停止位置は前方で判断するのではなく、横の建物や目標と加減弁操作で行う。
ホームには乗降位置を示す白線や札が目印となっていて、その位置に客車が停まることは
あたりまえだった。機関士は自作のメモ帳や脳内に当日の列車編成と各駅の
ホーム周辺状況が把握され、適切な位置でのブレーキ操作を行っていた。

通勤電車で立ち客が急ブレーキでつんのめったり、位置あわせに後退したりする
ことはは蒸気の旅客の場合ほとんどなかった。万一ずれたときはそのずれたとこで
乗降して調整は行わなかった。

出発時もごとんという軽い衝撃以外は実にスムーズに
転がりだすのが普通だった。(砂まきを強烈にしても時々空転する)

長大編成の貨物の場合は、逆にく急発進してすぐ緩める。すると、連結器が
がちゃんがちゃんと順番に後ろまで衝撃音を伝えていく。これは今のELも同じで
テクニックの一つというか、そういう走らせ方をしないと動きだせない。

天候や人身災害以外で列車が遅延するということも滅多になかった。
どんなローカル線でも首都圏でも客レは秒単位のダイヤ通りで運転されていた。
貨物は当日の荷捌きなどの要因もあり、たまに遅延や打ち切りはあった。