53・10・2の改正前は「白鳥」には専用編成が充てられたんだよな…。「はつかり」や「いなほ」
よりTsが1両多かったし、号車番号も逆だった。これは北陸側の都合を優先させたからか。

あと、宮脇俊三の「時刻表2万キロ」の中で青森から弘前まで「白鳥」の自由席に乗った、
って件が出てくるが、この時点(昭和52年5月)では「白鳥」は全車指定席だった。
まあ、東能代までは特定特急券で乗れて普通車の空席は利用できたが…。