DF50が四国に集結してた末期、おれ、高校生だった。

高松機関区に撮りにいくと、管理室?でJNRと書いたヘルメット貸してくれて、
(以下、リアルに讃岐弁で再現)
「どこでも好きに撮ってかんまんきんの、ほなけんどレールを渡るときには気ぃつけまいよ。
突放貨車やこし、音も無う走ってくるけんの」
「マニアの人がこなな立派な写真パネル贈ってくれてのう、ほれ、ここに飾ってあるがい」
「おまー、これ(ダイヤ表)見てんまい、xx日のこの昼の列車はDF50の1が引くんぞ。
これ撮りまい、あ、ほうか、おまー、高校生なきん、授業サボっては撮れんわのう、がっははは」

高松機関区の中でおれがDF50撮ってると、運転士のひとに声をかけられ、
「おまー、ワシが今から運転するキハ30も撮らんか!機関車もええけどキハも珍しいんぞ」

だが、鉄ちゃんに理解があり過ぎるほどあった高松機関区も、
ある時点から部外者一切立ち入り禁止になってしまった。
鉄ちゃんを快く機関区に入れていたのが仇になり、
DF50の製造所銘板を外して盗んだ大馬鹿者がいたからだ。

どこの誰だ、あれから何十年もたつけど、その大馬鹿者、ブン殴ってやりたい気持ちがいまだにある。