>>85
津田沼は、新京成新津田沼近くに第2工場を持っていて、
国鉄津田沼着→大栄車両→新津田沼→第2工場(艤装、改造)→新京成藤崎台→京成津田沼と
改軌新車を送り込んでいて、駅傍の第1工場が止められても支障なく、改軌工事を支えた。

改軌当初は、京成千葉駅先(現千葉中央駅先)に標準軌3050を予め持ち込んでいて幕張までの改軌に対応したが、
その後は国鉄津田沼着から第2工場経由が搬入路だった。
本線は当初佐倉から搬入されてるはず。道路輸送!?

高砂−青戸は、他で改軌作業慣れしてからとはいえ、大変だったろうねぇ。
最初の千葉線じゃ「10mm狭い?!ん〜〜、大丈夫!」とかいってゲージがマイナス目のママ改軌運行しちゃったとか。
許容交差内なんだろうが、そういう突発のトラブルを飲み込みながらやり遂げたようだ。