横須賀線と総武本線を直通する料金を必要としない便利な快速がオイシイ区間だけで運転されていたと言う現象は
房総特急にとっては繁栄を妨げた大きな原因の一つではないか?
横須賀線ルートで大船や横浜から集客し、房総の各地へ輸送する役割を快速ではなく特急に依存させるべきだったのでは?
東京駅を挟んで逗子、横須賀までと君津、大原までの距離を場合によっては直通し、100km前後を快速運転させている。
この手のサービスは当時の高崎線、東北本線をはじめ残りの東京4方面では行われていないものです。
この現象が房総特急の繁栄の妨げになってはいないでしょうか?
さらに、内房や外房特急は京葉地下ホームに追いやられ、直通する快速がより重宝されるようになりました。
昨今、東海道本線、東北本線や高崎線ではオイシイ区間だけを100km近く快速運転する列車がたいへん増え、
東北本線や高崎線にあっては、かつての新特急の座は完全に失われた。
仮に中央東線の甲府までこの手の快速列車を走らせたとすれば、中央特急(特にかいじ)もその座を失うこととなる。