【旧国】大糸線【シュプール】
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>>3
災害で長期運休にも復旧させたのはもう夏歌詞?
やすやすと廃止できるのならそこの他に
越美北、三江、木次線や高山線の猪谷あたりは消えてたろう
しかし長野県内も戦前に佐久、信濃(初代)、伊那電、三信
などの私鉄を買収しておいて
ここにきて信越線の大部分を半官半民に任せる形になるとはね 一時は「シュプール」をはじめ、数多くのスキー列車、臨時列車が大糸線に入ってきて、まさに線内はてんてこ舞い状態だったのに、
今は定期の特急は「スーパーあずさ」1往復だけとは、何とも寂しくなったもんだ。
何かと足を運んだ大糸線も、ここしばらく行っていないね。 その混雑が豊科、穂高付近までしか続かないのが弱みだよなぁ。
道路と新幹線が整備されて、大町以北は県内も対東京も長野指向が強くなってしまった。 >>7
2両だったのが増車されたのならまだしも、
4両だったのが減車されたからな。
>>8
大北(大町+北安曇郡)って中信に含まれているが、
気候の区分けでは長野(市)等の北部だからな。
「北部なのに北信ではない」というのも不思議だが・・・ >>9
大町は気候的には北部でも善光寺方面とは地形的な障壁が厳しいから、
同じ松本平の中でくっついていたのは自然な成行きかと。
信濃が松本県になっていたら善光寺方面とくっつくことはなかったと思われ。 30年前は、115系が6連で白馬まで入っていた覚えがある。北からは、大町や白馬までキハが入っていた。 >>12
PC、ELにはまったく興味ねえよと訴えてるような動画w >>11
ttp://www.youtube.com/watch?v=hS1yvnpkxO4
に3両+3両の普通が登場、但し165系だが・・・
RJ別冊(確か「懐かしの列車大追跡 PART2」)に南小谷行きの普通が登場するが(文字のみだが)、「115系6両」とあったはず。
白馬どころか南小谷まで入線していたのだろう。
特急以外2両ばかりが走る今では考えられない輸送力だ。
>>12
2両+3両と5両固定が登場している。 たしかに、松本からの定期の各停では、白馬止まりはなかった気がする。 自分も記憶ですが
松本発は、信濃大町行か南小谷行(上りも同様)
糸魚川発のDCは平岩・南小谷・信濃大町行
白馬発着は定期では記憶にないですね
大糸線の旧型のお別れ運転が白馬行、この程度の記憶です
松本側では旧型では4,6、8(ただし北松本-信濃大町で4両は回送だった)、これにクモユニが1両
2両の付属単独での営業はなかったかな
記憶だけですが、2両頻発の現在とは必要輸送量が減少、でしょうか >>15
酉区間からの気動車普通が白馬や信濃大町まで乗り入れていた頃まではあったはず。
JR初期のダイヤでは松本発の列車と白馬発の酉区間直通が接続する形になっていたかと。
>>16
少なくとも4両とは・・・
頻度は別として考えればローカル線というより近郊路線のようだな。
国鉄末期には(高頻度)短編成化の流れが大糸線にも及んで、
「あずみのエコー」と呼ばれたようで・・・
ttp://www.youtube.com/watch?v=3j7aA55ijGg
に「あずみのエコー」が登場する。 >>17
白馬・信濃大町は姫川大水害までは一日一本ありました 信濃大町〜糸魚川の列車には、キハユニ26が連結されていましたね。
旧国の話、2連で走行中の写真を見たことがあります。
営業列車としては私も記憶にないのですが、回送でも設定されていたのでしょうかね。
「目指せ2扉車!」などと言っていた頃を思い出します。 たしか、旧国の時代はサハがあったね。元2等車だけど雨漏りするとか聞いた。北松本支区へは、住所と名前を記帳したら見学できた。 >>20
45004,45005,45007ですね
結構人気
北松本は、当時何回も入れさせていただきました
>>19
ニドア車は多くはなく、あと43804と43810かな
43804は営業で先頭に出た姿はついに見ませんでした(廃車留置時に初めて正面ドアが車内のグリーン系の色が先頭に出たと思いました)
末期ではなければ、中央西線篠ノ井線(上松−明科か聖高原)の運用があり、この絡みの運用で2両単独があった?
間違っていたら申し訳ございません
自分は明科−松本間の区間運用に先頭だけ横須賀色の43810の4連(2+2)を見ただけですが
それとも、もう少し昔にはあった?
ご存知の方おられます? 少しだけ調べてみました。
2連運用あったようです。
ttp://6711.teacup.com/53007/bbs/494 >>22
大糸線というより、篠ノ井線・中央西線の出張運用ですね
この運用は低屋根限定で、2両*3運用、朝の松本行が6両
夕方に明科・聖高原(麻績)往復後に木曽福島行4両と、もしかしたらもう一本木曽福島行があってこれが2両?
自分が見たのは76年夏ですね
横須賀色の43810先頭の4両(明科か聖高原往復)と、松本に停車中の41800をみました
41800ですが、当時珍しかった3枚ガラスのドアがあって、鮮明に記憶にあります
自分が見たのは22の写真の反対側のドアの2か所が3枚ガラス、しかし22でも一番後ろがそうですから、41800のドアは貴重
これ以外クモル24(だったと思いますが)で見ただけ
しかし、この限定運用をきちんと追っている人もいるようで素晴らしいです 30数年前の大糸線貨物と言えばED60ですよね。
でも、客車の牽引はどのくらいあったのでしょうか?
さよなら運転の動画があったので、
鉄道○○○の方々のマナーがちょっとですが。
http://youtu.be/9mXx6rAtTec 165系はやっぱり緑と橙色だね
新信州色とやらいうのはどうもしっくり来なかった 見慣れたもの、広く浸透しているものに人間は親近感を覚えるから
それは仕方ない。 オレンジとグリーン
この組み合わせを考えた人は素晴らしいよ! >>31
それは発案者に可哀想
アイデアはどんなジャンルの物でも速いもん勝ちだからね
スカ線色、湘南色はあの時代に考案されたから讃えられた。 長野ローカルの番組だが、
先程の「NBSみんなのニュース」の特集で昭和30〜50年代の安曇野の映像の話題。
大糸線(篠ノ井線かもしれないが)の気動車急行が登場していた。 シュプール列車が全盛のときだかの
鉄道誌のレポ?で、
運転日に大糸北線で交換するとき
低規格軌条の側線へ低速で進入する
記述に萌えたが、
それはどこの側線の話だったか
わかる人いますか? 中土駅では?北小谷はシュプール号増発対応の新しい交換設備。記憶が怪しいが中土には側線がありDD16 300登場前はターンテーブルもあった。中土は簡易線の設備だったような。 >>38-39
ありがとうございます。
たしか37kgレールだった記憶があります。
ネットをみていたら、シュプール号って
平成10年以降でもまだ運転されてたことに
たいへん驚きました。
自分のなかではシュプール号って
平成一桁台の全盛期イメージのままでして、
平成12年やら、まだまだ最近に思うので… DE10も入線出来たが、影の主役はDD16 12だったな。
客車はリゾート'88の4両で、スハフ14 18・19とオハ14 181〜184、それにオハフ15 21・22を使用。 40系引退前に現地訪問。
手入れもあまりできていないようで
ウインドシルの塗装が剥落してたり袖部裾が凹んでいたり、
安全を直接的に損ねるものではないにしても目にするとあまり愉快なものではなかったです。 >>45
安全性を直接損ねるものではない
よく分かってるじゃんw 大糸線の旧国は魅力的だが、見た事ないのよね、多分。
特急しなので何度か北松本を通り過ぎてる筈なんだが、当時は鉄道趣味が無かったw 驚愕の事実拡散
創価の魔(仏罰、現証、非科学的な原始的発想)の正体は、米国が仕掛けてるAI
パトカーの付きまとい、咳払い、くしゃみ、芝刈機音、ドアバン、ヘリの飛行音、子供の奇声、ドアバンも全て、米国が仕掛けてるAIが、人を操ってやってる。救急車のノイズキャンペーンに至っては、サイレンで嫌がらせにする為だけに、重篤な病人を作り出す冷徹さ
集スト(ギャングストーカー、ガスライティング、コインテルプロ、自殺強要ストーキング)以外にも、病気、痛み、かゆみ、湿疹かぶれ、臭い、自殺、殺人、事故、火災、台風、地震等、この世の災い全て、クソダニ米国の腐れAIが、波動(周波数)を悪用して作り出したもの
真実は下に
http://bbs1.aimix-z.com/mtpt.cgi?room=pr02&mode=view&no=46
https://shinkamigo.wordpress.com 驚愕の事実拡散
創価の魔(仏罰、現証、非科学的な原始的発想)の正体は、米国が仕掛けてるAI
パトカーの付きまとい、咳払い、くしゃみ、芝刈機音、ドアバン、ヘリの飛行音、子供の奇声、ドアバンも全て、米国が仕掛けてるAIが、人を操ってやってる。救急車のノイズキャンペーンに至っては、サイレンで嫌がらせにする為だけに、重篤な病人を作り出す冷徹さ
集スト(ギャングストーカー、ガスライティング、コインテルプロ、自殺強要ストーキング)以外にも、病気、痛み、かゆみ、湿疹かぶれ、臭い、自殺、殺人、事故、火災、台風、地震等、この世の災い全て、クソダニ米国の腐れAIが、波動(周波数)を悪用して作り出したもの
真実は下に
http://bbs1.aimix-z.com/mtpt.cgi?room=pr02&mode=view&no=46
https://shinkamigo.wordpress.com 例えば、特務機関NERVは、デスノートのLを蟲師のギンコに置き換える計画を立てて、
キラ対策本部で走行試験を行ったが、出力不足と、一軸駆動である故に空転多発で
計画が白紙に戻された事例がある。
結局、BotWリンクへの置き換えになったわけだ。 大糸線経由の新宿〜北陸の特急って歴史上一度も存在したことないんだっけ?
非電化でも遠回りの長岡経由や峠超えの長野経由と同等クラスのポテンシャルはあったんじゃないだろうか 平成一桁時代、大阪から南小谷までシュプール号に乗ったわ
大糸線内は早朝で真っ暗だったので車窓を楽しめなかった
トロトロ低速で走っていたね
ちなみに、直江津経由で黒姫までのシュプール号にも乗ったぞ
583の寝台車だ ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています