懐かしの8620
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未だに現役の大正11年生まれの58654、3重連花輪線、
最後の活躍場であった湯前線…
鉄路あるところに8620無しといわれた、はちろくを語りませんか? >>77
終着駅じゃなく荒屋新町じゃないの?
好摩は普通にD51クラス可能の転車台だった(盛岡電化前は区間補機が転向に利用)し、
大館・盛岡は当然同様
あとC58入れても、大更までの小運転や竜ヶ森の補機は逆向も仕方ないわけで
採算とれないといっても三重連だけが採算割れというのでもないし、
三重連はわずか数往復の岩手松尾−荒屋新町区間だけだし
むしろC58を必要とするほどの貨物量がなかったのかも
(補機にC12あたりを使えばC58重連の必要はないし、区間補機なら
タンク機で十分、C11/C56でもよいが、要するに現場が変化を嫌っただけのような) >>77
キネ旬の蒸気機関車No.38に載っている話
高田隆雄氏と久保田博氏の対談より
・86の代わりにC58を入れると横圧がやや大きく、軌道強化がいる。
・C58に置き換えても牽引定数の増加は僅か。
・どうせDL置き換え間近だからC58要らなくね?
と言う理由だそうです。 北海道でのS字キャブのハチロクの写真なり資料を探しているがやはりというか全然見つからない… >>80
で、羽幌炭鉱に払い下げられたもう1両の8653はS字キャブでしたかね? 8620に似た機関車ならイタリア国鉄の640型、625型がありますよ。 8620で
九州のは、比較的癖の少ない車が多いが、
鹿児島機関区の8620は、風変わりである。8620の癖にC56風のテンダーを付けたのがあった。
則ち 48674、48679、48696、68649であった。 原形のハチロクカッコイイね。
ttp://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E9%89%848620%E5%BD%A2%E8%92%B8%E6%B0%97%E6%A9%9F%E9%96%A2%E8%BB%8A#mediaviewer/File:Kanto_Great_Earth_Quake_Nippori_Station_another_version.jpg >>30
「それ」が「58654」なら、そうなんですよ。結構まじで言ってます。
人間の皮膚や細胞組織もどんどん更新されていきますから
あなたの論法に従うなら何年前の自分は自分じゃないわけです。
いっぱい新しい部品に変えてもらって、構造物的には
製造当初の部分がたとえゼロだとしても
58654にはちがいありません。
かなり、幸せな機関車だと思いますよ。 神戸港駅にいた8620は煙突とヘッドライトの間に、鐘が付いていたが
それには、訳があったという、神戸港にはメリケン波止場があって、外人が多い。
蒸気機関車の汽笛だけならば、日本人は列車接近を認識できるが。外人は列車接近を認識できない。
メリケン波止場と言うだけあって、アメリカ人が多い。アメリカの蒸気機関車は
日本で言うならば『弁慶号』タイプのが多い。
列車接近を汽笛だけでなく、鐘を鳴らして理解させた。
鐘の付いた8620は、8635、8642であった。 8620が山岳路線で重用された理由、それは
「空転しない」
の一言につきる。
C58は空転に悩まされた機関士が多かったそうだ
電機でもそう。
EH10は踏ん張りが効くので重宝された(あくまで平坦線の話)
逆にEF65・66はパワーはあったが肝心の空転対策が…
冬の平坦線でも窓開けて空転しないかどうか音を聴く
すわ空転となればすかさず手動でノッチ戻し
(自動ノッチ戻し装置はあったがあてにならなかったんだと)
これじゃEF13・15と変わらんじゃないかと乗務員の不満たらたら
JR貨物がEH500導入した一因にはこれもあるそうだ 8620が空転しにくいのは周知の事だが。
C51も同じである。東海道本線の京都側で
姫路快速通称『ヒメカイ』でC51が走った。
C62が特急『つばめ』を牽引するそばを、C51は負けじと、快速通称『ヒメカイ』を牽引した。
一方、8620は、肥薩線北部、則ち、人吉〜八代間で長く走った。
晩年は湯前線に封じ込められた。肥薩線北部にC55、C57の進出である。
8620の湯前線封じ込めは、一説には、D51が関与していた。
具体的には、肥薩線の吉松で、都城方面、則ち吉都線で、貨物列車はC55、C57を使用したが勾配の急な所があって、空転が多発した。
貨物列車は、D51に統一する事となり、鳥栖機関区から、D518、D51889、D511038が吉松機関区に配属された。
そのため、C55、C57が人吉機関区に玉突き配属になった。
人吉機関区の8620は、湯前線封じ込めにあった。
8620の湯前線封じ込めは、D51が関与していたと言う所以がそれである。 C58が空転が多発して運転がしにくいと言われた、線区は
八高線、伯備線、美祢線ですねそれらの共通点は、石灰石を輸送している事です。
だから、D51に置き換えた。八高線のC58は、両毛線に
伯備線のC58は、構内入れ換え、姫新線、則ち、新見から津山・姫路方面
芸備線、則ち、新見から、三次・広島方面の客貨両面に使用された。
美祢線のC58は、重安以北、則ち長門市方面の貨物列車、
厚狭から長門市方面の、直通貨物『石灰石を除く、一般貨物』
宇部線の宇部・宇部港駅入れ換え作業に使用された。 →九州電機大好き
この人知識披露のオナニーばっかだけどその手のヒトなのか?
