>>398-399
Web上で昭和5年度の電機車形式図が閲覧できるのだが、
横須賀専用・京阪神急行用・京阪神緩行用電車、すなわち、32・42・52系と称される車両は
貫通扉は引き戸で貫通幌を設けていた。
これに対してこれ以外の電車は例外なく開き戸だった。
サロハ56だけは未確認なのだが、サハ48の間違いと思われる。

鉄道省の設計思想として列車の場合車両間の移動が考えられたため、
客車は貫通幌を設けることが普通とされていたが、
電車は元来近距離用の運行のため、車両間の移動を考えられない構造だということで
貫通幌を設けず、貫通扉も引き戸ではなく開き戸としていた。
木造国電に至っては、製造車両の関係から付随車でも非貫通のものがあった。

京阪神急行・緩行用の電車は平行する私鉄との競争のために、
横須賀専用電車は、いい方に見れば当時としては長距離を走ると考えたがゆえに、
列車用の設備に準じて貫通幌を設け、貫通ドアを引き戸としたものと思われる。