遠州鉄道・奥山線
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浜松市内の各地に痕跡が残る奥山線を語ってみませんか?
天竜浜名湖鉄道(旧国鉄・二俣線)金指駅の
西方に残るオーバークロスは必見。
唯一現存する四村の駅舎は現在なんと売り物件! >>139
交差部はまだ面影残ってるし
当時を偲ぶには十分すぎるくらいの遺構。 なるほど…
半世紀経つと自然に還っていくものだね
ま、それは置いといて、部分的に残しておいても良い路線ではあったと思う
どこまで残すかは色々意見があると思うのでここでは書かない >>146
金指付近勤務の身から言わせてもらえば、
気賀口まで残ってると、出張時助かる。
時間読める(=次のひかりに繋がるかどうか)だけでありがたい。 >>147
そうだな。
バスは遅れるからね。
ところでLRT構想はどうなってるの? でかくすると坂を登れないから
赤電程度の規模にもできず軽便のままだったのが致命的。
赤電は戦後しばらくまでは貨物でかなり稼いでいたし、
それを期待して改軌など輸送力増強策ができる金が集まったが、
奥山線や浜松鉄道はその辺り弱かったからな。
赤電の初期のパトロンは天竜川治水植林で有名な金原明善。
というかその軽い軽便ですら
たびたび坂前で停止したりしてる。
図書館にもそんな記録を残した冊子がある。
乗員総出で車両を押したとかんなアホな。
そのうちモータリゼーションの時代になり、
交換駅も少なく軽便がゆえに
輸送力が貧弱で踏切も邪魔な奥山線は
クルマに追い出されるように廃止された。 坂道を客が押したなんて、明治時代の鉄道忌避伝説と同じような眉唾もの。
この種の話は、日本全国各地に口碑が残っている。
明治の昔から鉄道院(鉄道省)監督局が、会社提出の工事方法書をチェックして勾配等も確認していたから、
そもそも坂を登れないような設計は許されない。
満載時や落葉の空転くらいの話が、大袈裟に伝わっているだけ。 >>149
>>でかくすると坂を登れないから
逆だ。でかくして高出力の電動機を積んだ方が、坂に強いに決まってるじゃないか。
>>赤電は戦後しばらくまでは貨物でかなり稼いでいたし、
それを期待して改軌など輸送力増強策ができる金が集まったが、
奥山線や浜松鉄道はその辺り弱かったからな。
ソースは?貨物で稼いでた?改軌の金が集まった?
あ、夏休みか。 なんで言い合いにもなってないのに初めから煽るの?
みっともないわ。 谷駅付近で自走不能になって
乗員総出で車両を押したとか
冗談みたいな記録が本当に残ってるとか
実態はかなり酷かったんだな。
踏切装置に銀紙を貼り付けて
遮断機が降りたままになるという
イタズラが横行したとか
これも記録が本当に残ってるから
やはり赤電とは全然違う鉄道って感じだわ。
ま、当時の赤電の愛称が
二俣"電車線"だもんな。
非電化の奥山線を明らかに馬鹿にした愛称。
そしてむりやり電化して残ったのは
多額の負債のみというオチまでつけた。 自走不能になって車両を押したとか、どんな公文書の記録に残っているのか?
伝説の類で、こういうのは口碑にもならないレベル。それを郷土史などにも記述してるのかな。
今でも落ち葉や、ヤスデによる空転というのもあるが、人が押したりはしないし、
監督官庁による勾配設計の管理は厳しい物で、そこまで間抜けではない。 夏休みでもないのに耳年増が出てきたな
なんだよ「勾配設計の管理」って はあ?何言ってんの?鉄道の監督行政について知らないの?
