特急まつかぜといそかぜを語ろう
新大阪・大阪〜米子・博多間を走ってたまつかぜと米子〜博多間
(末期は益田〜小倉間)を走ってたいそかぜについて語りましょう キハ82-キロ80-キシ80-キハ80-キハ80-キハ82-キハ80-キハ80-キハ82-キハ80-キハ80-キハ82 優等列車どころか、東萩ー益田間は日中の移動すらままならなくなった。
石見地方、特に江津の寂れ方は凄い。
駅前の商店街は最早街の体を為しておらず、人通りというものが消えていた。 出雲市15万、松江市20万、隣県の米子市17万、計52万。
これでようやく、山陽側の倉敷、福山あたりの1都市と見合う程度。 20年位前に小郡(現新山口)発下関行きの快速列車があった。一日一本の朝七時くらい発。
いそかぜの車両だった記憶がする。
上りは小倉発益田行きでも下りは益田発小郡行きだったのかな?
特急料金なしで特急車両に乗れるのがうれしかった。 >>489
一時期、下関発米子行の特急「おき」が上り1本のみ設定されていた。
米子発下関行の特急「おき」の設定は無かったが、貴方が乗ったそのキハ181系の快速列車は、
下関発米子行特急「おき」のキハ181系で、小郡から下関への車両送り込みを兼ねた列車 >>490
ありがとう。おきのwikiを見たらこのことが書いていました。
長年の疑問が解決しました。
私は本屋で鉄道雑誌を立ち読みする程度のただの鉄道好きなので、皆さんの
知識やここに書かれている昔ばなしは見ていて勉強になりますし楽しいです。
今はこぎれいな187系に置き換わりましたが、ネットで181系を見ると
昔を思い出し懐かしくなります。 昭和57年に松江駅で長大編成のまつかぜを見た
そして平成になってからスーパーまつかぜの通過を安来駅で見た
2両か3両の特急が一瞬で通過していく姿はあまりに情けなかった
鉄道に詳しくない人間が見たらあれは工事用車両に見えると思う >>495
道路整備かな。国道490号の代わりの県道32号線(一部は萩有料道路)開通で小郡から萩まで
一気に1時間早く着けるようになり、レンタカーと小郡発着の高速バスにやられた。 >>496
その当時、松江駅でのまつかぜは6両か7両だったので、長大編成とはいえない。
やくも電車化があった年なので電車化前は大阪〜鳥取が13両、やくも電車化後は
大阪〜米子の9両が最長だった。
もっとも現在のキハ187系2両に比べれば、長大編成だけどw >>496
その頃はまだ食堂車があって旧城崎現城崎温泉〜鳥取間がnonstopで香住、浜坂、東浜
(7月20日〜8月20日臨時停車)
岩美は急行だいせんのいわば住み分けちゃんとできてたが
中国道開通伯備線も電化昭和57年の時点で既に終わってた
旧型客車も現役バリバリだし国鉄ならの無駄許された時代 キハ82まつかぜのゴミ箱からカブトムシが出てきてコンニチワ!って足を上げたのにはビビった
もちろん持って帰った >>481
ラッシュ時にあの跨線橋を渡るのは大変だと思う
一度しか利用したことないけど、あの時まだこんなのがあったのかと感心した >>506
大阪〜鳥取も、運賃・所要時間で高速バスが有利だった。
今のスーパーはくとで、所要時間は勝負になっている。 高速バスにはまだ対抗策ありそうで脅威
さらなる値下げ、車両デラックス化、スピードアップ、発着地の改善←これがデカい。鉄道は簡単にはできない >>435
特急は冷房付きだけでも
価値があった時代だろ >>496
子供が乗りたいとも絶対言いそうにない
先頭形状もろともね >>503
その中国道も1分に1台平均しか通らない
過疎高速と揶揄されてるのがね >>512
過疎区間はな
でも高速バスが走ってる区間は交通量多いぞ 関西発九州行きの気動車特急では山陽経由のかもめにも乗ったことあります。ほとんどの区間が電化なのにキハ82系と言う珍しい運用だったと思います。一時期は食堂車2両を含む14両の贅沢な編成でした。 >>514
運行区間に少しでも非電化区間があればディーゼルカーってのは普通のことだが
鳥栖-長崎間機関車牽引ってわけにはいかないだろう >>516
北近畿というセンスがもうアレですね
だれの発案? 南近畿とか東近畿とかはまず聞かないね
なぜ北だけ付けたんだろ 181系の間合い普通に乗ったけど
豊岡から出てる12系の方が
換気も出来て快適だったな >>519
南近畿ワイド周遊券というのがあった
和歌山市-紀和間は乗れない ワイド・ミニ周遊券の範囲は何度か変更されているけど
北近畿ワイド周遊券
東は敦賀から西は鳥取まで
南は寺前、三田、保津峡(1980年、国鉄時代)京都(1995年、JR時代)
南近畿ワイド周遊券
(1980年、国鉄時代) 湊町 天王寺 王寺 木津 亀山より南 紀和-和歌山市を除く
(1995年、JR時代) JR難波 天王寺 王寺 木津 名古屋より南 紀和-和歌山市も含む >>519
たしかに東近畿は全くだけど
南近畿については周遊券であったから
それほど言わないほどでもないのではと。
「ヒガシ」って方角で唯一濁音が入るからか、
一般化しないね。
大阪のミナミ、キタ、と同じように
京橋周辺を「ヒガシ」って名付けようとしたけど
まったく一般化せずそのままだし 益田/下関間って、もはやどいうにもならないほどの閑散区間なの?
ながと・さんべ・いそかぜのような列車を走らせる意味はもうないのかな?
2両で益田までのまつかぜを延長運転とか 気動車の特急に乗るのは初めてだったかも知れない。
1967年の夏、キハ82系「まつかぜ」は排気の陽炎を揺らめかせながら博多駅のホームへと入線してきた。
81のスマイリーなブルドック顔は図鑑や写真で知っていたが、ボンネットではないむしろ一般的で見慣れたはずの貫通型前面の洗練された端正さに魅了された。
何度か乗った151系に準じたボディーカラーにも違和感なく、特急r鉄砂での数時間の山陰への未知の旅へと思いを馳せた。 ないないw
自分の文章に酔ってるだけだろ
プロは「特急r鉄砂」なんて許さない
文芸誌で随筆寄せるのって、小説書きなれている人が普通だし 俺はここでは極まれな文章の上手い人だと思ったけどな