>>655
当時の電機子チョッパーは
既に界磁チョッパーも普及しつつあったが
汎用通勤車の制御方式として
まだ有力視されていた段階

しかも南海選択の三菱AVFチョッパーは
平坦線の高速運転だけでなく
運転頻度起因の回生の問題を除けば
準山岳線区の勾配対応にも適し

むしろ8200が
四象限チョッパーだった可能性の方が

また2000は初のGTO-VVVF車だが
要素単位の採用という認識でしかなく

本格的な21m4ドア通勤VVVF車には
制御伝送など周辺技術を含めた新機軸を
まとめてフルシステムチェンジが大前提
よって中途半端な状態の設計は念頭になく

2000をMBSAと21m4ドアにしただけとか
そういうタラレバはありえなかった

それとやはり
3000番台は当時なら泉北車用

1000-6次車の段階で
既に8000番台の形式付与も検討