でかくすると坂を登れないから
赤電程度の規模にもできず軽便のままだったのが致命的。
赤電は戦後しばらくまでは貨物でかなり稼いでいたし、
それを期待して改軌など輸送力増強策ができる金が集まったが、
奥山線や浜松鉄道はその辺り弱かったからな。
赤電の初期のパトロンは天竜川治水植林で有名な金原明善。

というかその軽い軽便ですら
たびたび坂前で停止したりしてる。
図書館にもそんな記録を残した冊子がある。
乗員総出で車両を押したとかんなアホな。

そのうちモータリゼーションの時代になり、
交換駅も少なく軽便がゆえに
輸送力が貧弱で踏切も邪魔な奥山線は
クルマに追い出されるように廃止された。