戦前に京阪神間を電化する際、「是非電車に二等車を!」と地元から強烈な要求があったそうだ。

特に阪神間は高級住宅街として早くから開けており、
政治家、役人、高級将校や企業幹部、その子女の通学のために二等車が要るとされた。
72系以前を知るヲタの間で東の横須賀線、西の京阪神緩行線といわれた所以。