【仮乗降場】【臨時乗降場】を語ろう
うっかり通過しても、乗降場付近では徐行してるだろうから近くで停まれたはず
ホームがない所でも降ろしてたんじゃないの
当時は車掌もいるからそうそうスルーはしないと思う 士幌線がJR北海道に承継されていたら電力所前仮乗降場と黒石平駅の扱いを巡って大変なことになってただろうな
電力所前駅と黒石平駅が下り・上りの片一方しか停車しない駅として突如全国版の時刻表に出現し全国の鉄ヲタの注目の的になってただろう
JRになってから全国版の時刻表で駅が急激に増加し知らない人が驚いたとか? 久留里線の東清川
何で臨時乗降場として開設されたのか? 国鉄時代の全国版JTB時刻表には、北海道の仮乗降場はあまり掲載されていなかった。
詳しく知りたかったら、道内時刻表が必要だった。
さらには、道内時刻表にも掲載されてい仮乗降場やら、休校日はお休みの道外からの旅行者泣かせの列車もあったらしい。 渚滑線なんか停車場の半分くらい仮乗降場とか驚異的だった
本州は信号場に簡易ホーム付けたのが多かったが北海道は踏切の脇に付けてるの多かった 正規駅の相生線の恩根、布川
ホームは1両分あったかなかったかくらい短い
高校前とか達美とかの仮乗降場と何が違うのかと思った また、仮乗降場なのに乗車券売っていたところもあったな
番屋ノ沢、旭通、宇摩、作返
昭和50年代末期の話なので、かつてはもっとあったかも。 仮乗降場ではなく臨時駅扱いですが、ガーラ湯沢駅も仲間に入る? >>57
青函局の信号場で仮乗降場扱いになっていたところは有人時代に切符を売っていた
仁山、北豊津、桂川、本石倉、渡島沼尻、姫川など 仁山だべ 降りるべ のドラえもんの絵看板があったな。
臨時乗降場は優等列車の臨時停車はあるかもわからないが仮乗降場は思い当たらんな。。 臨時乗降場は
偕楽園、小松島港、田井ノ浜などがあるが、仮乗降場は聞いたことがないな 稲穂臨時乗降場・稲積公園臨時乗降場・発寒中央臨時乗降場・高砂臨時乗降場・平和臨時乗降場 >>67
時刻表には仮の記載はなかった。
列車自体の本数が少なかったのもある
長崎港も同じ 鉄道管理局にだけ認められて本部に認められていないのが仮乗降場で本部に認められているのが臨時乗降場じゃねえの? 日高本線フイハップ浜駅
5シーズン限りの臨時駅とは言え
仮設ホームとかの画像も世に出てないのか… 仮乗降場というと昔の国鉄時代にあった「全国版の時刻表に載っていない」
主に北海道で見られた現象ですかね。
今の桂台(網走の次の駅)とか、意外にあったようですが。 あ、昔深名線にあった湖畔駅も元々は仮乗降所の筈。
初めて、このスレの存在を知った。面白そう。 今は無き能登線立戸ノ浜が仮乗降場で恋路が臨時乗降場だっけ。
全国版時刻表には両方とも臨時乗降場だった気がするが。 恋路は西村京太郎の北能登殺人事件でも登場。能登方面に行くのが遅すぎて
能登線に乗ることなく終わったのが惜しまれる。 昭和60年当時の時刻表見ると正体を現していない「仮乗降場」が結構存在して
いたことに気付く。北海道凄いな。 国鉄時代の北海道では、管理局指定の仮乗降場って、たとえ住民が少なくても通勤、通学などの便のためだったりするので、 >>84
(すいません、途中まででした)
国鉄時代の北海道では、管理局指定の仮乗降場って、たとえ住民が少なくても通勤、通学などの便のためだったりするので、
道内時刻表でも、休校日運休と書かれていて、行ってみるまで運行しているかわからないドキドキ感がありました。 来年また北海道、仮乗降場から昇格した駅の廃止ラッシュ来るね 今月釧網本線乗りますよ!
