【軽量客車】国鉄客車10系【寝台と座席】 [転載禁止]©2ch.net
オユ12とナハ10の車体を切り継いで合造車を…と考えたことがあったが、計画はあったんだ。 そもそも客車としては需要がないからやめた(ブルトレを除き客車合造車はほぼ管理局内便) >>367
ブルトレで合造車ってありましたか?
マハニ21とか? 今更で申し訳ありませんが
10系っていわゆる「旧客」扱いになるんでしょうか
モノコック車体で、寝台車、食堂車まで設計思想を統一したシリーズなんですが >>370
何をもって「旧客」っていうの?
10系は旧客じゃないよ。 >>372
スハ43系以前が旧客の概念じゃなかろうか >>369
記号的には合造車ではないよな
電源車はあくまで職用車か荷物車 オロハネはいくらでもあったろ。あれだって合造車だろうに トワイライトはともかく北斗星はブルトレじゃないのか >>374
なに、記号だけでよいのか
オハネフ25 300番台について詳説してもらわないとな >>377
オロハネ25ってそんなに忘れられがちな感じはしないのにな >>377
多くの人は広義で含むみたいだが、俺個人は狭義支持者だからブルトレには含めない。
「狭義」ブルトレ・・・国鉄時代に絵入りトレインマークが制定された寝台特急が対象
・上述の理由により単純に「車体色が青い=ブルトレ」ではない
・銀河は含まれない(急行のため)
・北斗星は狭義のブルトレには含まない
理由
・「JR化後に新設された寝台特急」
・「運行系統そのものもJR化後の新設系統」
・「JR化後に改造された車両」
・「ブルトレ=用務移動列車の単なるグレードアップ列車としてではなく、列車そのものが個室設備や豪華コース料理など車内滞在重視型という新しいコンセプトの列車」 補足
東海道山陽筋のグレードアップ車両(「金帯あさかぜ」など)は「狭義のブルトレ」に含める
・「JR化後に改造された車両だが、運行系統そのものは国鉄時代からの既存ブルトレ」
・「ブルトレ=用務移動列車のままでグレードアップとして投入された車両であるため」 絵入りという定義だと、S54頃までの文字テールマーク時代の寝台特急は含まないの? ブルトレブームを始まりにして、あの頃は20系も含めてる雰囲気だったから、
そうかと思えば14・24系の絵入りマークを指して、あさかぜのグレードアップを含めるという謎定義。
こいつが集めてる模型が定義なんじゃないの? >>381
◯チガイ発見
極論主義者で友達居ないんだろな 昔のブルトレを紹介した動画(映画?)では
ブルトレの起源は20系からとされているものが
多かった気がするんだけどな… 20系
始祖は昭和39年年末頃の「ブルー・トレーン」(今のところ紙媒体が確認できるのは鉄道ファン1965年1月号)
それが「ブルートレーン」となって、「ブルートレイン」となる
10系で青色車が新製出場したのは、おそらく1964年から
ただ、急行列車は荷物車が茶色のままであることが多く、完全ブルートレインとはならないため、やはり20系から生まれたとみるのが妥当 >>388
ありがとう。
こんな当たり前と思っていたことが、世代を経ていくと、分からなくなるのかな。
ネットの発達が阻害しているような気がする。
今では、ネットで何でもわかると思っているようだが、ウィキが充実しているのは、
ネットが発達しだした10数年前程度の出来事に過ぎない。
それ以前のことは、自分で文献で調べればすぐに自明のことなのに、
書いていなくて、驚く。
ネットが発達していない時代は、先輩に話を直接聞く、というのがあった。
たぶん、今の世代はこれを馬鹿にしているかもしれない。
しかし、見聞したことを聞けるので、それこそ、100年近く前まで聴ける。
先輩の先輩の話を聞ける。
それが、伝承というものだと思う。 >>383
他はともかく「国鉄時代の絵入り対象寝台特急がブルトレ」ってのだけは個人定義じゃなくて狭義で存在してるわけ。 民営化してなかったら狭義広義関係なく定義そのものがアイマイなままだが、
民営化したから、「民営化時点、あるいは民営化以降のブルトレの定義」ってのは明確に存在してる。
広義にはもちろん北斗星は含むだろう。 >>384以下
あんたらは「どこからがブルトレか」って定義の話をしてるんだろ?
