高知から坂出の父の実家に帰省するとき、いつもは車で国道32号線を通って帰っていたものだったが、父が仕事の都合で一緒に帰れなくなったので、オイラと母と妹が一足お先に急行あしずりに乗って帰省した。昭和61年8月、オイラが小学三年生の頃だった。
いつもは車で帰省していたので、列車に乗れるのが嬉しくて嬉しくて仕方がなかった。
土讃線はトンネルが多い路線だと改めて思ったものだ。
翌年からは坂出の父の実家で暮らすこととなり、帰省の体験すらなくなった。
オイラにとっては国鉄急行最初で最後の乗車だった。