昭和20〜30年代の鉄道車体は、技術進歩というよりも製造に使える物資の質、量によるところが大きかったのでは?
モーターなどの走行装置にしても、そのような事情が関係してくるが。
例えば、モノコック構造なんて航空機では戦前に実用化され普及していたし、ニューヨークのの地下鉄では1930年代に連接式、ステンレスの車両を走らせている。
日本が戦時中、遅れを取っていたのは電気溶接技術であって、戦後は欧米からの輸入技術で溶接作業が革新された。
それに、国鉄80系車両がデビューした頃までGHQによる資材配分統制が行われていたことも考えると、技術はあるのだが物資が不足、あるいは生産体制が十分でないため技術を活用できなかった、安く造れなかったということではないかと思う。