もう一つの問題の労組問題。当時の千葉動労はとにかく過激だった。「空港闘争とも共闘」とかやっていたし、パイプライン完成前は、ジェット燃料輸送(貨車)でも激しい抵抗していた。
国鉄首脳としては、そんな千葉県に「新幹線」を走らせるなんて問題外、と行った感じでした。
だから国鉄→JRに移行するとき、これ幸いに、と計画をアボーンしたわけですよ。JR改革と呼ばれるものの目的の一つが、「労組つぶし」だったので、当然の決定でした。
上にあった「遺構のぶった切れ」なんか見ると、国鉄(JR)の「運輸省に言われたところまでは作りましたよ(後は知りません)」て言うメッセッジが伝わってくるでしょ。
(ちなみに当時作っていたのは鉄建公団)。まあつまり千葉県民の「何でも反対」と言う気質には、国鉄(JR)は最初から見切りを付けていたと考えていいと思います。
ちなみに「千葉市経由ルート」だったら、東京ー千葉間は、現在の京葉線と平行して走らせ、通勤新幹線として利用。
(京葉線が走れたのだから、絶対作れたはず。)
千葉市は郊外も含めてベットタウン化。千葉ー成田間は東関東道に並走。
今のNEXと似たルートだが、そこは新幹線260km/hrなのでNEXよりかは早く着きます。
千葉の県庁もそのくらいのこと逆提案すればよかったのに。
とにかく成田に関しては、千葉県庁は昔も今も「我関せず(直接的にはの意味)」で何にもやってこなかったからねー。