俺は「どこまでがブルトレか」って話をしてる。
噛み合わないのは当然なのに即暴言とか落ち着けよ だいいち>>377は「単に北斗星がブルトレかどうか?」ってしか聞いてねえじゃん。
俺は「どの列車(車両)までをブルトレに含むか」って視点で「狭義では含まない」って話をした。
あんたらは、20系がどうだのとか「どの列車(車両)からブルトレか」って視点で話をしてる。
なにもおかしい話はしていない。あんたらも、俺も、どっちも。
単に視点が後者の人が続いて、前者の人が俺単独という状態になってるだけ。 ブルトレの最初は20系だよ。それは間違いない。
「国鉄時代に絵入りマークが制定された」+「寝台特急」=「狭義のブルトレ」
↑これ、調べたら確かにそういう分類あるから。
俺が勝手に定義付けしたんじゃなくて、俺自体がどっかで見た受け売りだから。 なんで「北斗星はブルトレか」ってだけで、
「ブルトレはいつまでか」って見解を示した俺に対して、なんで「ブルトレはいつからか」って内容で反論するんだよ。
おかしいだろ。
話題がまったく正反対なんだから、噛み合うはずがない。 ごめん
10系で最初に青色車が新製出場したのは、1962年(昭和37年)のオハネ17 600番台・ナハネフ11 600番台
もちろんこれは観光業者の利用債で作られた観光団体専用車両の600番台
一般車の10系で青色車が新製出場したのは、やはり1964年から >>397
ヨシヨシ、気が済んだかな???
あんたのカキコほとんど見てないけど、勝手にそう思っていればいいよ…みんなで意見しても聞く耳持たないだろうからさ。
あんたのハナシハ多分誰も同意しないと思うな。 >>397
>>399
スレタイも読めないほど老眼が悪化したらしいが、ここは10系スレなんで、とっとと回線切ってくれる? >>401
乗っても天井に頭がつかえるのは20系ハネと同じだし、良いことなかったぞ。 求めるのは快適性ではなくて、昭和30年代に
作られた実車に乗る経験することに意味があるんだよな。それは分かる。 高さなら14系や24系の3段と変わらんしな
しかし10系ハネの真髄は幅よりもあの背もたれ兼用の中段とペラペラの上段 >>404
> 高さなら14系や24系の3段と変わらんしな
10系ハネの方が天井低くないか? >>405
10系ハネのベンチレーターで低くなった分を20系は室内高に使ってたけど、14、24系って
防振防音で室内高が10系ハネとそんな変わらなくなった覚えがあるんだけど >>407
3段仕様は天井高かったよ
それを2段化したから
上段頭上が妙に広かった
2段仕様はダクトを天井に
通したからそのぶん低くなった オハネ12の洗面台に固形石鹸が設置されていたので、どういう訳か感動した。 >>409
急行形電車、気動車のロザシは設備されていた記憶。
昭和56年頃が境と思うのだが、トイレットペーパーが、急行にないこともあった。
昭和は、駅、列車のトイレには便所紙がなかったが、特急・新幹線だけ設備していたので、ありがたかった。 せっかく軽く造ったんだから
台車だけは、乗りゴゴチの良い、TR47にすれば良かったのに
ナハ10とスハ43が来たら
乗るのは間違い無くスハ43 それじゃ碓氷峠越えるの大変なんよ。定数いっぱいの急行がねぇ。
末期の高千穂・桜島でも14両だっけか。 10系は晩年の外板の傷みがひどかった。
短距離なら61系に好んで乗車した。
座席定員が多いし、背もたれが板張りで清潔に感じたのが理由だ。
ニス塗りのほうが落ちついた気分になれたのも大きい。 61系は線路状態によるね。東北筋は割と揺れないからOK
九州は駄目wガタガタでなぁ、43系ベスト、35系マストだった 東北でもTR11、すげー揺れてた。特に最後尾。速度だすとダメだな
蛇起こす最たるもの
>>411
間違いなく10系乗ってた。大好きだった。いまでもTR47もTR50も乗れるけど、10系は
乗れないからな。間違ってなかった。まぁどっちにしろ当時とは違うな。軌道がいいし、速度
だしてないからどっちも乗り心地は悪くない
ちなみに車体よりも軽量化の効果が大きかったからな、TR50。これがなければナ級には
なってない >>413
