当時の急行伊那1号が、山間部の駅で貨物列車と行き違いをしていたというと、該当列車は
重連で有名だった266レではないかと思う。残念ながらどこで交換していたか覚えてないが、
大嵐、小和田、伊那小沢、平岡あたりに絞られると思う。
ただ、流電との行き違いについては見間違いじゃないのかな?早朝の飯田始発と新城で
交換(同列車は新城3番線に停車で伊那2号を退避)して以降、流電使用列車とは行き違う
ことは無かったはずだから。何しろ、新城以北の上り流電は早朝にそれぞれ飯田、水窪、
中部天竜を始発とする豊橋行の3本と、夜間の辰野→飯田間の計4本しかなかったから。
しかし、80系の置き換えを目前に、日中の北部を一回こっきり走行した記録があるから、
昭和53年と言えば、もしかして偶然その貴重な一本を北部で目撃した可能性も否定できない。
これらを手がかりに、引き続き調べてみることにします。