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記憶が正しければ、社史に昭和34年製造のキハ500、504形がデビュー時はシーズンになるとホームからはみ出るくらいの乗客により、列車に積み残しが出て、増便もできない状況により駅内は惨憺たる状況だったようです。

状況を駅長が会社に訴えたところ、新車5輌をもって対応すると回答があって増備に至ったと記載されていたように思います。(記憶違いがあったらすみません)

新車が入っても、その頃は線内の通勤ラッシュもありながら、国鉄の要請で体よく新車を小山乗り入れさせられ、車輌のやりくりも大変だったんでしょうね。

晩年、60年頃に5月の連休に乗った際ですら2輌の列車は混雑が激しく、揺れも加わって大変な思いをして筑波に着いた記憶があります。