61系が好きな人もいるんだな。
直角背ずり、しかもモケットなしもあり、シートピッチが狭いのを、座席定員が多いと思えるのは、
物は考えようだな。
乗る距離や、通勤時の乗車駅などにもよるのだろうな。
>>411
スハネ16があるじゃないか。 10系は間もなくヤバい、ということで59-2改正直前に
大阪の親戚宅にしばらく世話になって福知山・山陰通いした大学時代の
冬休み思い出す。12月から2月まで何度も出掛けたが
59-1豪雪で山陰は凄いことになっていたな。
大阪駅まで屋根に雪を載せて来る状態。 福知山区のナハ10は最高にボロかったな。
半数は59-2で退役、60-3全廃止決まってたから、57年頃からまともに清掃すらしてない。 ああ、あったね。
廃車が分かってろくに手入れしてない車が。
ひどいもんだよ キハ10〜17系20系にしろ、55系
旧客、10系、20系も、昭和50年代半ばに既にろくに手入れされていなかったな。
国鉄再建法のからみもあっただろうし、今更メンテするのも無駄というのがアリアリだった。
洗面所で、水が出た試しがない。 山陰あたりの旧客で現役末期はデッキの乗降扉の窓にガラスがはまって無い車両があったとは、ネットの記事でみたけど、今の感覚だと考えられないやね >>421
あれね。開けっ放しにしてて、トンネル出入りの風圧とか
海沿いの強風なんかでバーンとなって割れるから直さんという。 南シナにいた、オハネシユニ17 2901〜2919が、あまり有効に使われなかったのは残念だなあ。
観光団体専用列車でデビューしたけど、ビュフェが狭かったのが災いして、
隣の荷物室を解放したこともあった。
その煽りで、郵袋を途中で仕立てた臨時列車に積み替えて、郵便室に荷物を積んで、荷物室でビュフェ営業だなんてこともあったなあ。
後に3両が北海道用に、オロハネシユニ10 500番台に改造されて、名寄本線や標津線などの夜行で走って、
昭和53,10で引退するかと思いきや、SLやまぐち号の展望車に抜擢され改造。
スイシユニテ11として、現在も活躍しているのは、皆さんもご存知の通りである。 オハネシユニ
オロハネシユニ
スイシユニテ
なんです?それ。 「やまぐち号」で活躍したスイシユニテ11だが、寄る年波には勝てず、
謝礼も63年。下降窓からの雨水の浸水がひどく、側板の腐食がひどく、
経年劣化でとうとう3月改正で引退となる曹達。
しかし、新山口での事業用車に転用されると、関係筋から聞いている。
スヤ12と大人しい車番になるかと思いきや、なんと、カヤテ13になるらしい。 軽量化や構造の簡素化が仇になって老朽化が予想外の速さで進行したと、いかにも構造的欠陥が原因のように言われるが
そもそも劣化の要因は、保守をしっかりやってこなかった現場の問題じゃねえのか >>432
10系の場合はアルミサッシとサッシ取り付け部のノウハウが蓄積していない時の設計・製造ゆえに、
そのツケが経年劣化で明白に出てしまった
あと、10系ハネの通路側窓をサービス優先のために落とし窓を採用
しかし、巻き上げられた粉塵砂草落ち葉が入り込むのは想定しておらず、それらで水抜き穴・管が詰まって本来はそこまで達しないところまで水が溜まって他へ漏れ大腐食 阪急の下降窓は支障なかったところをみると、保守力の差ではないのか? 阪急なんか重戦車並みの重量だからできること
極度に軽量化した10系客車とは全く違う
53.10
向日町581・583系 九州3運用・北陸3運用→九州3運用・北陸1運用
うち必要なのは秋田20系4運用を置き換える分
↓
向日町24(25) 明星4運用
↓
青森24(24) 日本海2運用
尾久14(14) 北陸2運用(青森へ移管)
↓
尾久14(14)のゆうづる2運用を青森へ移管し、
尾久14(14) 合計4運用を秋田へ移動
↓
秋田20 あけぼの4運用減
津軽・おがの寝台を20系に集約移転し、2運用
鳥海(天の川へ寝台客集約)
能登 20系化2運用
10系は北海道と普通併結のみに
>>435
> 阪急なんか重戦車並みの重量だからできること
阪急1010系はもちろん2000系以降は超軽量級鋼製車体でっせ ナハネ10 自重27.7〜28.2t
