蒸機最末期(昭和49年時点)でC50がラッシュ時の旅客列車牽引リリーフ運用に従事していた例はあったのだろうか
三級線でも本務機たるC57やD51は優先的にDD51に入れ替えられている訳だし
C58が許容の限界な四級線でも概ね昭和47年までにはDE10で無煙化達成出来ていたし
最終的に残存した蒸機は原則として入れ替えにしか充当されない数種の小型機だから
多客時のリリーフ運用でC50が朝と晩のラッシュ時に客車列車牽引するのは不自然では無いと思う
C50の運用上の弱点って先台車が8620と比べて曲線通過性能が劣るのと動輪上軸重が旧乙線限界の
14.7tを超過する事位だよな
前者はそれ言うならC11はどうなるのか 保線の観点からすれば島式先台車は軌道破壊大杉で嫌われた、
検修の立場からはエコノミー式先台車の方が簡素な構造なので維持がし易い、
後者は後の三級線規格なら軸重15tまで許容出来るからノープロブレムな訳だし
8620よりも設計が新しく出力大で粘着力もあり高速性能はC58より良好なら
43・10以降の蒸機末期にはもっと積極的に活用されても良かったカマでは無いかと思う
(C58は時速75km以上だとカマの動揺が激しいという悪癖があったというしな)