スレチだが

>>691
マル生スト後の昭和54年の4.28の大処分で、多数の若手幹部が懲戒処分、解雇食らってから
全逓は闘争方針を当局との対話による労使協調路線へと、しょっぱい方向にシフトしたんだよ。
もちろん4.28処分者に対する支援、国労との協調姿勢ってのもしばらく見せてたけど
連合発足以降、総本部は国労支援そっちのけで対抗組合の全郵政との歩み寄りを模索し始めた。
(尤も、やってることが一緒だから仲良くしようや、ってのもあったけど)
そうした方が組合員のためになるって判断したからだね。
それで、民営化後になって全逓と全郵政はアレ、国労?知らん、と。