阪急1010系のT車自重は? 阪急5000系附随車の自重が32t。クーラーの重量も入れてだろうが。なお電動車は37.2t。1010系附随車もこれ位か? 最近の軽量ステンレス車並みの重量だな
蒸気機関車牽引列車が多くあって牽引定数を少しでも減らした結果ともいえる >>438
阪急形式図集より引用 要目は新製時の非冷房時代
2000系トレーラー
片連結電気制御客車
形式称号2050 車番2050、2052、2054、2056、2058、2060 自重26.1トン
両連結電気付随客車
形式称号2050 車番2051、2057 自重25.9トン
1010系トレーラーで最も軽いのは汽車エコノミカル台車を履いた
両連結電気付随客車 車番1056 自重23.5トン 試作ナハ10が23.01t
10系は高砂やらの中の人のお話が先行してるからな。下降窓も157や急行サロで大袈裟に
伝わってる。157も10系ハネもカネかけて保守しても使い道ないから早期廃車になっただけで
最後まで残った10系ハネは1956年製を1986年まで使ってるし、ハザは控車とはいえ
1958年製を1995年まで使ってる。42系の方が長生き〜ってのは体質改善入ってるしな
まぁ腐って保守が面倒だったってのは事実で、開放ドアの客車は減少傾向だったから
カネかけられずに廃車が進んだのも事実だろうけど
保守の差というより使い道とカネのかけ方なんだろ 夜行長崎に蒸気暖房の時期に乗るときは(というか行ったのは冬か春先ばかり)
・なるべく機関車に近い前寄り
・10系は避ける(隙間風で寒い)、結構当たっていた記憶
・車両中央寄りが良い
・ただし効きが悪い車両もあるから注意
こんな感じでした Youtubeにて10年くらい前のインドの寝台車
の動画見て、最近のロシアのピカピカ綺麗な
寝台車と比較して、レール方向と枕木方向に
寝台が配置、3段寝台でお客がぎっしり、
動画では古くて汚い客車というニュアンスで
紹介。コロナの今って事もありこれはイヤだな
と感じる。そこでふと、これって昔の10系寝台
だよな、オレらは昭和57年上野でのこういうのを懐かしがって、模型も手に入れようとするのかな、と考え、気づかぬうちに自分はカタギの感覚になってたんだなと思った。 インドの寝台車は連結器を含まない車体サイズがL21337×W3250×H4250(mm) 客室床高さ1313mm
ナハネ10がL20000×W2950×H4090(mm) 客室床高さ1198mm
通路側寝台付全3段(インド)が 1810*635(mm) 8区画(通路側も含めた1区画9寝台)、乗降口2、トイレ4、トイレとは別の洗面台2、車掌補の寝台はあるけど乗降口上部(車掌補室なし)
ナハネ10の寝台が 1900*520(mm) 9区画(通路側も含めた1区画6寝台)、乗降口1、トイレ2、トイレとは別の洗面台2、車掌補室あり >>442
昭和53〜58年頃よく「ながさき」に乗っていたが、ナハ10系には当たらかった。
スハ43系ばかりだった。
ながさきはどこの配置だったか。門モコ?付属は門ハイ? 長崎は長崎だろ。門サキ。末期は10系ハザ3両配置あるな 気動車客車編成表83によると、
4/1、1420レ、佐世保/長崎(大村線経由)→門司港行
ED+スハフ42*+スハ43*+ナハフ10+オハ46+オハ47+ナハフ11+オハネフ12+オユ10*+マニ35*
客車は*が門モシ、他が門サキ、ですね
ただし、同日下りは10系のハザなし、のようです
どちらかといえば、佐世保編成の方がすいていました
早岐で、佐世保編成は乗車のまま入れ換えのようなことをしていましたが、半分寝ていてはっきりと覚えていないです ハザって言葉勘違いしてない?
ハザはハの”座席指定車”って意味の部内用語
普通座席車って意味じゃないよ >>450
申し訳ございません
訂正いたします:10系の座席車なし、のようです 用語的にどっちも有りなんだよね。
特急や急行運用してる部署では自由がハザ、指定がハザシと分けて呼んでいた所もある。
ただし乗客案内もやる部署じゃハザ統一。理由は単純でマルスに表示する文字は指定車がハザ 寝台車で乗り心地がよかったのはやっぱりスハネ16だったの?