車両の設計から、勾配、曲線等施設のあらゆることは、監督官庁(浜松鉄道当時なら鉄道省監督局)に、
工事方法の設計申請書を提出して、認可を受けなければ線路の敷設さえできない。
その時に、曲線や勾配の図面からあらゆることを計算確認したうえで、認可される。
監督局が認めなければ、工事方法書を何度も提出させられる。
よって、坂を登れないから押したとかいうヨタ話は、軽便が貧層だったのを
大袈裟に伝えているだけと言っても過言ではない。 ふ〜ん
なら君の知ってるヨタ話路線での「あらゆることを計算」した数値とやらを具体的に2、3例挙げてみな その前に、汽車を客が押した話の出典を示せよ。
それに、あんたは工事方法書見たことあるの? 俺は都市伝説ですキリッより自分のばっちゃの体験談を信じますよ
忌避伝説はばっちゃにとっても「…という話だったのサ」の時代だから
あんまり信用できんが… 実家が井伊谷だけど、ばあちゃんが若いころムカデが大量発生して
軽便がすべり、みんなで後押ししたって話を大昔に聞いた記憶がかすかにある。
たぶん奥山線のことだと思うが今となっては確かめるすべがない。 世代を越えて語り継ぎたい話も多いな
聞いてしまった以上はしつこくしつこく伝えていく義務があるのかもしれん >>129 奥山線が赤電と同じように改軌して、存続していれば浜松市内の道路渋滞も変わっていたかもしれないな。
廃止した時代か車社会の到来で、路面電車や赤字の鉄道はバス転換が当たり前の風潮だったし。
電化された区間だけでも残せばよかったのに。 改軌されて今も残っていたら、大河に乗りかかったのだろう。 そうか、今年はもろにご当地作品だ。
でもドラマ便乗の盛り上げ策は所詮放送期間中だけであって
長続きしないんだよね〜 >>162
図書館にある奥山線の記録集めた本に載ってるんだけど。
他にも死んだ老人からもよく聞いたわ。
二俣電車という呼び方は
長年非電化の浜松鉄道〜奥山線をバカにした呼び方というのもね。 北高前で銀紙貼り付けて踏切なりっぱなしにするイタズラが横行したとか
生々しい過去がすべて記録された良い冊子だ。 >>172
遠鉄浜松で「二俣電車線のりば」という案内看板を見て、おいおい奥山線だって途中まで電車だろ、と突っ込みたく
なった俺がいる。 >銀紙貼り付けて踏切なりっぱなし
詳しくお願いします 奥山電車、とは呼ばれなかったのでしょうか
仰る通り曳馬野までは電車だったわけで 二俣電車線という呼び名は
山の上の貧弱な軽便だった
浜松鉄道とその後継の奥山線を
バカにした言い方だからな。
あんなとこに鉄道なんか敷いて需要があるのか
ほら見たことかやっぱりろくに経営になってない
同じ浜松にいくつも路線はいらない ましてや山の上の僻地なんぞにな
鉄道が急坂を越えようとすること自体非効率の極み
なんで奥山線なんぞを合併するのか
ほら見たことかやっぱり失敗した
奥山線なんぞに金かけやがって
あそこらはモータリゼーションで発展したのであって
鉄道はむしろ邪魔でしかなかった
という感じだったそうだよ。
政治家だったひいじいさんの話 もう少し存続してたら三重交通みたいに垂直カルダン車が出来てたかもなんて妄想 遠い地ではあっても自走可能な車両が残っているだけでも幸せ キハ1803の図面が載ってる本ってないですか?
雑誌のバックナンバーでもいいです
富から出た1/80の軽便に合わせて、1/80で作って一緒に走らせてみたい >>182
ありがとう
RMライブラリの奥山線に不鮮明ながら竣工図が載ってたので、こいつを使ってそれっぽく作図してみようと思います >>184
あるよ
ただ半ページで小さい上不鮮明なので、正確な寸法出しは厳しいから雰囲気重視で・・・
そういえば今月のTMSに昔の子供の科学かなんかの記事を再現したナローレイアウトが載ってたね
そこに尾小屋キハ03ふうのショーティーが出てたけど、あんな感じかな あ〜あ、消防の頃奥山線で通学していた俺としては当時仲良しだった元城の駅員のおっちゃんに
ダイヤとか使用済みの切符とか掲示物とか線路図とか貰っておけば良かったと今さらながら悔やまれる。
お菓子とスミレの花を貰って有頂天になっていた俺。 ■ このスレッドは過去ログ倉庫に格納されています