。容量が足りないのか?
LEcarも冷房の利きは今一つだったのか? >>69
軽気動車はクーラーが機関直結式なのが影響してるのかな? >>67
初めて西中金に行った時、暖房車12+冷房車21だった
猿投と新可児の車両が入れ替わることもあったが、検査の都合か?
そういえば、その頃まで瀬戸電も半分冷房だったなぁ
当然乗車率が偏ったが、着席より冷房を選んだ
冷房のあるなしで一喜一憂したのも、もはや昔話か 冷暖房にはそんなにこだわらなかったが走行音には興味津々で
何度かラジカセを持ち込んでアナログ録音にチャレンジしたこともあったなあ 録り鉄ね
ボギー車は平凡過ぎてパス
単車ならではのサウンドを求めて西へ東へ・・ >>67
八百津線で記念乗車したが八百津から明智まで一切途中乗降なしで
図らずも一人貸切状態を楽しむことができた
良い思い出だが半面この路線の行く末を暗示してるようで不安も抱いた
そして十数年後不安は現実のものに・・ 鉄道趣味的には大手私鉄の支線よりも転換三セク線にDCが入った方が
価値があると思われたのでは? >>75
十数年もよく持ち堪えたとみるべき
さすが大手だ 名鉄でいうと最初のキハ10は一軸ボギーなのでバスと言えなくないが
後継車は二軸ボギーとなったが、もはやバスでない >>79
悪口のつもりではないが初代レールバスは外板がうすっぺらくて風の強い日にはベコベコしてる音をたてていた >>80
一軸のボギー台車装備の車両ってことだけど
これって説明必要か? >>81
それはいくらなんでも大袈裟よ
話を盛らないでね 南部縦貫のような60年代のやつか、三セク私鉄が相次いで採り入れた80年代のやつか
どちらが人気? ハイモ180はもとからクロスシートだったのですか。 南部縦貫が人気なのはやはり見た目がバスだからだろうな 南部縦貫はもっと人気出てたはず
宣伝が上手くなかった
惜しい >>98 東京から遠い。沿線人口も少ないし。
銚子は東京から日帰りでも行けるし、漁港や灯台など観光ポイントもある。そのついでに電車乗る。
南部の方は沿線に観光ポイントが少ない。 そうだな
レールバスだけでは観光客を引っ張って来れないな
鉄道に馴染んで高単価が期待できるアトラクションって何があるんだろ >>94
三セクが80年代に買ったレールバスは見た目が電車っぽくて人気がでなかった 阿佐海岸鉄道のDMVは運行が延び延びになっている。
耐久性に乏しいし海に近い路線だから傷みも激しそう。
走り出す前にケチをつけるのは心苦しいが、
レールバスの芳しくなかった原因をクリアしているとは思えない。
しかし今どき単端が誕生したことは結果がどうであれ応援したい。 >>105
見た目が電車ぽいから人気出ないなんて説は初めて聞いた >>106
10年後には普通のバスに置き換えられてBRTになってるかもしれない コストカットとはいえ前後1軸ずつというのは行き過ぎ 現役の国鉄キハ01に乗ってみたかった
南部縦貫は辛うじて間に合った世代 >>92
樽見のハイモ180は、1両がセミクロス、2両が全ロング
新製から廃車まで変わらず 樽見鉄道にはクロス車が1両だけ有るけれど
それに途中駅から乗ったとき、クロス部分には誰も座っていないという謎の現象を見た。
そして堂々とクロス席に着席 飛び跳ねたレールバス
飛び跳ねる現行の電車
近江鉄道 >>118
元西武の電車で飛び跳ねるって相当線路がぐにゃぐにゃなんだな 直線主体で線形は良いが、軌道の状態がアレなのが近江
まぁ、存続させるのが第一で、それ以上は構ってられないしな
既に補助金ズブズブ、ココに限った話ではないが
>>119の代わり?にびわこ京阪奈線構想がありフリーきっぷも売ってるが、
完全に妄想の領域 >>118
LE(ライトエコノミー)カーが軽量すぎて遮断機が降りず
踏切に突っ込んだ車がアレしたからな
一時停止せず踏切に入った車が悪いって事で近鉄の責任事故じゃないようだが
死人に口なしで真相はわからん 何のために一旦停止して窓を開けて左右確認しなきゃならんのかということ 教習所ではそう習うね、
諸外国では遮断機付きの踏み切りはそのまま通過がデフォだけど。
日本の踏み切り用信号機があるところと同じ。 別にご本家争いする気はないが
やっぱりレールバスの呼称は、南部縦貫しかないのではないかな >>125
元祖はアメリカだし
国内でも国鉄が先
南部縦貫のキハ101、102の同型車が羽幌炭礦鉄道にもいてそっちの方が少し古い >>129
大発展したのはドイツだね
アメリカはこの手のが活躍しそうな路線は早期に廃線になっちゃったから 阿佐東線、普通のレールバスという選択肢をあえて捨てた路線 >>127
南部縦貫と羽幌炭鉱は同系の車を使ったがレールバスとして定着したのは南部。
やはり長生きした方が得ね 字が違います。羽幌炭礦 天塩炭礦(石ヘンが正しい) 羽幌は石炭が駄目になったから仕方ない
南部縦貫もむつ製鉄事業を当てにしていたというから危ういといえば危うかったが
よく1990年代末まで持ちこたえた 羽幌はむしろレールバス入れたけど客多すぎてキハ22入れたからな 南部縦貫が増備に国鉄キハ10を入れたのはキャパを懸念したから?
それとももうレールバスを買えなかったから? キハ10が来たときのガッカリ感たるや筆舌に尽くしがたい >>134-135
羽幌炭礦は収支係数が50台の時期もあったという程の盛況 南部縦貫、国鉄キハ10であるキハ104が来る前に居たキハ103が
まともな気動車なんだけど長さはレールバス程度で可愛らしい ミャンマー行けば日本で走ってたバス型レールバスが現存するらしい
(稼働はしてないらしい) 調子が良かったのはキハ101で
キハ102はミッションがイカレてたな 今一番レールバスっぽいのは阿佐海岸鉄道のDMVかな? ここまで大阪市営バスを改造した山鹿温泉鉄道なし
北海道の簡易軌道にも自走客車より前に同様のモノがあったらしい 大正時代に磐城炭礦軌道が東京の円太郎バスを改造した気動車を五両走らせているけど、
世界的に見ても相当古いと思うよ。
都電で戦時中にバスの後ろ半分を二両繋げた車両を親子電車の付随車として、
試作したらしいけど不具合で使われなかったみたいだ。
改造方法は山鹿キハ102に似ているね。 山鹿は聞くも涙、語るも涙
なぜ災いが何度も降り掛かるのか
昭和20年代の仙台鉄道にも言える 買ったのは良いが使える代物じゃなかったのか
使おうと思った矢先に災害に遭って不通期間が長かったのか
いずれにせよ売られた車両は不運だな 被災する前は立派な新車を発注までしていたから
有田に引き取られたやつ