>>87 成田空港への燃料輸送列車の見返りとして、地元自治体からの要望で旅客営業が行われた。
83年6月に東京湾岸からの燃料パイプラインが稼働し貨物輸送が終了した後は、大洗鹿島線の開通と引き換えに、この区間の旅客営業を終了したというわけで。
燃料輸送列車走ってた頃は、鹿島港から成田空港まで過激派の妨害阻止のため、警察が沿線を警戒していたんではないかな。
大赤字覚悟で旅客営業しなかったら、鹿島町などの自治体や沿線住民が過激派からの嫌がらせを恐れて、燃料輸送列車に反対していただろうし。