懐かしの京阪大津(京津石山坂本)線を語ろうぜ
懐かしの京阪大津線区(京津と石山坂本)を語ろうぜ。 ○
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九条山から日ノ岡方面へ向けてカーブの途中にあった中継信号機、いつ見ても制限信号だった 踏切が作動してない時は右上と左下の2つだけ点灯していて、
作動すると全部点灯するんだっけ?
南海も同じ方式だが背面板が京阪は正方形、南海は円形と違いがある そう
踏切のそれは民鉄では義務付けられている
(今現在は知らんが)
丸ランプ5つタイプだけでなく
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↑タイプもあるな。 >>300
いや、南海の場合のそれは1990年頃まで。
現在は、鳴動してない時は消灯、警報機が鳴動して2灯点灯、遮断機が降下して全灯点灯、に変更された。
一説によると電気代節約のために消灯するようにしたとか。 \/
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↑
これって踏切の遮断棹を可視化したものだったのか!
踏切が閉まったのに✕なのはなんでだろう?と勘違いしていた マイナーな設備だけと、専用軌道と併用軌道の境目に閉そく区間終了か終端か何かの標識があったな。
御陵とか九条山と日ノ岡の間とか蹴上の浜大津寄りとかで見た。 >>298 300 301
踏切動作表示灯は、黒い円盤の中央に白色灯が点滅するデザインのものが昭和55年前後には使われていた
本線では絶滅したが京津線には僅かに残っているはず 地下鉄化で、九条山にも
北陸本線の筒石駅みたいな超地下駅が出来るかと密かに期待していたのだけど 水色の800系も思い出の彼方になってしまった
琵琶湖をイメージした選定だったはずなのに 近江電鉄のあかね号とともに水色系は涼しげで良かったですね 今の塗装は、そもそも本線系であっても暑苦しい
濃い色が上部に来てて圧迫感あるし
旧塗装に戻してほしい 80型のカラーは唯一無二の存在
700型で復刻された時は嬉しかった >>320
落成当時、なぜあの色にしたのか不思議ながら、センスは良かった。
その前の20形や50形は白黒写真でしか見たことないから、どんな色してたのかは知らん。 80型は近畿車両製で製造中の新幹線0系と並んだ画像があったと思う ちなみに主制御器は2000系スーパーカーのそれをカスタムしたものとか。
定速制御に減速は基本回生制動とありったけの技術を詰め込んだ力作。 ポール、2連化、冷房化・・・
軽快電車はどんどん重装備になっていった >>327
おれは急行の時代に乗ったぞ。
準急になってからは御陵以東は各駅停車だったが
急行の時代は、京阪山科と四宮と上栄町くらいしか止まらなかった。 三条の乗り換えなくして特急びわこ号復活祈念!!!!!!! 京津線の警笛
普段はボワーンなのだが、自動車の割り込みにはファーン!!と威嚇するような感じだった >>334
名鉄揖斐線で走っていた770形では自動車クラクション風の音があった(後付けで鳴るようになった) 「紫式部号」とか名付けて京滋バイパスを走るバスを運行すれば、
今年一年だけは需要があるかもしれない。 車掌が「信号待ちです」とアナウンスしたのを
「信号町」という駅名かと思っていた小学生時代 「これからカーブが続きます。つり革手すりをお持ちください」 三条―京阪山科の間で電停ではく高床ホームなのに準急が通過していたの九条山だけだっけ?
日ノ岡も通過? 準急は三条を出ますと御陵まで止まりません。
東山三条、蹴上、九条山、日ノ岡の各駅へは次発の各駅停車をご利用ください。