>>28
東京〜(新幹線)〜新大阪〜(寝台特急)〜九州各都市
という乗継パターンで持っていたこれらの列車ですが、
昭和50年以降も東京を19時ないし20時頃の新幹線に乗れば、新大阪乗換で翌日の朝には博多、
昼前までに西鹿児島や宮崎に到達できていました。
もちろん東京発着のブルトレに比べたら遅く出て早く着くことができましたし、
博多行き最終新幹線(当時は17:00発が最終)よりも遅くでて、
翌日朝6:00発の新幹線が博多に到着(当時は13:01着)するよりはるかに早く到着できていました。
その意味では大きなアドバンテージを依然としてもっていました。

それでも、新大阪で深夜(上りは早朝)に乗換をするなど、せわしない移動を強いられていたわけで、
航空機の大衆化が次第に進んだ昭和50年代に。、一気に流れてしまったというわけ。
新幹線と夜行の乗り継ぎで行くくらいなら、最初から飛行機で行こうという時代になって行きました。

東京〜九州のブルトレは、新幹線博多開業に併せて「あさかぜ」が1往復減りましたが、
その後は国鉄改革を経て1993年12月のダイヤ改正まで18年以上もの間、
概ねこの当時のダイヤを踏襲して来ました。
その一方で、関西〜九州間の寝台特急はその間激減していったわけで、
全く対照的な経緯をたどっているのも、ひとつ注目すべきところでしょう。