>>200
津田沼〜千葉間が複々線化されたのは、
横須賀線と総武快速線が直通運転を開始した年の翌年(昭和56年)です。
稲毛に停車するようになったのはこのときからです。
で、千葉行が大幅に増えるかと思いきや、意外と限定的だった記憶があります。
その後徐々に千葉行が増えていきました。
余談ですが、同じ時期に北海道では石勝線が開業し、
東海道線伊豆方面の列車が特急踊り子に統一されました。
当時は夕方に普通列車の伊豆急下田行(185系使用)ってのもありましたね。
そういえばこの当時まだ東海道線東京口の行先表示は「サボ」でしたね。
「熱 海⇔東 京」(いずれもローマ字併記)とか当たり前でした。
東海道線東京口の行先表示が方向幕に代わったのは昭和60年ころからだった記憶が…。

>>206
その豊田の201系も、中央線三鷹〜立川間高架化の進捗で中央線から撤退間近ですし…。
田町の211系だって、グリーン車はLED化されているし…。

まあE231はLED化されてはいるものの、
一応その表記(ただしTOKYOではなく、Tokyoだが)にはなっているのですが、
「東海道線」表記と交互に切り替わっているから、「純粋」ではないってことですか…。
E233は種別表記が併記されるので、おっしゃる通り純粋なものは…ないです。