>>399
当時の輸送体系では定形の北海道〜関西は航空輸送でした。
札幌あたりで手渡したのであれば、とりあえず消印はして、小
樽で逆送りして札幌で落とし新千歳空港から飛ばしたのでしょ
う。私見としては東京、大阪方面の高等信は航空郵袋に詰めて
函館で降ろして空港へ送る、つまり航空結束がなかったものか
と考えます。104レは函館到着16時ころでしたし。でも乗務員
がそういうところをみると、航空結束はしなかったのかな。

>>400
大阪の場合も駅構内ポストは鉄郵駐在が収集して部屋に持ち
こみます。のぞき見したところ、そこでおおざっぱな区分棚
により大阪中郵渡しと乗務員渡しとに分けていたみたい。
乗務員渡しは
 ・阪青下方面 京都〜青森県まで
 ・阪鶴下方面 生瀬以北兵庫県〜島根県
 ・亀阪上方面 王寺〜三重県
だったはずで、送致証といっしょに紙ひもでくくって乗務員に
手渡され、めでたく便名印で消印となります。
なお、速達に限り東門上下、静岡県〜山口県も乗ります。これ
は、当時すでに東門・門鹿西特例区分で、定形は速達しか車内
区分していなかったため。
消印されないというのは、鉄道便区分対象外の区域と判断され
たからで、最寄りの局へ回されるという予想だったのでしょう
が、結果的に便名印が押されていたとすれば、うまくのっかっ
たのでしょう。実際、大阪→京都などは自動車便が常識ですが
、阪青下方面各便に乗ると何通か京都のが出てきて消印して区
分担務者に渡すと、のちにゆるく把束して手渡され、それを並
乙郵袋に入れて京都無証の看板つけてへなへなのを京都で駐在
に「はい、1個」と言って渡しました。以上長々と失礼をば。