相模線西ハチの気動車運用はどうなっていたんでしょうか・・・?
たとえばキハ10とキハ30は共通運用?
トイレは一列車に一箇所入れる前提でキハ35は運用されていて、キハ36とも
別運用だったとか・・・?
電車と違い一両単位で成立する気動車の運用そのものが良くわかっていないので
すが、どなたか当時の実情をご存知の方ご教授お願い致します。