>>280は出先で書いたから少し無茶苦茶だなw
ちょっと訂正

竣工に時間がかかったのは自社発注車のワンマン化改造を優先していたため。
改造は昭和43年(1968年)から始まって、49年度(1974年)に完了。
それから800形の改造が本格的に始まり、入線から3年越しの50年(1975年)11月に801(3145)、翌年4月に802(3215)が竣工した。

ところが、3両目の804(3241)の竣工間近に廃止される仙台市電から100形5両を購入する話がまとまる。
100形は昭和51年10月に入線して車両数に余裕が生じ、さらに800購入の動機の一つであった
赤迫以北延伸(延伸計画の発表そのものは昭和48年)が凍結され、この時点で804と803(3240)・805(3242)の改造は中止となり、
3両は籍も入れられず浦上車庫に放置され倉庫になった。

竣工した2両はとりあえず予備車として使い続けるつもりだったようで、
昭和56年(1981年)8月に802が側窓のアルミサッシ化と集電装置のZパンタ化がなされたが、
ツーマン車だったのと、在来車と比べて定員が多めだったことから先輩の150形よりも稼働率が悪かった。
(当時の主力車両であった自社発注車の定員は76〜82名だったのに対し、800は94名)

廃車の直接要因は57年(1982年)7月に発生した長崎大水害。
発生当時801・802と倉庫代用だった5両全車が冠水した浦上車庫に留置中で全車が被災。
稼働率が低かったこと、老朽化が進んでいたこと、そして水害直後の8月に冷房付きの新車1200形が入線予定だったことから復旧は見送られた。
(800形よりも車齢が上の150形は5両全車が復旧している)

そして同年の9月6日付で801・802が廃車となり、倉庫になっていた3両も含めて年内に全車解体された。
余談だけど、長崎に入線した800形のうち801〜804までは西鉄100形流用のK-10台車だったのに対し、
805は66形77号流用のブリル76E台車を履いていた