なんか現実でも煙たがられていそうだ 四国の8620は
8620、28630、48681、58623があった。
いずれも、松山や高松にあった。
九州に比べて、四国のは古臭い。 8620で北九州周辺にあったのは
香月線・室木線ですね。
若松機関区の8620は
28627・38629・38634・48675・58694・68660・88622
中でも88622は、若松機関区に配属される前は、東京の新小岩機関区にあった。
正面ナンバープレートが形式入りで数字がローマン体である。
九州の8620で、かなり珍しい88ナンバーであった為
正面ナンバープレートが盗難されると言う事件があった。 新小岩機関区にあった8620で、88635は、『みにくいアヒルの子』と言われた。
ヘッドライトがシールドビームで、煙突には、皿型の火の粉止めがあって、およそ8620とは言えない程、汚ならしいカマであった。
晩年、北陸本線系統の越美北線で、天皇陛下(昭和天皇)のお召し列車を牽引すると言う、栄光に浴した。
だから、88635は『みにくいアヒルの子』と言われる所以である。 米子機関区の8620で、28635・28675・48630は、変わったスノープロウが付いていた。
真ん中から左右に開く、フラップのある、スノープロウ。
まるで、ヨーロッパ、スウェーデンの蒸気機関車の様なもの。 こないだ、日曜日に熊本駅に、58654を撮影しに行ったけど
高架線に、到着した、更にスラブ軌道にあった。
蒸気機関車が高架線にあって更にスラブ軌道の上を走っているのを見たら、
面白くも何ともない。 >>100
そっちかよwwwww
でも1976年製造だから40年選手だな 8620で印象的なのは長野の18688と88623だね。末期は飯山線222列車
専用に使っていたけど最後はc56にバトンタッチして88623は福井に転属。
c56になってからは222列車は定時に長野に着けないことが多かったらしいけど8620の
方が力があったのか?88623は化粧煙突で美しく18688は廃車後に銚子に保存さ
れたけど塩害でボロボロになり解体されてしまったね。88623も愛知に保存されたけど
解体されてしまったらしい。 他の炭鉱鉄道が9600を入れる中なぜ羽幌炭鉱は8620を入れたんだろう? この8620(トップナンバー)は青梅にあるよ。始めてみた時は感激した。
青梅にはあと9608もあればC111もある。E102まである。いま鉄博にいるC515もここにいた >>87
大東亜戦終結直後の省線駅構内で占領軍(殆どが合衆国軍)のマヌケな兵士が散々グモられたのもそれが原因
奴らにとって駅構内は軌道上に降りて移動して構わないしカマは鐘鳴らして動いてるものという先入観あるからな
英国とかフランスとかでも同じマヌケさ全開だったのだろうか
RTOの出先の長も「兵士は列車が危険な物だという事は認識している いくらグモ事案発生してもお前らに責任無し」とか明言する始末だったとか
それを受けてカマたきも「アメ公どんどんグモってやるぜ」と張り切っていたとか
ちな広島局の話な
ところで8620がPC牽引していた最後の線区はどこなんだろ
湯前線が1975年時点でも実働していた最後の線区だよな?
湯前線配置の8620が月検とかで肥薩線に入る事もあったろうし
室木線のPC3両+二軸石炭車3〜4両&バック運転も激萌え〜 木津駅と香月線で見ただけだが後者では軽快に走ってた。ところでデフ付きデフ無しの割合は如何程?好き嫌いもあるし路線によっては似合わないことも、個人的見解ですが 8620はどんな風景にもマッチすると思う。五能線、花輪線、越美北線行きたかった。 先輩方に質問です
保存対象機の8633以外で、
4桁番号の機で最後まで生きてたのは
何番で、どこの区で、いつまでですか? そんなの持ってるほどの蒸機ヲタなら最初から聞いてないわ。ハヨ死ねや >>113-114
昭和40.2.1時点で残ってた4桁86は8630(平)、8657(福島)、8697(平)の3両で
廃車は8657が昭和42.1頃、8697が昭和45.4.9だから8697が最後じゃないでしょうか すげぇーマジレスくださった
大感謝です有難うございました。 この形式は見られなかったなあ
でも読み物ではよく見かけた
一番最初に出会った「鉄道物知り百科」で関心をもったね
小学2年生のころかな ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています