80系化直前のダイヤ改正だったと思います。
残留組がママへ、廃車予定車はトヨに集結すると言った車両の入れ換えが行われ、
それまで見られなかった編成や車両運用が多数発生しました。トヨ区の運用は80
系置き換えを前提とした4連の運用となり、北部地区にも日中クモハ52が顔を出
したり、思いがけずサハ75に当たったりもしたものです。
またユニ入り3連の中間車専用として全く先頭に立つことがなかったクモハ50
も編成を解かれ、顔も拝むことが出来ましたね。トヨ区完全80系化までのほん
の過渡的な運用でしたが、この当時はどんな車両が現れるのか全く予想もつかず、
最期にして最も楽しい時期ではありました。

地味なところでは、個人的に625M?(豊橋6:54天竜峡行き)にはいつも
注目していました。浜松工場の出場車がママやチウへ向けて帰区の際に連結され、
検査明けでピカピカながら通常は客扱いもされていました。
また、クハユニ56を単独で回送する際に伴車としてクモニ13が当てられ、ハ
+ハ+クモニ13+クハユニ56のような珍編成が走ったのを覚えています。し
かし滅多に動くことの無い救援車のクモヤ21009が出場した際に、同列車に
連結されて走った姿はまさにサプライズでした。