ぶった切れ地点から空港まで最初に路線を敷く際に、どういう経緯で今の
ルートになったのかを知りたい。
70年代前半の、まだ高架路線が敷かれていないときの写真って、どっかに
無いかな?
土屋付近の、まだ航空燃料用のタンクや貨物用線路があった頃の航空写真は
見たことあるけど、いかんせん上空からなので小さくてね。
「〜〜という理由によって、あのルートになった」というのを知りたい。
あの辺って昔は林で鬱蒼としていたようだし、わざわざ高架を建てるために
切り開いたのかな? それとも丁度、木々があまり無い箇所を選んでルートに
していったのかな?
あそこの路線をリアルで建設している最中を知っている生き証人っている?
高架ばかりでなく、路線の両側が切り通し(開削?)になっている箇所もあるから、
ルート上に小高い丘があったら、削ったりしたのかな?
スカイアクセス建設の時もそういう箇所あったよね? 日医大〜湯川に。