桂台とか仮乗降場から昇格した駅をじっくり見て来ます。 「不思議な小駅 仮乗降場」のページがなくなっててショック >>93
管理者が「もう閉めます」って書いてたので、ローカルに全部保存したいと思ってたのにすっかり忘れてた orz 当時まちの外れに仮乗降場あって、どうやって乗るのか親に聞いた覚えがある
待合小屋に隣接してる商店に言えば、切符売ってくれて
客がいることを、管轄の正規の駅に電話連絡してくれる
って流れだったような 興味深い話ですね
その商店は国鉄から手数料をもらえたりしたの? 桂台とか仮乗降所から駅に昇格したのが結構あるみたいですな(゜-゜)
地味ですが良スレです。 >>108
結構あるというか
JR化以降も存続するところは国鉄最終日付で全て正式な駅に昇格してる >>30
側に多分5.8kmの北海道タイプの細長いキロポストが立ってるから西2線
何もなければ14号
244との踏切脇は16号 >>94
そのサイトの管理人も、例えば「特急つばめの展望車」(展望車マニア、サイト自体は現存するが興味が離れたとのことで長期放置)サイトの管理人もそうだが、
蘊蓄たれまくって掘り下げまくった、言わば第一人者級のサイトを
あっさりやめてしまう神経、個人的に全く理解できない
そこまで好きなら或る時点からプッツリ興味が途絶えるなんてありえない。
たとえば自分は過去に途中下車印集めが趣味で、捺してもらう券のほうも凝って
集め倒したが、集めること自体こそ終えたけど興味は失せず、ツイート画像を見て楽しんだりしてる たとえば?実例挙げてよ。
言えるなら貴方の実経験あるわけだよね?その例でいいから。 サイトの維持費がかかっているならともかく、そうでないなら放置でいいから続けて欲しかったね
予告なしの突然閉鎖というケースでは急死されて遺族が消した(維持費の関係から)こともあるけど…… Doctor.TTって、日付印字器とかも掘り下げてた人?
広尾線の幸福切符が有名&記念化するまえの
簡委売りのガチ軟券(千切式で駅名部分はゴム印)
愛國→幸bニいうのにすごく惹かれた。 「北海道旅行の鬼」と異名をとる(?)横○○学館スレ・スレ立て人の私が来ましたよ(∩´∀`)∩
臨時停車駅と言えば、原生花園駅、ラベンダー畑駅、あと、今は通年停車しますが釧路湿原駅も何回か
途中下車しましたな。
原生花園駅の時は5月なのにストーブを焚いていました。駅員さんは若くて、とても感じのいい方で、
「江ノ島方面に旅行したことがありますよ」と語っておられました。5月から10月までの営業なので、
冬期は別の駅での勤務となるとか。
ラベンダー畑駅は夏ですな。ファーム富田のラベンダー畑はとにかく素晴らしいです。
「富良野・美瑛ノロッコ号」にのって、夏の爽やかな風を受けながら、のんびりと旅行する。
たまらないですな。
※坂井さん、いつもありがとうございます。せっかくの良スレなので、ちょくちょく乱入する
と思いますが、よろしくお願いします(^^ 5月末でも日中帯広空港で6℃、路線バスてストーブ焚かれてて感動なんて北海道あるあるだろ。
なおその二日後旭川市30℃ >>118
よろしく<m(__)m>お願いします。 >>115の言い方じゃ仮に例を挙げても全く共感できないとか全否定されるだけだろうなぁ 深名線の湖畔駅は下車したことがあります。
確か元々は仮乗降場だったと思います。 ここまで磐越東線の江田駅は無し。
江田信号場と案内されていたけど、立派な片面ホームの駅そのもので駅名標もあり、急行や快速は通過だが、普通列車はすべて停車していた。 >>125
JR発足以降の駅はスレ違いだろ
仮乗降場とか臨時乗降場は国鉄の制度 江田は該当でしょうか?
38年前に降りました
旧型客車末期ですが ラベンダー畑駅はいいですなあ。
方向音痴の母親を連れて一緒に下車しました。
ラベンダー畑からの富良野線の風景がまた素晴らしい。ノロッコ号を利用。「北海道&東日本パス」での旅行でした。
※横◯◯学館スレより乱入。坂井さん、いつもありがとうございますm(_ _)m 勇網線の大曲駅
一日で、上り1本下り1本のみ停車
朝の網走行に大曲から乗りました
わずか2-3分と思いました
キハ22は、混んでいました >>131
深名線にも大曲仮乗降場ってありましたね。 湧網線は国鉄→JR移行直前の廃止だから仮乗降場が駅に昇格することもなかったですなあ。 >>133
仮乗降場が駅に昇格することはJR発足時以外にも多数あった
湧網線だったら北見平和仮乗降場が1954年に北見平和駅に昇格している 今はなき宗谷本線智東駅も国鉄時代に仮乗降場からの格上げだっけ?東六線かな? 小松島港仮乗降場から小松島駅までの運賃はいくらだったの? 今の尾路園はクマザサしか生えてない。 民家なんて跡形もない。 >>141
入場券では列車に乗車出来ないではないか >>142
初乗り運賃のはず
近鉄の八木西口駅も同じ扱い 阪神の甲子園駅が元々は臨時駅とは知らなかった
確かに試合開催日以外に客が利用することは、当時は少なかったと思われる 甲陽学院跡地に甲子園都ホテルが出来てから30年が経つな 6年前、道北旅行に行った際、浜頓別から鬼志別までバスに乗りました、
鬼志別バスターミナル(言うまでもなく、旧・天北線鬼志別駅)に
「天北線記念館(?)」かあって、有名な飛行場前仮乗降場の写真が飾ってありました。
天北線代行バスも、いつ廃止されてもおかしくないですね… 浜頓別は駅の痕跡が分からなかったですな。とっくに解体されてしまったんでしょうなあ。
北海道は仮乗降所の王国というイメージ。
年に1回は必ず訪れることにしていますが、今年は1回行っていて、来年までお預けになりそうです。
久々に来年は原生花園駅でも行きましょうかな(*´ω`*) 昭和60年当時の時刻表を購入して眺めるのが秘かな楽しみだが、
同じような趣味を持つ方がきっと存在するとボクは思う(-ω-)/
まだ美幸線も興浜北線も興浜南線も廃止目前ながら存続していたこの時期に
時計の針を逆回転させてみたい衝動に駆られる(-ω-)/
特に北海道の仮乗降場は華やかなりし時代。国鉄末期の風が時刻表の向こうから
確かに伝わってくる(-ω-)/ 道内時刻表か。
八重洲ブックセンターにて幾度か購入したな。
欄外に硬券入場券が販売している駅が掲載されてないかな? 今月末、原生花園駅に行く予定
でも、彼処とラベンダー畑駅は、他の仮乗降場とは
毛色が違うやうな希ガス 富山港線の競輪場前駅はレース開催日のみ営業の仮乗降場から
15分毎に電車が停まる駅に出世した >>155系
仮乗降場に停まる元急行型475系という構図も面白かった >>159系
富山港線の最後の頃(2006年頃)は475系が走ってた ただ厳密に言うと最後の頃(2006年頃)は競輪場前は臨時駅なんで「仮乗降場に停まる元急行型475系という構図」には該当しない
457系と競輪場前仮乗降場の組み合わせは2年くらいしかない 73系から475系への置き換えは1985/3/13 釧網本線の原生花園駅は10月31日を以て、とりあえず今年度の営業を終えて半年間の眠りにつく。営業再開は来年の5月1日からとなる(-ω-)
釧網本線は実に魅力的だとボクは思う(-ω-)北浜駅の停車場や川湯温泉駅のオーチャードグラスでは何回か食事をしたことがあるが止別駅のえきばしゃや、
藻琴駅のトロッコは、まだ食事をしたことがない(-ω-)浜小清水駅に隣接している道の駅も是非立ち寄りたいとボクは思う(-ω-)
来年の2月、流氷の時期に訪れたいのだが(-ω-) >>151
1982年に行った時の工程
・稚内1258→(726D)→1507浜頓別1526→(927D)→1612北見枝幸1617→1701浜頓別泊
・浜頓別740→(722D)→904音威子府<撮影>音威子府1307→(324レ)→1351美深1358→(923D)→1428仁宇布
仁宇布1500→(924D)→1500美深1511→天北上(302D)→1534名寄1651→(629D)→1832興部
興部1837→(829D)→1907雄武2105→(832D)→2134興部2205→(1633D)→2350遠軽
・遠軽018→大雪6号(516レ)→453砂川
雄武で2時間ほど何をしていたか、全く記憶にないです どうしてギャンブル客に便宜を図るのだ
余計に時間がかかってる
料金倍にできないのか 本州以南では数えるほどしかないな
伯備線布原や三江線長谷とか
北海道に限りなく近いのは長谷だが布原は信号場のついでに客扱いしてた感じ 三江線みたいに小駅だらけだとなんで長谷だけ(仮)なの?って思う 信号場ついでに客扱いだと常紋信号場があった
上目名駅は駅長家族の通学のためだけに駅として営業してた感じ 運行面における絶対的な客扱いではなく、
車掌への事前申し出で降りられたような
そういうユルい扱いで乗り降りできたラストの
信号場&乗降場って、いつ何処が最後? 旧型客車だと理論上信号場から乗るなんてことも可能だったが扱い的にどこの駅から乗ったのかが分からず車掌が困惑しそう 174などは実際あった
173は、停車時に前方注視してるからバレバレ。
現代でも、特急とかで終着付近の停車駅から乗り込む奴とか
俺らが思う以上にチョンバレだから。人数まで判る
顔見知りの特A組の車掌が話してた >>175
じゃあそいつらにちゃんと特急券売りにいけよって話だけどな 四国でも仮乗降場同然の営業してた駅があった
ホーム有効長不足が原因だったため民営化後ホーム延長工事して停車列車が増えた
やる気のない営業してた駅があったんだなw 四国のやる気なし営業は通学需要に的を絞ってたか?
山の中にあったとかじゃないが 町の中にあるのに殆ど停車せず勿体ない使い方してて路線バスに乗客吸われてただろうな そういうのって現代視点ではと。
国鉄時代って、国鉄側も利用客側も、
予讃線レベルの路線でも「電車」=こまめな通勤路線ってイメージではなく、
どちらかといえば国鉄はキシャ=長距離移動メインってイメージだった
だから全国的に駅間とか長いままだった。
駅をもっと増やして、こまめに・・って考え方や施策へ方向転換したのは
民営化以降だと思うよ。 >>183
昔の国鉄の発想です
駅もそうですが、列車の運転間隔も同じ
その意識が変わり始めたのが、1982年ころから、広島で一部改善で始まりました
汽車から国電へ、とか
シティー電車は20分間隔、とか
本当に改善すれば乗客が増えそうな線区は、駅激増/運転本数激増(ただし短距離が多い感じ)
特に極端と思ったのは、札沼線、仙山線、越後線、豊肥本線、など
札沼線は、駅増加、区間運転増加、電化、複線化、と、昔の頃とは激変
時刻表を比較して、うなってしまいます
1982/09時刻表から、石狩当別発上り(*は始発、篠路発着等の区間運転は無し)
638/714/*748/921/*951/1034/1116
*1308/1425/1628/*1723/1858/*1959/2059
当時はそれでも本数は多めと感じていました
同じく仙山線、愛子発上り(普通)
646/732/954/1059/1517/1725/1932
上記以外に830発の急行仙山2号仙台行があり
大路市近郊の通勤路線とは全く思えないレベルでした
ご参考 大阪のアマチュア鉄道研究家が阪急京都線相川・正雀間に吹田観音前という名の臨時駅を新京阪時代の1941年3月10日から4月11日の間に開設していたことをつきとめた、と話題になっているそうです。 東塩尻は信号場だったはずだけど、どういう根拠で客扱いできたのだろう?
入場券も発売していたらしい。 >>195
磐越西線のさらしな信号場も客扱いしていたので、普通にあったことかと。停留所扱いなので乗車券は次の駅まで購入する必要がありました。東塩尻は晩年駅に格上げされませんでしたっけ? 入場券があったのはそのせいでは。 信号所というのは信号扱い所のことで
駅構内に見晴らしのよい建屋として存在し、
構内に関する信号てこ、機械てこを集中的に管理操作する作業場にすぎない
信号場は信号所ではない
停車場の一種で列車の行き違いのためにやむを得ずつくった施設 >>160
富山港線末期
昼間限定で高山線間合いのキハ120も走ってたんで競輪開催日は475代走とかでなければ
>>169の長谷、布原と競輪場前
JR西の仮乗降場上がりの駅は全て制覇してそうなキハ120 >>202
30年前、渓流釣り行くのに布原駅使ってました
3月から5月まで月3回程度
いわれてみたら自分以外の乗降客を一度も見たことがなかった