国鉄末期の福知山線・山陰本線宝塚−城崎間の電化開業に伴い、新設された
特急「北近畿」には381系を新造投入する計画だった。しかし、国鉄の財政が
厳しかったことにより、実際には伯備線特急「やくも」の減車などにより
捻出された381系を紀勢本線「くろしお」に転用して、その「くろしお」から
捻出された485系を「北近畿」に転用して充当した。

同じく国鉄末期の話だが、日中の横須賀線逗子ー久里浜間の輸送改善を図る
ため、武蔵野線から運用を離脱して大船工場に廃車回送されていた101系1000
番台のうち、クモハ101-1000+クモハ100-1000の2両で編成を組んで車体塗色
も変更して、「シーサイドライナーヨコスカ」のヘッドマークも装着して
営業運転への投入を前提としていたようだが、結局この計画は実現せず、
この「シーサイドライナーヨコスカ」塗色の101系1000番台の2両編成も大船
工場にて解体された。